第10話 伝えたい気持ち
翌日、ミシェルはいつものように図書館へと向かった。
昨日の今日で寝不足だが、それくらいで休むわけにもいかない。
「あら、せっかくイヤリングをもらったのに、してこなかったの?」
ニヤニヤとするエミィに、ミシェルは力なく答える。
「それが……失くしちゃいました……」
「うそでしょう!?」
「私も嘘だと思いたいです……」
ガクッと項垂れると、エミィに憐れみの目を向けられる。
「まぁ、失くしちゃったものは仕方ないわよね……元気出して、ミシェル」
「うう……」
時間を巻き戻したいと思ってもどうにもならない。落ち込みながらもいつものように仕事をしていると、一人の老騎士が図書館に入ってきた。ワトキンだ。
「おお、おったおった」
「昨日の……ワトキンさんですよね。どうされたんですか?」
「団長のお遣いだよ。これをお嬢ちゃんに渡してくれと頼まれてな」
ワトキンの手から渡されたのは、ペリドットのイヤリング。昨日、確かにプレゼントされ、失くしてしまったものだ。
「これ……っ!」
「昨日の男の中に、手癖の悪い奴がおってな。団長が自分でお嬢ちゃんに返した方がいいと言ったんじゃが、早い方がいいだろうとわしが遣わされたのだよ」
団長はそうそう仕事を抜けられはしないだろう。来るとなると、仕事を終えた夕方になっていたはずだ。
ミシェルの心労を考えて、早く届けてくれたその気持ちに、胸の奥が温かくなる。
「ワトキンさん、わざわざありがとうございました! スタンリーさんにも、ありがとうとお伝えください!」
「いやいや、それはお嬢ちゃんが自分で伝えなさい。団長は、仕事が終わったらここにくるつもりのようだったからな」
「は、はい!」
ワトキンが帰っていくと、隣で見ていたエミィが「良かったわねぇ」と微笑んでくれている。
オリーブグリーンに輝くイヤリングを見ていると、涙があふれてきた。
見つかって良かった……本当に……っ
ミシェルはそのイヤリングを、そっと抱きしめるように胸に当てて握った。
夕方になると、ワトキンの言った通り、スタンリーが図書館にやってきた。
「ワトキンからイヤリングは受け取ったか?」
「はい! 本当になにからなにまで、ありがとうございました!」
受け取った証拠にイヤイングを出して見せると、スタンリーはほっと息を吐いて笑った。
「ちゃんとミシェルの手に戻って良かった。もうミシェルの泣き顔を見るのはごめんだ」
「す、すみません! きたない顔を見せちゃって、恥ずかしい……っ」
「いいや、泣いたミシェルも可愛かったが」
ふっと目を細められると、ミシェルの耳は破裂したかのように熱くなる。
そんな言葉をさらりと言ってしまうなんて、反則だ……と手足をもぞもぞさせた。
「す、スタンリーさんだってかっこよかったです……あんな屈強な男たちを一喝でねじ伏せて、私を助けてくれて……」
「これでも騎士団長だからな。あいつらにはきつい灸を据えておいた」
かっこいいと言ってスタンリーも照れさせたかったのだが、彼は動じることなくその言葉を受け入れている。
きっと、言われ慣れているんだろうなぁ。
背が高く、男らしい顔立ちに、誰もが憧れる騎士団長。結婚していないのが本当に不思議なくらいだ。
「ミシェル、今日は何時までだ?」
「七時の閉館までですが」
「そうか」
それだけ言うとスタンリーはカウンターから離れ、館内の本棚を物色し始めた。
時刻は現在五時三十分。
彼はなにか本を借りて帰るのかと思いきや、そのまま七時まで館内で本を読んで過ごしていた。
「すみません、閉館の時間です」
ベルをリンリンと鳴らしながら館内を歩くと、椅子に座っていたスタンリーは立ち上がって本を元に戻した。
中に人が残っていないかしっかり確かめてから図書館を出ると、スタンリーがそこで待っていた。
「スタンリーさん……」
「送ろう」
その言葉に、ミシェルは思わず顔がへらりと緩んでしまう。
「あ、ありがとうございます!」
ミシェルは急いで鍵を掛けて、スタンリー目を合わせた。
「あの、まさか、このために待ってくれてたんですか?」
「いいや。読みたい本があったから、たまたまだ」
絶対嘘だ、と思うのは、そうであってほしいという願望のせいだろうか。
「ちょっと待っててくださいね。鍵だけ返してきますから」
そう言ってミシェルは、王立図書館の管理を任されている隣の家に鍵を返しにいくと、急いでスタンリーの隣にちょこんと並ぶ。
「ふふ、今日もスタンリーさんと一緒に帰ることができるなんて思っていなかったから、嬉しいです」
「ああ、俺も嬉しい」
オリーブグリーンの瞳を細めて笑ってくれるので、ミシェルも彼に合わせて微笑んだ。
「お仕事、大変でしたか?」
「昨日の残務処理があったくらいで、そんなには。平時の騎士など、暇なもんだよ」
「いいことですね」
「ああ。事件も戦争もなく、平和ってことだからな」
