第21話 またいつか
「は!?バイト辞めるって…そんな急に!」
マスターは驚いた表情でカウンターから身を乗り出してそう言った。
俺がバイトを辞めると言った理由は、あのルィリア・シェミディアという女に養われる事が決まり、それと同時にこの闇市とあの家から離れる事が決まったからである。
「ああ…本当に急で申し訳ない」
「どうしてだよ!?」
「あのさっき来た女…ルィリアって人に養われる事になった。だから闇市から離れる事になるんだ」
「…いやいや待て、色々とツッコミ所があるが…お前はそれで良いのかよ!?」
「…ああ、咲薇の目が見えるようになった以上、どちらにせよここには居られない…咲薇には、闇市なんて裏社会を見せたくないんだよ」
「おいツッコミ所が増えたぞ!?妹さん、目が見えるようになったのか!?」
「ああ。ルィリアが編み出した魔術によってな…当然、俺の事も見えてるみたいだった」
「そうか、それは良かったな…あぁ…寂しくなんなぁ」
最初こそ質問攻めだったものの、そこから理解するまでは意外に早かった…が、口ではそう言いつつ納得はいっていなかったのか、マスターは頭を掻きながら「寂しくなる」と呟いた。
ふと、俺の裾がぎゅっとつかまれる。
「シン、とおくに行っちゃうの…?」
「ルクスリア…」
俺の裾をぎゅっとつかんで、今にも泣きそうな表情で俺を見つめるルクスリアはそう言った。
そうだよ、と正直にいう気が失せてしまう程の悲しそうな表情に、俺は返答に困った。
「…まぁ、定期的に戻ってくるから」
「ほんと?」
「多分…いや、本当だ」
「そっか…寂しいなぁ…うぅ…」
ルクスリアはそう言うと、俺の二の腕に自身の顔を当てて、そこから啜り泣く声が聞こえてくる。
なんだか、自分は間違った選択をしてしまったような気分になってきたが、このいわゆる引越しは、咲薇の為なのだ。
咲薇が闇市という裏社会を見ないように…純粋で居てほしいから。
「…シン」
声の方向に顔を向けると、見覚えのある黒い物体が俺の目の前に飛んできて、俺は瞬発的にそれを掴み取る。
飛んできた物体は、ハティから譲り受けたものと瓜二つな…あの黒い剣だったが、1本目と違うのは、持ち手の部分に赤い宝石のような物が埋め込まれていた。
「ハティ…随分用意がいいな」
「シンに渡したものの他に2本あると言っただろう?それは俺からの餞別だと思って受け取ってくれ」
「いいのか?そしたらハティのは1本に…」
「そんなもの作ろうと思えば幾らでも作れる…気にするな」
このハティから譲り受けた2本目の黒い剣…これも1本目と同じ物という事は、これは黒曜石が使われている貴重な剣という事だ。
前にも言ったような気がするが、この異世界では黒曜石はいわゆるレアメタルとされていて、基本的に高額で取引されている。
とても頑丈だがそれ故に加工するのも一苦労するらしく、黒曜石が使われた武器やアクセサリーはそれなりの値が張る。
ましてやハティはそんな武器を俺に譲ったものを含めて3本所持しているというのだから、ハティってかなり金持ちだよなぁ。しかもその3本の内の2本をただ行きつけの店の仲良いバイトに渡すなんて…ハティにとって俺ってそんなに特別な存在なのだろうか?
