第20話 ふっかつ

「何してんだ、早く!!」


 何も無い暗闇の世界で、急ぐような声が聞こえる。

 …お兄ちゃんの声だ、お兄ちゃんが帰ってきたんだ。でも、言葉的に誰かを連れてきているみたい。あの声が大きいおじさんだろうか?


「はぁ、はぁ、はぁ…ちょっと待ってください!疲れました、休ませてください…!」


 次に、バタバタと鳴る足音と共に息を荒くした女の人の声が聞こえてきた。

 …知らない人の声だ。お兄ちゃんとはどういう関係なんだろう?まさか恋人…いや、そんな訳は無い。根拠は無いけど。


「あの距離なんてどうって事無いだろ!」

「いや10分以上走る距離はどうって事あるんです…!それに私、運動は大の苦手なんですよ…!!」

「とりあえず早く…!」

「わかりました、わかりましたから!ですが一つだけお願いがあります」

「何だ!?」

「…休ませてください」

「断る!」

「えーっ!」


 そんなスピード漫才のような会話をするお兄ちゃんと女の人に、私は気になったので壁伝いで玄関まで歩いていった。

 私はこの異世界に転生し、お兄ちゃんと第二の人生を歩んでいた…が、私は生まれつき病気で目が見えない。だから異世界でお兄ちゃんがどんなイケメンなのかも、自分がどんな顔をしているのかもわからない。

 ただお兄ちゃんの声と匂いに包まれるだけで、私はお兄ちゃんが側に居てくれているんだと、目が見えなくとも安心できるのだ。


「…お兄ちゃん?」

「あぁ咲薇!」

「この人がサクラさんですか…国王様と同じく珍しい髪色をしていますね」

「そんな事いいから!」

「んもう、わかりましたよ…シン君、サクラさんを座れる場所に」

「わかった。咲薇、手を出して」

「う、うん…?」


 私は何が起きているのか全く理解出来ないまま、お兄ちゃんがいるであろう方向に手を差し出すと、私の手をお兄ちゃんが握った。

 そのまま私はされるがままに手を引っ張られ、家のどこかに連れていかれる。この方向は…リビング?


「咲薇、ソファに座って」


 言われるがまま、恐る恐る重心を落とすと、お尻に柔らかいものが触れる。これはソファだろう。


「ねぇ、何が始まるの?」

「あ、サクラさん…目を瞑っててもらえますか?」


 知らない女の人の声は、私にそう言った。

 私が目が見えない事を知らないのだろうか…見えないのに目を瞑っても意味が無いとは思いつつ、私は言われるがまま目を瞑った。


「あの…貴女は一体?」

「天才です」

「…はい?」

「咲薇、コイツの言う事はあんまり気にしない方がいいぞ。考えるだけ無駄だからな」

「なんですか!サクラさんも私の事やグリモワール・レヴォル賞を知らないでしょうから、わかりやすく抽象的に私について教えてあげたんじゃないですか!」

「抽象的過ぎるだろ!“何者ですか”の返答が“天才です”って、頭おかしい奴だと思われても仕方ないだろ!」

「ふっふっふ、天才にとって頭おかしいは最高の褒め言葉なんですよ!ありがとうございます!」

「はいはい頭おかしい」

「バカにしてますよね!?」

「…あの、私いつまで目を瞑ってれば良いんですか?」


 相変わらずスピード漫才のような会話を繰り広げるお兄ちゃん達に、ずっと意味もなく目を瞑って待っている私は痺れを切らして少し機嫌悪そうに問う。

 突然声も知らない人が上がり込んで、漫才みたいな会話を始められて、目を瞑ってと頼まれて目を瞑ると、また仲良さそうな会話を聞かされる…よくわからないまま待たされている私としては、機嫌が悪くなるのは当然である。


「ああ…ごめんなさいっ!今やりますからねー…眼鏡掛けてっと…はい、じっとしててくださいねー…」

「…はい」

「はぁ…行きますよぉっ…ふぅ…完全治療クーア・アスクレピオスっ!!」


 知らない女の人はよくわからないおまじないのような単語を発すると、その直後に突然私の目が温もるような…心地良い感覚になる。

 この感覚は、前世でのホットアイマスクをした時と同じような感覚だった。


「…さぁ、これで終わりです。目を開けてみてください…あっ、ゆっくり開けてくださいね?」


 知らない女の人がそう言うと、私は徐々に何も映してくれない目を開く。

 すると暗闇だった筈の世界に、徐々に光が差し込んできた。私はその光があまりにも久々なものだったので思わず拒絶してしまう。


「うっ…」

「大丈夫か咲薇!?」


 お兄ちゃんの私を心配する声が聞こえる。

 再度、目を徐々に開けてみるとまた光が差し込んでくるが先程よりかは弱く、私は光を拒絶する事なく目を開くことが出来た。

 光を乗り越えたそこにはタキシードのような服を着た、一目惚れしてしまう程に素敵な男の人が私を心配そうに見つめていた。


「咲薇?俺の事、見えるか?」


 素敵な男の人の口から、お兄ちゃんのあの安心する声が聞こえてくる。

 という事は、この素敵な人が…私の。


「…お兄…ちゃん?」

「ああ…そうだよ…正真正銘、咲薇の兄だ…!」

「嘘…私、見えてる…!お兄ちゃんっ!」


 私は目が見えている事に…そして二度と見れないと思っていたお兄ちゃんの顔を見れた事に感動して、暗闇しか映してくれなかった筈の目から涙をこぼしながら素敵な人…お兄ちゃんに抱きついた。