そうは言うが、トップに立つ人間というのはなにかと忙しいものだろう。
貴重な時間を自分のために割いてくれたことが、単純に嬉しい。身体の中から温かいものが溢れてくるようで、勝手に上がってしまう口角を抑えるために両手で頬を隠した。
「ところで、ミシェルはウィルと昔からの知り合いか?」
「ウィルフレッドさんですか? ええ、私がここで働く前からよく図書館で会いまして、図書館仲間ですが」
「それでか……」
「なにがですか?」
「昨日ウィルが、ミシェルをいつものように送るとかなんとか、言っていただろう」
「え、私、ウィルフレッドさんに送ってもらったこと、あったかな……」
記憶を漁ってみても、送ってもらった覚えはなかった。
なにかの勘違いだろうかと首を傾げる。
「あいつはいつも、ミシェルのことをべた褒めしているよ」
「本当ですか?」
「ああ。かわいいとか、しっかりしているとか、嫁にするならミシェルのような女性がいいとも言っていた」
「そ、そうなんですか? 褒められると、照れちゃいますね」
あまり褒められることがないものだから、すぐ顔が熱くなってしまう。
「ミシェルはウィルのことをどう思っているんだ?」
「いい人ですよね。ちょっと軽く見られがちですけど、本好きな人に悪い人はいません。実は勉強熱心な人だし、私なんかにも優しくしてくれるし、素敵な人です」
「あいつを理解してくれる人がいるのは嬉しいな。ウィルに伝えておいてやろう」
「いえいえ、いいです! 伝わったら調子に乗りそうだし、もしも言うなら自分の口から伝えますから」
「……そうだな。余計なことをするところだった。すまない」
「いえいえ、謝らなくても!」
そんなこんなを話しながら歩いていたら、あっという間に家の前に着いてしまった。
このままスタンリーは帰ってしまうのだと思うと、名残惜しい。
「じゃあ、俺はここで……」
「ま、待ってください!」
ミシェルは思わず、スタンリーの袖を掴んで止めてしまった。
「えっと、その……少し、上がっていきませんか?」
イヤリングのお礼と、そして……できればちゃんと告白がしたい。
おそらくスタンリーは、ミシェルを送るためにずっと待っていてくれたのだ。ミシェルの思い上がりでなければ、だが。
告白して、うまくいく気がしてしまっていても仕方がない。
しかし、『上がっていく』という答えを期待していたミシェルは、首を振るスタンリーを見て眉を下げた。
「今日は遠慮しておくよ」
「そう……ですか……」
上がっていかないと言われただけなのに、振られてしまったような気分になって、がくりと肩を落とす。
「いや、昨日の今日で疲れているだろう。目の下に、その……クマが」
「え?!」
「今日はゆっくり眠るといい」
そういえば、昨日はお風呂にも入る暇がなかったし、髪の毛もボサボサだった。こんな状態で告白なんてとんでもない。
「そ、そうですね……っ! 今日は、早く寝ようと思います!」
「ああ、それがいい」
よく見ると、スタンリーにも少しクマが出ている。昨日送ってくれた後、戻って男たちの処分を決めていたのだろうし、スタンリーの方が疲れているはずだ。
早く帰りたかっただろうのに、私のことを待っていてくれたんだ……。
そう思うと、たまらなくなって今すぐ告白したくなってしまったが、ミシェルはグッとこらえた。
「じゃあ、また」
「え、ハグしないんですか?」
あっさりと帰ろうとするスタンリーをまたも引き止め、自分で言った言葉に自分で驚く。心の中で言ったつもりが、声に出てしまっていたようだ。
スタンリーは申し訳なさそうに眉を下げて、苦笑いしている。
「いや、実は昨日、風呂に入っていなくてな。ミシェルが嫌がるかと思って」
「そんな! ハグ、してほしいです! その……私もお風呂に入ってないので、スタンリーさんが嫌じゃなければ、ですが……」
色々恥ずかしいことを言ってしまって、顔に熱が集まってくる。
するとスタンリーは、苦かった顔を優しい笑みに変えた。
「俺もハグをしたいと思っていた」
その一言に、身体中の血が沸騰するんじゃないかと思うほど熱くなる。
ゆっくりと手を広げたスタンリーに、ミシェルはハグとはいえないほどのダイビングをみせた。
「スタンリーさん……っ」
「ミシェル」
ミシェルはその腕の中で、彼を見上げる。
「私、あのイヤリング大切にしますね。大事な日には、必ずつけます」
「そうしてくれたら、俺も嬉しい」
オリーブグリーンの瞳が優しく煌めく。
ミシェルの頬も、自然と上がって笑顔を見せる。
好き。
その気持ちを、絶対に伝えたい。
身分差があるからという理由なんかで、諦めたくない。
ミシェルは、最高の自分でスタンリーに告白する、とその時に決めたのだった。
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