第4話 誰も傷つかない。傷つけさせない。

 幼い頃の大和は、シーカーが嫌いという、珍しい子供だった。


 人類を【アポリア】の脅威から守るシーカーは人類の救世主であり、誰もが憧れる存在だ。


 アポリアとは、21世紀前期、宇宙から降り注いだ星間移動生命体だ。


 星の生命体を食い尽くしながら星を渡り歩く奴らは星喰いと呼ばれ、この地球ではもっとも数が多く強い魔力パトスを持つ生命体、つまり、人間を主食にして生きている。


 メディアはアポリアの脅威と同時に、シーカーたちの活躍を報じ、人々は不安と希望の間で生きていた。

 その一方で、大和の印象は違った。


 ――シーカーがみんなを助けるヒーローなら、なんで僕のことは助けてくれないんだろう。


 救われることのない、いじめられっ子だった大和にとって、シーカーはインチキだった。

 無論、シーカーの仕事はアポリアから人々を救うことで、イジメ対応ではない。

 でも、幼い大和にはそんなことはわからなかった。


 ――助けるのは目立つ大勢で、1人2人の困っている人なんてどうでもいいんだ。


 その上、子供たちのシーカーごっこで、大和はいつもアポリア役だった。シーカー役のいじめっ子たちに痛めつけられる中で、大和はシーカーといじめっ子を混同するようにすらなっていた。


 けれど、そんな大和の人生観は、たった1人のシーカーによって一転することになった。



 小学校3年の春。

 大和はいつも通り、家の山林の中で、独りで遊んでいた。


 空間に表示したMR映像の敵と戦うMRゲームは、広い場所でないと楽しめない。嫌いなクラスメイトたちのいない家の山林は、誰にも邪魔されずに遊べる、絶好の場所だからだ。


 でも、それが裏目に出た。

その日、人口の少ない田舎にはほとんど現れないはずのアポリアが、何故か町に現れた。


 しかも、大和は人気のない山林で、何故かアポリアに襲われた。

 運が悪いとか、そんな次元では済ませられない事態に、大和は絶望していた。


 薄暗い山林の中、大和は血を滴らせながら転んで、坂を転がり落ちた。

 坂の上からは、顔に青いラインの入った、灰色の肌のニンゲンが追ってくる。


 アポリア、それも、【ネームド】と呼ばれる上位種だ。

 アポリアは、その星でもっとも繁栄した生物を模倣して、自身を環境に適応させる。地球では人間だ。とはいっても、ほとんどは顔も無いような雑な人型で、人間らしさは皆無だ。


 だが一部の上位種は、星の記憶にアクセスして、過去に存在した強力な個人を直接模倣できるらしい。つまりは、歴史に名を残した、英雄たちだ。


 大和を追いかけるアポリアは、目鼻口がはっきりと見て取れ、軽装鎧けいそうよろいの細部まで再現され、右手には槍が、左手には剣が握られている。


 ディルムッド。古代アイルグランドのフィアナ騎士団で、勇名を馳せた魔術ロゴスの使い手だ。


 ソレが、みるみる距離を詰めてくる恐怖に怯えながら、しかし大和は立ち上がれなかった。


 転んだまま、足に力が入らない。

 恐怖のせいもあるが、全身に刻まれた切り傷からの出血が、致命的なレベルに達している。


 自分の血の匂いと、草木を踏み潰すアポリアの足音が、大和の恐怖に拍車をかけていく。


「イヤだ、イヤだ、誰かぁあああああああ!」


 大和が転がり落ちた場所は、町を一望できる開けた場所だった。

 今頃、町ではシーカーたちがアポリア討伐に活躍中のはずだった。

 アポリアに背を踏みつけられ恐怖が加速する中、大和は必死に町に向かって手を伸ばした。

 ここにもアポリアがいるよ。自分がいるよ。だから助けてよ。


 無駄だとわかっていても、すがらずにはいられなかった。

 そして、願いは届いた。


「そこまでだ!」


 鋭い声を大和が仰ぎ見ると、シーカーの制服である、白ランに身を包んだ男性が、空から舞い降りた。


 彼は着地と同時に剣を構え、大和を踏みつけるアポリアと対峙した。

 大和は、全身の痛みが引くほどの希望に涙腺が熱くなった。


 ――助けに来てくれた。みんなの言う通り、シーカーは本物のヒーローだったんだ。


 しかし、大和が安堵したのも束の間、アポリアは不意に、弾丸のような勢いで右手の槍を投げ飛ばした。シーカーとは別の、明後日の空、目掛けてだ。


「ネームドには多少の知恵があると聞いていたが、目標も定められないか? いや、そもそも町外れの、こんな人気のない場所で子供を追い回すぐらいだ。大した知能も……!?」


