4章―④ お嬢様と青年、すれ違う
Cafe Off Sideの特製パスタをガッツリ食べたので、シェイプアップの為に天月邸までの道のりは徒歩での移動となった。
5月も終わりに差し掛かり、気温はグングン上がり、日も長くなっているが、流石に夜の時間となると辺りは暗くなり心地良い涼しい空気に包まれる。
梟市という小さな地方都市にデンとややはた迷惑な規模でそびえ立つ屋敷が天月邸。今公太と室井の2人は千尋の部屋を目指して、コソコソと歩みを進めている。黒をベースとした制服という格好でその動きは金持ちの家に盗みに入ろうとしているコソ泥に見えなくもない。
「ねえ、室井さん」
「何ですか、花巻君?」
「千尋と話したいならわざわざ家に行かずとも電話をすればいいんじゃ?」
公太はコソ泥の様な真似をしているこの状況の不自然さに気付いて至極真っ当な疑問を口にする。
「千尋様は我々を遠ざけようとしているんですよ。電話したところで出ないかと思われます」
「む、それもそうですね。……でも、俺達天月コーポレーションの関係者なんだからこんなコソコソする必要ないんじゃないですか? 仮に見つかっても千尋に用があるとか言えば良いんだし」
「それはその通りではありますが、今の昭仁様は我々の動きを警戒している可能性もあります。出来れば千尋様との接触も秘密裏に行いたいんですよ」
まあ、流石に昭仁様もそこまで手段を選ばないとは思いませんがと付け加える室井だが、公太が求婚した時に殴らんばかりに手を震わせていた昭仁氏を思い出した公太は気持ち程度歩く姿勢を更に低くした。
天月邸の庭は思っていた以上に広く、10分ほど歩いただろうか。
「ここの2階が千尋様の部屋です」
室井が指差した先に窓が見える。灯が付いていることからその部屋の主はいることが分かる。
「2階なんですね。どうしますか、部屋の前まで来てるから降りて来てって頼みます?」
「悪くないですが、先ほどと同じ理由で無視される可能性も否めません。どうでしょう。ここは1つ古典的な手でいきませんか?」
「と、いうと?」
公太が興味を示すと室井は特に得意気な様子を見せることもなく、続ける。
「石を窓に投げてぶつけて呼び出すという方法です。一回ぶつかったくらいでは気のせいかと思うかもしれませんが、何回も同じ音が鳴れば気になって様子を見に来るでしょう」
「おお、いいですね!」
公太が足元を見ると、手頃な小石が沢山ある。ずっとサッカー出身なので投げる方は専門外であるが、これだけ石があり、窓も大きければ外すことはないだろう。
「ただ注意点があります。あまり強くぶつけたら窓が割れるか傷付く可能性があります。だから良いですか? 絶対力抜いて下さいね? 絶対ですよ、全力で投げちゃダメですよ!」
「…………」ここまで言われるとフリなのかと迷うところだが、室井が特にふざけている様子もないので素直に軽く当てるにとどめることにしよう。
「分かりました。そんじゃ、行きますよ」
公太は手頃な小石を拾って少し距離を取り、軽く踏み込む。その瞬間、
――ズルッ!
そう表現するのがピッタリなくらい公太は見事に足を滑らせる。そして、足腰の踏ん張りによる力の制御が全くなされずに腕はその勢いのまま、ぐるっと回され、勢い良く小石をリリース。
「ほわあああッ!」
――パリーーン!