「…だが気をつけろ、あの女は何かを隠している。それがきっと凄まじい魔力の理由になっているだろう」
「重々承知だ、気をつける」
「あー!ハティずるーい!拙も何かせんべいを…」
「“せんべつ”な」
「えへへ…はい、せんべつ!」
ルクスリアは元気そうにそう言うと、餞別のつもりなのか俺の頬にキスをした。
「!?」
「絶対にてきてきに会いに来てね!」
「…“ていきてき”な」
「えへへ…ていきてきにね!」
ルクスリアは先程まで寂しさで泣いていたとは思わせないとびきり明るい笑顔で笑っていた。
そんな会話を交わした後、俺の目線は自然とマスターの方に向いた。
「…なんだよ、その“お前は何もくれないのかよ”みたいな目は」
「いや…別に無ければ無いで良いんだ」
「じゃあ無い」
「そうか…みんな、この1年間世話になったな」
「本当に良いのかよ!?」
「何だ?何かくれるのか?」
「はぁ…お前なぁ…たく、ちょっと待ってろ」
そう言うとマスターは頭を掻きながらバックヤードに入っていった。数秒後に戻ってくると、俺に何かを差し出した。
「何これ?」
「ん、あの女が落としたモンだ」
そう言い、マスターは俺の手にルィリアが落とした…グリモワール・レヴォル賞を受賞した証である徽章に、金色のチェーンが付いているものを落とした。
「えぇ…肌身離さないためにネックレスにしてたんじゃないのかよ…」
「あの女、天才っていう割にだいぶドジだな…こんな大事なモン落とした事に気付かねぇとは」
「まぁ俺が半ば強引に連れ出したしな…今頃無い事に気付いて焦ってるだろうな」
「じゃ、渡しておいてくれ」
「わかった…って、これがマスターの餞別かよ!?」
次の瞬間、闇ギルド全体が笑いに包まれた。
〜
笑いに包まれながら俺は別れを告げて闇ギルドを出ると、ふと辺りの景色を見渡す。
辺りに死体がゴミのように転がってるような醜い景色に、闇市全体を漂う耐え難い死臭…とっくに慣れてしまったこれらも、定期的にマスター達に会いに来るとは言ったものの、しばらくは経験する事が無いのだ。
マスター達にはあっても、当然この風景は一切名残惜しくはない。
俺が戻ってきた時には、この風景を綺麗にしてくれていると良いな…なんて、絶対に無い事を理想する。
「…じゃあな」
俺は独りそう呟くと、暗く不気味な…しかし慣れてしまった闇市の夜道を歩き出した。
直後、俺の目の前に見た事があるような無いような、まるで御伽噺にでも出てきそうな馬車が止まった。
「シン君!大変ですっ!」
人間を乗せる荷台のカーテンから、聞くだけで疲れてくるような声が聞こえてきた。
「…来るなって言っただろ!」
「わかってますけど、事態は一刻を争うほどに大変なんですっ!」
「…おい、何があったんだよ」
ルィリアの明らかに焦っているような表情に、俺は少し嫌な予感がした。
まさか、咲薇の身に何かあったのでは無いのか?ルィリアの魔術による副作用とか、何者かに連れ去られたとか…。
「徽章が無いんですぅっ!ずっと身に着けてた筈なのに無いんですっ!!このままじゃ私…」
「はぁ…」
俺は思わずため息をついた。しかしそれは呆れともう一つ…安堵も含むため息だ。
そんな事だろうとは思ってはいたが、どうやら咲薇は関係無さそうで何よりだ。
「何ため息を吐いてるんですかっ!事態は一刻を…!」
「ほらよ」
俺は胸ポケットからルィリアが闇ギルドでどこかのタイミングで落とした金のチェーンが付いた徽章を差し出した。
すると、ルィリアの焦っていた表情は、ぱぁっと明るくなっていった。
「あ…ありがとうございますっ!見つけてくれたんですね!」
「まぁ…な」
ルィリアは俺からネックレス状の徽章を受け取ってそれを首に付けると、安堵の混じったため息を吐き、愛しそうに徽章に触れる。
「…そういえば咲薇は?」
「サクラさんなら、ここに居ますよ?」
「何で連れてきた!だから来ないでくれって言ったのに!」
「しーっ!起きちゃったらどうするんですか…!」
ルィリアは自身の口に人差し指を当てながらそう言う。
どうやら咲薇は眠っているようだ。
…ていうか、さっきまで徽章無くして大声出してたお前が言えた事じゃないだろ。
「何だ寝てんのか…良かった…咲薇にこんな景色、見せたくなかったからな」
「そうですね…さ、早く乗ってください!」
そう言いながらルィリアは扉を開ける。
「いや待て、まだ俺の着替えとか…」
「それならもう既にサクラさんが準備してくれましたので、ご安心を!」
「そ、そうか…」
俺は謎の違和感を覚えつつ、人間を乗せる荷台へと入っていき、そのまま馬車は走り出してあっという間に闇市を抜け出していった。
ふと俺はカーテンを開けて、闇市の外…王都の景色を眺める。初めて見たという訳ではないので、別に心が躍ったりもしなかった。
ただ、前世でいう街灯の代わりにこの世界では異世界らしく松明が使われている為、少しだけ幻想的で、まるで辺りを照らす淡い炎の光が蛍のようだった事が、やたら印象に残った。