 槍を視線で追いかけたシーカーの顔色が変わって、大和も首を回した。


 アポリアが槍を投げた先に目を凝らすと、日の落ちかけた空で、白い機影が動いていた。

 おそらく、旅客機だろう。

 その機影が欠けて、何かが落ちて、機影そのものが大きく高度を落とした。


 アポリアの顔に、ニヤァァァァッと邪悪な笑みが広がっていく。

 その表情の意味は、子供の大和でもわかった。


 飛行機が墜落するのには、5分もかからないだろう。

 この場で上位アポリアであるネームドと戦っている間に、乗客の生存率は秒読みで下がっていくに違いない。

 むしろ、今すぐ駆けつけても、間に合うかわからなかった。


 シーカーは、額に一筋の汗を流しながら、大和と飛行機の間で視線を動かして逡巡すると呟いた。


「すまない」


 握り拳を震わせて、シーカーの男性は飛行機へと飛び立った。


 無情にも遠ざかっていく白い背中に、大和は失望感で声を失い痛みを取り戻した。


 刹那、アポリアの爪先が、大和の華奢なわき腹を蹴り飛ばした。

 これがネームド故の知性なのか、時間をかけ、楽しみながら大和を殺すつもりらしい。


 蹴られて、踏まれて、剣で刺されてねじられて、なのに助けが来るどころか見捨てられた。

 あらゆる痛みと恐怖の中で泣きじゃくりながら大和は思った。


 ――なんで誰も助けてくれないんだろう。なんでこんなに痛くて辛くて怖くて苦しいのに、誰も助けてくれないんだろう。俺はここにいるよ、ここに敵がいるよ。警察でもシーカーでも誰でもいいから来てよ……。


 でも、そんな奇跡が起こらないのは、大和自身が1番わかっている。


 ――そうだよね……僕1人なんかより、みんなのほうが大事だよね。仕方ないよ。僕だって、1人と100人なら、100人を助けるもん……だから、これは仕方ないんだ。


 子供が辿り着いてはいけない境地に辿り着いた直後、大和は人形のように投げ飛ばされた。


 木に激突して背中と後頭部に強い衝撃が突き抜けて、肺の中の空気が全部押し出された。


 大和がぐったりとして動かなくなると、地面からイバラのようにトゲのある槍が何本も生えてきて、全身を拘束されてしまった。


 アポリアの右手の平から、新たな槍が生じて、投げ槍の体勢に入った。トドメを刺し、捕食するつもりなのだろう。


 アレが放たれたら死ぬ。だけど、それは仕方ない。大勢のために1人を見捨てるのが、最善なのだから。自分が見捨てられるのは必然なんだ。


 そうして大和が死を受け入れた時、彼の意に反して目から涙がこぼれた。



「  助けて  」



 アポリアの体が大きくしなり、弾丸のような勢いで槍が放たれた。

 その時、太く力強い声で【彼】が言った。


「助けに来たよ。平和のお兄さん、浮雲うきぐも秋雨あきさめがLOVE&PEACEと共にね!」


 そこに立っていたのは、水色の髪と目が特徴的な、壮年の男性だった。

 シーカーの制服である白ランに身を包み、満面の笑顔で、彼は親指で自身を指していた……背中から槍を生やしながら。


「……あの、槍」


 槍をわしづかみにすると引き抜き、森の中に投げ捨て、彼は血塗れの背中越しにスマイルを1つ。


「刺さっていないよ」

「……あの、血」


 突如、彼の背中が噴火して、制服の後ろ半分が燃え尽きた。


「流れていないよ。一滴も」


 血で汚れた制服は燃え尽きて、槍の刺し傷は、ピンポイントで焼き潰れていた。確かに、血は一滴も流れていない。

 その向こう側で、アポリアが剣を手に、秋雨に斬りかかった。


「前!」


 秋雨は大和から笑顔を離さず、アポリアの顔面を殴り飛ばした。

 それだけで、アポリアの首から上は粉々に爆散した。大和を拘束する槍も塵と消えた。


「ほら、もう悪者はいないよ」


 あり得ない。夢でも見ているような光景に大和は痛みも忘れて呆けてしまった。

でも、すぐに現実が追いついた。


「な、なんで僕を助けてくれたの?」

「通信はオープンチャンネルだからね。君のピンチはすぐわかったよ」

「だって飛行機が」

「命は数字じゃないからね」

「けど、飛行機が、間に合わないよ、さっきの人だけじゃ」

「いや、間に合わせるんだよ。みんなも今、君と同じ恐怖を味わっているのだから。ここは危ない、君も来るんだ」


 そう言いながら、彼は大和を背中に担ぐと、空へ飛び上がった。


 その間も、大和は怖かった。もしもこれで飛行機の人たちが助からなかったら、それは自分が殺したようなものではないかと。


 すると、そんな大和の心を見透かしたように、秋雨は頼もしい声で語り掛けてきた。


「誰も傷つかない。傷つけさせない。君も味わった恐怖を私は駆逐する。それがシーカーだ!」


 秋雨に背負われる大和の目には、焼き潰れた槍傷が映った。

 彼の勇ましい声と笑顔に、そして広い背中に、大和は無限の勇気を貰った。


 同時に、自分の道を見つけた。


 自分も味わった、アポリアに襲われる恐怖と絶望。あんなものが世界には蔓延はびこっている。


 助けなくっちゃ、それが、幼い大和の正直な想いだった。アポリアの恐怖を知っていながら、ほうっておくのは、見殺しにするようなものだと感じた。だから、大和は決めた。

 

 アポリアの脅威に怯える全ての人を助ける。そして、この世からあの絶望を駆逐してやる!

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