間抜けな悲鳴と共に放たれた火の玉ストレート(小石)は見事に千尋の部屋の窓を砕いた。そして、すぐに天月邸の中でいくつもの足音が聞こえてくる。直にここにも使用人達が来るだろう。
「…………」
「……………………」
小石は窓と共に公太と室井の精神も砕いたようだ。2人は放心している。
「……花巻君」
「……はい、何でしょう」
「一応、言っておきますが、フリではなかったんですよ?」
「……あの、なんかすみません」
重たい沈黙が2人を覆う中、
「……2人とも何やってんの?」
千尋の呆れた声が空から降ってきた。
*
公太と室井は千尋の部屋にいた。すぐに状況を察知した千尋が脱走用のロープを使って2人を引き上げてくれた上に、駆けつけて来た使用人達には、2人の姿を隠した上で「部屋でPKの練習をしていたら窓ガラスを割ってしまった」というなんとも素敵な言い訳で匿ってくれた。
使用人達はまたか……という態度であっさり引き上げていったが、千尋が部屋でPKの練習をすることは彼ら彼女らにとっては不思議なことでないらしい。確かに部屋にサッカーボールはあるが、やはりお金持ちはよくわからない。
「…………で? 何だって2人は私の部屋の窓を割ったの? 嫌がらせ?」
現在、公太と室井は千尋の部屋の床の上にて並んで正座をしており、お嬢様ベッドに腰掛けた千尋から見下ろされる形。
「いや、割ったのはわざとじゃないんだ…ゴニョゴニョ……」
と公太は何から話そうか困り果て、横目で室井を確認する。何と、彼女は頬を赤らめ息遣いが荒い。
――ちょっと室井さん! なにアンタ千尋に見下ろされて興奮してるんですか!
公太が横目で睨み付けると室井もハッとして、こほんと1つ咳払い。
「す、すみません、千尋様……。お話したいことがあってここまで参りました」
すると千尋は大きくハア、と溜息を吐く。
「どうせ、私を引き留めに来たんでしょ。さっきも言ったけど、無駄だから。私はもう2人を信用できないし、綾小路さんと結婚するから」
「……一応言っておくが、綾瀬な」
いい加減名前を間違えられっぱなしの綾瀬を不憫に感じたので公太はフォローを入れることにした。
千尋はバツの悪そうな表情を浮かべながら「似た様なものじゃん」と全国の綾瀬さんと綾小路さんに失礼な発言。
「千尋、お前本当にそんな名前もロクに覚えていない綾瀬と結婚したいのか?」
「……したいよ」
千尋は頑なだ。このままでは埒があかない。
「千尋様」
室井が静かに声をあげると千尋は室井の方へ顔を向ける。
「私は伊達に千尋様と長く付き合っておりません。千尋様はウソをつく時、目を合わせません」
「……!」
指摘されるや否やすぐに顔を向けようとする千尋。しかし、
「ウソですよ」
室井は穏やかな微笑と口調で告げる。
千尋は悔しそうにむむっと口をつぐむ。そして観念した様に口を一度つぐむとゆっくり話し出す。
「室井には敵わないね。うん、別に私は綾小路……いや、綾瀬さんと結婚したいわけじゃないんだ」
いつもの快活さは鳴りを潜め、絞り出す様な声だ。
「それならどうして」
「決まってるでしょ!」
公太の問い掛けに思わずといった感じで千尋は声を張り上げる。
「公太も室井も私があんな勝手な行動したからあんな目に遭ったんだよ! そして私の顔が知れ渡っている以上は同じことが起きないとも限らない! だから……」
公太はすくっと立ち上がるとベッドに腰掛けながら俯く千尋に近づく。近づいてきた公太に気が付いた千尋が顔を上げたところで公太はその額に必殺のデコピンを放つ。
「いっ、いったあッ!」
「おお、良い音が鳴ったな」
パチンと弾ける様な音を奏でた額を抑えながら千尋は涙目で恨みがましそうに公太を睨み付ける。
「あのな、千尋。お前、室井さんのことも俺のこともナメんなよ」
そう言うと千尋が訳がわからないと睨みながら目で訴えてくる。
「お前がどんな提案してこようとそれに乗っかるも乗っからないも俺達の責任だ。少なくともお前より歳が上だし、世間のこともよく知っている」
「え、公太が世間を知っている……」
「本当にそうでしょうか……」
――こら、2人ともそこに疑問を持たない!