「…にしても、よく馬車を雇えたな」
「当然です!だって私、お金いっぱい持ってますから!」
そう言うとルィリアは現金を取り出し、とんでもない数の紙幣をドヤ顔で俺に見せつけた。
もし前世なら、ギャンブルで一発大当たりでもしないと手に入らない程の金額なのだろう。
「まぁ、家に行けばもっとあるんですけどね」
「…何で俺達を養うなんて言い出した」
「そもそも私がシン君の元へ来たのは、シン君を研究したかったからです。ですが成り行きで妹のサクラさんに
「なら、アンタもあそこに泊まれば良いんじゃないのか?」
「嫌ですよあんな薄暗いところ。まぁ、人目に付かないというのは良い点ではありますが…」
「おい…過去形とはいえ俺達が住んでた場所を悪く言うなよ…」
「それに、君達兄妹は世界を知らな過ぎです。特にサクラさん…幾ら目が見えなかったとはいえ、王都も…自分が何処に住んでいるのかすらもわからないなんておかしいです」
「…」
俺は咲薇を守るために、危ない目に遭わせない為にあの家にずっと留守番させていた。更に加えて咲薇は目が見えない為、尚更外には出さない方がいいと、そう思っていたが… 確かに、ルィリアの言う通りだ。
咲薇が将来を共に歩むパートナーを見つけるまで俺が守る…そう言っていたが、よく考えてみたら外の世界を知らなければパートナーを見つける事も出来ないじゃないか。何でこんな簡単な事がわからなかったのだろう。
多分、出来る事なら本当は、俺も咲薇と一緒に居たいのだろう。目が見えないのを…目が治らないのを理由に、俺がずっと側で手を繋いで、咲薇を導いてあげたかったのだろう。
…我ながら、歪んだ愛情だ。
「…君達はもっと世界を知るべきです。そして、もっと私の凄さに気付くべきです」
「おい、最後のが本命だろ」
「はいっ!」
ルィリアのこれ以上無い元気の良い挨拶によって、全部台無しになった。
だがどちらにせよ、お陰で俺の中にある…自身の咲薇に対する歪んだ愛情に気付けた。が、絶対にルィリアに感謝は伝えない。
「サクラさんだって、外の世界を見たがっていました…なら、君達がこちらに来た方が絶対良い筈です!私的にも、君達が私の家に来てくれた方が好都合ですし!」
「好都合って…俺達は何をされるんだ」
「さぁ…何をしてしまうんでしょうね?」
ルィリアは下唇を触りながら、まるで何か企んでいるようにくすくすと笑いながら俺を見つめた。
「すいませんここで下ろしてください」
「あーっ!冗談冗談!!冗談ですからっ!ただの研究です!研究に付き合ってもらうだけですから!」
本気で降りようとしていた俺を、ルィリアは全力で引き留める。
「研究?グリモワールなんとか賞を取ったんなら、もう研究なんてする必要無いだろ」
「そ、それは…研究というのは常に、完成品を上回るより良い物を求める物です!確かに
ルィリアは俺に顔を近づけ、魔術の研究について熱弁する。
「…まぁとにかく、研究に終わりは無いってのは理解したが、俺も咲薇も当然だが魔術の研究なんて出来ないが?」
「え?ですがシン君、君はあの炎の翼を展開していましたよね…?」
「え、あぁ…」
「普通、魔力によって出力された炎には人間の身は耐えられない筈です、それこそ専用の防具でも着ていなければ。でもシン君はそれをあろうことか生身で長時間耐えていました…なので恐らく炎の出力を人間の耐えられる程度に調整している筈なのですが…でもそうすると空を飛べる程の出力は出ない筈なんです。あの炎の翼は一体どんな原理で…?」
「…その場のノリだ」
ルィリアが長々と考察を交えて俺に疑問を聞いてきたが、俺はその疑問を簡単に答えた。
「…ふぇ?」
「魔力の調整とかそんな難しい事は一切してない。あれはただの“火事場の馬鹿力”って奴だ」
「えっ…じゃあ、あの炎は一体…?」
「
「えっ!?あの炎の翼が
「ああ」
「…いや、でも例え基礎魔術の
ルィリアは俺が使った炎の翼…
そもそも
というか、俺が
まぁ、ルィリアの言う“人の身では耐えられない”の限度にもよるが。
「…まさか、俺が人間じゃないとか言い出さないよな」
「わかりません…ですが、それを確かめる為に、シン君の体を研究するんです!というか元々それが目的であの場所まで出向いてたんですから!」
「そうだったのか…」
確かに、闇ギルドで俺を見つけた時のルィリアの反応…あれは探し求めていた炎の鳥人…俺という研究対象がようやく見つかってテンションが上がっていたという訳か。
「…まさか」
ルィリアは結論に至ったのか、そんなリアクションをする。
…まぁ、どうせ外れているんだが。何故なら、どんな結論が出ようと、“俺が人間じゃない”というだけで間違っているのだから。
「どうかしたのか?」
「シン君…君はもしかして、異世界からの転生者?」
「…え?」
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