「はぁ…この匂い…本当に、私のお兄ちゃんなんだね…」

「ああ、そうだよ」


 お兄ちゃんは優しい声でそう言うと、私の好きな匂いを纏いながら私を包み込んだ。

 というか匂いでお兄ちゃんだと認識するって、我ながら変態なのでは?お兄ちゃんに気持ち悪いって思われてないかな?


「やっぱり私の思ってた通り、すっごくカッコいいね」

「へへっ、だろ」

「うん…お兄ちゃん…大好き」

「俺もだ」

「あのー、感動のシーンを邪魔してごめんなさいなんですけど…」


 私とお兄ちゃんは抱き合っている中、学校の制服のような服を着た腰まで伸びている黒髪ロングヘアーの知らない女の人が水を差すようにそう言った。

 雰囲気ぶち壊しである。万死に値するね…と言いたいところだが、私の目が見えるようにしてくれたのはこの人のお陰なので、寧ろ感謝しなくてはならない。


「あっ、貴女が私の目を治してくれたんですよね…?」

「はいその通りですっ!私、ルィリア・シェミディアを褒め称えてくれても良いんですよ?」


 私の問いに、女の人改めルィリアさんは腕を組んで仁王立ちし、ドヤ顔で眼鏡を指でクイっと上げながらそう答えた。

 なんだろう…感謝の気持ちは当然あるんだけど、そんなテンションで言われるとその気も失せるというかなんというか。


「えっと、名前は存じ上げないけど…その、ルィリアさん、ありがとうございます!」

「うっそぉ…また名前覚えられてないぃ…」


 そう言うと、ルィリアさんは床に膝と両手をつけて、まるで絶望したかのようなリアクションをする。

 名前を覚えられていない、ということはもしかしてルィリアさんは実はかなり有名人なのだろうか?


「えっ!?そ、その…ごめんなさい!」

「気にするな咲薇、知らないものを正直に知らないって言うのは良い事だぞ」

「で、でも…」

「大丈夫、俺も知らなかったから」


 お兄ちゃんは私の肩にポンと手を置いてそう言ってくれた。

 いつもバイトをしに外へ出向いていたお兄ちゃんですら知らなかったという事は、あんまり有名じゃないって事かな。

 ルィリアさんは、例えるなら事務所に入ったばかりでまだ世に顔も出していないのに有名女優気取りしている新人女優と同じなのだろう。


「そっか、じゃあ仕方ないね!」

「うぅっ…本当に知らなそうなのがより私を傷つける…でもそこに悪意が無いのが辛いですっ…」

「仕方ないだろ。何度も言ってるが、この世界はアンタが生きてた世界と違うんだ…ましてや咲薇の場合、目が見えなくてずっとここで過ごしてたんだから尚更わからないに決まってるだろ」

「そうですけどぉ…」

「…ねぇお兄ちゃん、この世界がルィリアさんの生きてた世界と違うってどういう事?ルィリアさんも、異世界転生者なの?」


 私はお兄ちゃんの肩を叩いて、耳元でお兄ちゃんが言った事について質問してみる。


「あー…それはだな…く、国だ!世界ってのはあくまで比喩だよ、コイツは別の国では有名人なんだよ!」

「へぇー!そうなの?!ルィリアさんって、有名人なんですか!?」


 私はその場に泣き崩れるルィリアさんを元気付けるようにそう言った。

 さっきまでルィリアさんの事を“有名女優気取りの新人女優”だなんて例えていたのは内緒。

 

 人というのは何かしらの理由で脆くなっている時ほど、どんなに中身のない言葉であったとしても褒められたり、同情されると立ち直れてしまうのだ。


 …お兄ちゃんは家を出てから何故かはわからないけどずっと思い悩んで、見えなかったけどきっと辛い表情をして、その度によく私に色んなことを聞いてきた。

 お兄ちゃんが辛い思いしているのは嫌だ。だから、私に出来るのなら慰めて…心の傷を癒してあげたい。そんな思いでお兄ちゃんを励まして、時に慰めてきた。…その度に、自分の語彙力を恨んだ。

 なのに、私の内容が無くて“思い”があるだけの言葉でも、お兄ちゃんは泣いたのだ。それだけ、お兄ちゃんは辛い目に遭ってきたんだ。


 そうしてお兄ちゃんを慰めているうちに、弱い人はどんな言葉で立ち直れるのかがわかってしまった。

 …なんかここだけ聞くと、私が悪女みたいになってしまうが、相手がお兄ちゃんなら発する言葉と思いは本心だ。つまり、先ほどのルィリアさんへの言葉には思いなんてこもっていない。