無粋なツッコミを挟ませない為に、公太は話を続ける。
「だからお前が俺達のことまで責任持とうとしなくていいんだよ。そういう風に考えるのは傲慢だし、俺達に何の相談もなく、守るためだとか言いながら望まない結婚をされるのなんてはた迷惑以外の何者でもない」
「……」
「大体お前、俺達を本当に突き放すつもりならロープを使ってまで部屋に引き上げないだろうし、匿わないだろ。本当は本音を誰かに聞いて欲しかったんじゃないか?」
聞き入る体制に入っている千尋と室井の様子に公太は少し探偵気分になり、最後は千尋をズビシっと指差す。
千尋はその指をじっと見つめ、
「ふんッ!」
逆方向にに曲げた。
「ぎゃああああッ! ゆ、指があ!」
ファールを受けたサッカー選手の様にゴロゴロと床に転がる公太を見下ろしながら千尋は捲し立てる。
「勝手なこと言わないでよ! 大体公太があの新倉という人に鼻の下伸ばしてるのもいけないんだよ!」
「……え、お前何? もしかして嫉妬してたの?」
「……バッカじゃないの?」
三角に吊り上げられていた千尋の目は生ゴミを見る様な蔑む様なものに変わった。
「千尋様は、ご自身が花巻君と新倉様の仲の邪魔になると考えたんですよね?」
というか、さっきこれ話しましたよね? と室井までもが同じ様な視線をぶつけてくる。
いかんいかん、そうだったと公太は重大な事実を思い出す。
「あのな、千尋。それも勘違いだ。俺は別に新倉さんとどうこうなりたいとかないぞ。それに向こうも眼中にないだろ」
「……でも公太鼻の下伸びてたよ」
「え、うそ」
「伸びてましたね……」
「ちょっと、室井さん! どっちの味方なんすか!」
思わぬ裏切りである。
「いや、まあ確かに新倉さんは可愛い。正直デートイベントが発生したら小躍りするレベルだ」
思い切って開き直った心情をそのままぶつけることにした。
「うわ……」
「デートイベントってなに……」
「ちょっと! 俺どう答えても引かれるの!?」
公太は涙目である。何これ、小学校の時に好きな女の子の話をここだけの話でしたら翌日にはクラス全体に広まっていたあの日のことを思い出しそう。だが、ここで折れるわけにはいかない。さっきからめちゃくちゃ邪魔が入っていることは間違いないが、伝えなきゃいけないことがあるのだから。
「……まあ仮に俺が新倉さんとデート行くとかあっても千尋がいようがいまいがどっちでもいいんだよ。寧ろそんな理由でいなくなる方が迷惑だ。仮に新倉さんと会う度に千尋の顔がチラつくだろ。勘弁してくれ」
公太が話すと千尋も室井も一転真面目に聞き始める。
「まあ、あの綾瀬も良いやつそうだし千尋がどーしても結婚したいというならば……」
「いや! したくない!」
「そ、そうか……」
ここまで食い気味に言われると綾瀬が少し可哀想である。
しかし、千尋がようやく自分の気持ちを出してくれた。これは大きな前進と言えるだろう。
「それなら、決まりだな。俺が奴との勝負に勝ち、この話をぶち壊す」
「花巻君、キメ顔をしているところ申し訳ありませんが、1つお聞きしたいことがあります」
「あ、ハイどうぞ」
図星の公太がキメ顔を解くと室井は素朴かつ実に当たり前な質問をぶつけてきた。
「仮に今回の作戦が上手くいったとしましょう。そうしたら花巻君は千尋様と結婚する気はあるのですか?」
「あ」
そういえば先ほどもそんな話がチラリと出た気がする。千尋と綾瀬の結婚を阻止することばかり考えていたこともあり、その後のことまで考えが及んでいなかった。
「そ、そうだよ! 公太! 結局私は公太か綾瀬さんのどちらかと望まぬ結婚をすることになるんだよ!」
「ああッ、しまった! そうだ、どどどどどうしようう!! この作戦上手くいった方が俺にとって不幸なんじゃないか?」
「……私も悪いけど、公太もよっぽど失礼だよね……」
失礼千万なのはお互い様であるが、千尋の方が若干傷ついた表情。1番冷静な室井がパンと手を叩く。
「まあまあ、とりあえず状況を整理しましょう。このまま何もせずとも千尋様は綾瀬様と結婚させられてしまう。それを免れる手として、綾瀬様を上回る人を用意して綾瀬様も昭仁様も納得させる必要がある。そして、現状綾瀬様が認める相手は花巻君のみ。だから今綾瀬様と花巻君が千尋様を取り合って一騎討ちという形になっているわけですね。つまり花巻君が勝てば、花巻君が千尋様の結婚相手となる」