「…そうなんです!私は、あの!!グリモワール・レヴォル賞を人の身では15年、女性の身では実に26年ぶりに受賞した、あの!!そう私こそが!!ルィリア・シェミディアなのですっ!!ぬふんっ!!」


 私の中身のない励ましで、ルィリアさんはその場に勢いよく立ち上がって、喜びを表しているかのような舞をするようにそう言うと、最後に仁王立ちしながらドヤ顔で鼻息をふんっと出した。…なんかこの人、わかりやすいな。

 私とお兄ちゃんは、露骨に調子が良くなったルィリアさんを呆れたような顔で見つめていた。


「サクラさんって意外と褒め上手なんですねぇ!」

「は、はぁ…」


 ルィリアさんはスキップして身体で喜びを表しながら私に向かって、上機嫌そうにそう言った。

 いや、適当に言っただけなんだけど…って、意外とってどういう事なのよ意外とって。


「シン君も妹さんを見習ったらどうですか?」

「…そうだな」

「えっと…ちなみにルィリアさんはどこから来たんですか?まぁ、言われてもわからないんだけど…」

「どこからって…普通に王都ですよ?」

「おーと?」

「えっ、王都も知らないんですか!?それはいくらなんでも世間知らずですよ!?」

「…ごめんなさい、私はずっとこの家にいたので」

「そうですか…うん。せっかく目が見えるようになったんですから、よかったら私の生きる世界に来てみたらどうですか?」

「えっ!良いんですか!?」

「はい!というか寧ろ来てください!もちろんシン君も!」

「俺は咲薇が良いなら…」

「じゃあ行こっ!お兄ちゃんっ!」


 私はお兄ちゃんの手を掴んでそう言った。

 ルィリアさんの生きていた“おーと”に行ってみたいし、というかこの家の外…この異世界がどんな世界なのか見てみたい。

 きっと前世と違って幻想的な世界なんだろうなぁ、なんて妄想が膨らむ。


「決まりですねっ!では着替えとか諸々の準備を済ませたら出発しましょう!」

「…え、俺達泊まるのか!?」

「当たり前でしょう?こんな薄暗い世界より王都の方が明るくて活気に溢れて、なにより…サクラさんの為です」

「…だが、それって俺達を養うって事だろ」

「大丈夫です!お金なら沢山あります!何故なら私は…」

「グリモワールなんたら賞を受賞したから、だろ」

「わ、私の一番言いたいところ取らないでくださいー!もーっ!」


 …ふと思ったんだけど、お兄ちゃんとルィリアさんは出会ってからどれくらい経つんだろう?仲良い人に普通敬語は使わないから多分まだ出会って日は浅いと思うけど…だとしてもあんなに仲良さそうで微笑ましいとなんか…嫉妬しちゃうなぁ。

 ルィリアさん、私の方がお兄ちゃんの良いところたっくさん知ってるんだからねっ!一緒にお風呂だって入った事あるんだからね!後はえーっと…チューだってした事あるんだからねっ!

 …え、待って、チュー?あのカッコいいお兄ちゃんと?え、なんか恥ずかしくなってきた。


「…咲薇、どうしたんだ?急に顔を赤くして?」


 突如お兄ちゃんがそのカッコいい顔を近づけてきて、私の額に手を当てた。


「うーん、熱は無さそうだが…」

「あ、あぁ…ルィリアさんの前でっ…はっ、恥ずかしいからやめてっ…お兄ちゃんっ!」

「あぁ、ごめん」

「なんかサクラさん、まるでシン君に恋してるみたいで可愛いですねーっ」

「ひゃっ!?そ、そんな訳…無くもないけど…違いますから!本当に人前で恥ずかしいだけですかりゃ!」


 恥ずかしくて思わず噛んじゃった。

 だってあんなにかっこいいのが私のお兄ちゃんなんて…ただでさえ声だけでも好きだったのに、顔までかっこいいなんてもう別の方でも好きになっちゃうよ。

 ましてやお兄ちゃんは当たり前だけど私を妹として接してくるから距離感が基本的に近いし、その度に胸がドキドキしちゃうんだもん。

 うん、そうだよ…私はお兄ちゃんに恋しちゃってるんだもん。

 でも世間体では兄妹で恋愛なんておかしいし…本心を述べたらきっとあのルィリアさんに軽蔑されてしまうだろうから、言える訳がない。


「ていうか、王都で暮らすって事はここを離れるって事だろ?」

「そうなりますね!それが何か?」

「だったら、別れを告げなきゃ…感謝を伝えなきゃいけない人達がいるんだ」

「…わかりました。後でそちらの方へ向かいますので、行ってきてください」

「いや、来ないでくれ…ここに戻ってくるから待っててくれ」


 そういうと、お兄ちゃんは私の額から手を離して家を飛び出していった。

 感謝を告げなきゃいけない人達、というのは恐らくあの声が怖いおじさん…バイト先の人達のことだろう。


 …仕方ない事だけど、私にはそんな人居ないな。お兄ちゃん、幸せ者だね。でもそんなお兄ちゃんの1番が私なので、私も幸せ者なのです!

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