「そもそも一騎打ちってなにやんの? 河原で殴り合いでもするの?」
室井の言葉に千尋が首を傾げる。それにしても少し前のヤンキー漫画みたいな例えである。
「それは俺と綾瀬の間で友情が芽生えるパターンだな」
「いいじゃん、友情のついでに愛も芽生えて結婚すれば万事解決じゃん。やったね」
本音を話してスッキリしたのか千尋はいつもの調子で軽口を叩く。
「やったね、じゃねーよ! 俺と綾瀬が望まぬ結婚してんだろ! ……こほん、まあその辺の詳細は綾瀬から連絡来るだろ。うーん、とりあえず、アレか? 今から千尋が結婚したいって思う相手を見つけて、俺が勝ったらそいつと結婚するみたいな感じにするか? だったら俺の友達でも――」
「それは嫌」
「あ、そうすか……」
俺の友達は嫌ですか、そうですか。類友だからか? そうですか……と公太がしょげていると、室井が補足する。
「それに綾瀬様も花巻君が名乗りを上げたからこの勝負を提案したのでしょうし、代打役を見つけるのは難しいでしょうね。ましてや千尋様の乙女心をくすぐるような殿方が短期間で見つかるのか……」
「それもそうですね。千尋、何か良い男の心当たりあるか?」
室井の言葉を引き取り、公太が問いかけると千尋は口元に手を持っていく思案顔。
「ごめん、全然ないや。都合の良い男なら目の前にいるけど、そういう訳じゃないもんね」
「おいやめろ。都合の良い男ってのは俺によく効く」
公太は必死にアプローチしていた女子にそのような陰口を叩かれていたことを知った時の心境に陥り、胸を押さえる。
「じゃあ室井は? 室井って相当モテてなかったっけ?」
なるほど。たまに出る変態性のせいで頭から抜け落ちていたが、室井も千尋とは違うタイプの美人だ。男からも相当アプローチを受けたに違いない。しかし、室井は申し訳なさそうに頭を下げた。
「すみません。私確かに男性の友人はおりますが、この仕事に就いてからは千尋様のご尊顔を眺めるうちにその方々の顔がイマイチ思い出せなくなっております」
その友人が聞いたらその場で泣き出しそうな理由である。
「ええ……大丈夫? もし調子悪かったら病院で一度診てもらった方がいいよ」
「勿体ないお言葉、ありがとうございます」
当の千尋は本気で心配そうだが、室井は千尋に顔を寄せられ頬を赤らめている。うん、これはある意味では病気は病気だが、病院に行く必要はないだろう。ただ、たまにはその友人達の為にも顔は思い出してあげてほしい。
だが、こうなると本気で手詰まりだ。こうなったら仕方あるまい。公太は自分の考え――いや、考えと呼ぶには粗末なそれを口にする。
「こうなったら仕方ない。普通に綾瀬との約束通り、俺が出るよ」
「え、でも……」
「社長が千尋の身を案じているのは本気だ。本気の思いに対してこっちがウソや誤魔化しで逃げようとするのは不誠実だろ。……まあ、俺がここにいる時点でウソや誤魔化しはやっちゃってるけどな」
「お父さんは自分の会社の為にそうしてるんだよ」
「それでもだ」
公太がそう言い切ると千尋は尚も不満の残る表情を浮かべている。室井は黙ってそのやりとりを見ている。
「そもそも、そのことについてもちゃんと社長と話したのか? 社長の口からそう聞いたのか?」
「それは……」
「確かに話を聞いている限りは社長は少し……いや、相当配慮が足りてないと思う。だけど、そこに千尋を思う気持ちがないとは俺は思えない」
正直そう思う根拠は何かと聞かれれば答えることができない。これはただの直感である。でもそういった直感は得てして当たっているものだ。
「だから、千尋。俺は必ず勝つから、そうなったら社長に本音をぶつけろ」
公太は力を込めて、千尋の目を見据える。
昭仁氏の思いは公太にもホントのところはさっぱり分からない。だが、この天月親子――特に父から娘への矢印は歪に思える。その歪さには必ず理由がある筈。そして、その歪さからこの2人の関係はこじれている。だから、そこを修正するにはコミュニケーションしかない。
千尋は普段あまり見せない公太の真剣な眼差しに物おじしたように見えたが、すぐにフンと鼻を鳴らす。
「わかった。でもそんなこと言って負けたら承知しないからね」
憎まれ口を叩くこともしっかり忘れていない。その勝気な表情には先程までの迷いはもうない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます