第19話 うんめいのであい
俺が帰ってくるまでの長い時間を、ただでさえ二人でも暇だったというのに、それをたった一人で過ごしていると改めて気付かされ、バイトを辞めて咲薇との時間を増やそうと思ったが、逆に咲薇はあの日以来「やっぱりバイトに行ってきて!」と強請ってくる。
そこで俺はあの日以来週一でバイトを休む事にして、咲薇との時間を増やしていった。
そんな生活になってから、もうそろそろ数ヶ月…俺達が家出をしてからだと約1年が経過しようとしていた。
この数ヶ月間、特にこれといった出来事は一切起こらず、強いて言うなら一回だけ闇ギルドで客同士で言い争いが起こり、俺が脅すように
ルクスリアも特に何か怪しい事をする事も無ければ、ハティもいつも通り…あの香水をつけていない女は依然として姿を見せないし、あの夢の中に出てきた女と遭遇することも無かった。
いわゆる、平和という奴だ。
◇
「…にしても、最近は何も起こらないな」
ハティはどこかつまらなそうな表情で、カクテルを見つめながらそう呟いた。
「そのセリフ何度目だハティ。何事も起こらないのは平和な証拠じゃないか」
「…闇市がここまで平和だと、もはや不気味だ。というより恐らく俺は“平和”というものに慣れていないんだと思う」
俺にはハティがどんな人生を送っていたのかは、具体的には知らない。今こうして呑気にカクテルを嗜めるほど平穏なものでは無かったということくらいだ。
「でも確かにこの数ヶ月間は、幾らなんでも静かすぎる気はする」
「…嵐の前の静けさ、という奴でなければ良いが」
「その割に顔が少しニヤついてるぞ」
「飢えてるのさ、恐らくな」
俺はハティが戦っている所は見たことはないが、俺の見えないところでずっと戦ってきていたのだろう。
ヘビースモーカーから突然煙草を全て取り上げたら禁断症状が出るのと同じようなものだろうか。
「あ、シン!注文だよ!」
変身して大人になっているルクスリアが俺のいるカウンターに走ってきて、そう伝える。
「何の?」
「えーっと…これ!」
俺は何を注文されたのか問うと、ルクスリアは近くのテーブル席からメニュー表を取って開き、注文された料理の表示を見つけるとそれを指さした。
因みに、このメニュー表はマスターが最近導入したものである。
「いい加減料理名覚えなよ…もう数ヶ月やってんだからさ」
「えー!だって拙、教えてもらってないから文字読めないんだもん!」
ルクスリアは子供のような言い訳をする。まぁ実際子供なのだが。
しかし実を言うと俺もこの異世界の文字は読めない。言葉で聞く分には前世と同じ言語なのでほぼわかるのだが…文字に関しては、アラビア語と韓国語を複雑に混ぜ合わせたようなもので、法則性が全くわからない。
この前マスターに少しだけ教えてもらったが、教え方が下手なのか俺の理解能力が無いのかわからないが、全然解読出来なかったので諦めた。
「…まぁいいよ、それ持って来れば良いんだな?」
「うん!よろしく!」
そう言うと、ルクスリアはカウンターにメニュー表を置きっぱなしにして客席の方は接客に戻っていってしまった。
俺はルクスリアが置いていったメニュー表を手に取って、バックヤード…厨房に入っていった。
「マスター、これの注文が」
「あ?どれ?!」
「これ!」
「“これ”じゃわかんねぇよ!」
「だからこれだって!指さしてんでしょ!?」
痺れを切らしたマスターが仕方なく俺の方に歩いてきて、俺が指さしているメニュー表の料理を確認する。
「てかシン…お前まだ文字読めないのか…前に教えたろ?」
「いやぶっちゃけ全っ然わかんなかった」
「マジかよ、やっぱ教えるのって難しいな…ほら、俺って何もかも独学でやってきたからいざ人に教えるとなると…」
「あーわかったわかった!とにかくこれ作ってくれ!よろしく!」
「お、おい!?」
俺は注文を伝えると、逃げるようにカウンターへと戻っていった。
最近、マスターと話をするといっつも「俺は独学でやってきたから〜」からの長い自慢話が始まるのだ。
最初の2〜3回は最後まで聞いてやっていたが、それ以降はもう長い自慢話が始まる予感がしたら途中で逃げる事にした。
「…楽しそうだな」
バックヤードから出てくる俺を見て、厨房での掛け合いが聞こえていたのかハティはあまり見せない微笑みをしながらそう言った。
「いつもこんな感じだよ…マスターの長話には付き合ってられないから」
「独学云々の話か?」
「よくわかったな…いや、ハティにも話してんのか」
「シンが休んでいる日はいつも聞かされている。まぁ9割聞き流しているが」
「まぁ聞き流すのが誰も傷つかないベストだよな…あ、いらっしゃい」
ハティとそんないつものような会話をしていると闇ギルドの扉がガチャ、と開かれ、俺は目線をハティから入店した客に向けた。
俺はいつものように入店した客に「いらっしゃい」と言うと、客は俺の方へ目を向けるとどこか嬉しそうな表情でこちらへと歩み寄ってくる。
「…初めて見る客だ、でもなんか嫌だなぁ」
俺が初めて見たいわゆる新参者は、少し汚れた丈の合っていない学校の制服のような服を見に纏い、黒髪のロングヘアーに黒い瞳。
もうあの夢を見て以来、ロングヘアーというだけで軽く鳥肌が立ってしまうようになってしまった。ましてや彼女は何故か嬉しそうな表情をしている為尚更である。
…しかしロングヘアー抜きにしても、その姿は闇市には似合わないようなもので、辺りの客人達が騒めき始める。
「あの女…」
「知ってるのか?」
「いや知らん。あの服装を見る感じだと闇市の住人ではないだろう…だが、あの女からは凄まじい魔力を感じる」
「凄まじい魔力?あんな普通の人が?」
入店してきた女性は華奢で、戦闘をするような雰囲気では無さそうに見える。ハティの目が節穴だとは思わないが、少なくとも彼女にそれほどの力があるようには到底見えなかった。
「君があの“炎の鳥人”のシン君ですよね!?」
「…は?」
カウンター席まで近づいて来て、女性はまるで好きなアイドルの握手会に来たファンのように目を輝かせながら俺の手を握ってそう言った。
…てか炎の鳥人って何?まさかあのラグニアとの戦いで炎の翼を出してたからそんな異名ついたの?
女性の眼中に入っていなさそうなハティはというと、若干引いているような表情で女性を見上げており、接客をしていたルクスリアは遠くから「ちょっと!」とか野次を飛ばしている。
「あ、“炎の鳥人”というのは、君が悪魔と戦ってる姿を見て私が勝手に呼んでる名前なので、気にしないでください!」
「いや別にそれはどうでもいいんだけど…」
「はぁあっ、ようやくシン君に会えました…!いやー、あの広大な森の中を彷徨った甲斐がありました…私ってば、よく頑張りましたっ!」
急に手を握って来たかと思えば、今度は一人で勝手にガッツポーズをした。
彼女に対する周りの視線がかなり冷たいものになっているが、どうやら彼女は一切気にしていないようだ。
「あのさ!」
「ふぇ?」
「アンタ…誰?どこの何者なんだ?」
「えっ!?嘘…そんなぁ…」
俺が何者なのかを問うと女性は驚いたような表情をしてその場に崩れ、カウンターの下へ姿を消して見えなくなってしまった。
なんというか、感情表現が豊かな人だなぁ。
「え、ごめん…もしかして、前に会った事あったりしたのか…?」
「私…有名人になれたと思ったのに…」
「…有名人?アンタ、なんかしたの?」
「そんな犯罪者みたいに言わないでくださいっ!私は、ワイズクラスを卒業して、その後の魔術研究で栄えあるグリモワール・レヴォル賞を受賞した、あのルィリア・シェミディアですっ!」
女性は勢いよく立ち上がると、自身を“ルィリア・シェミディア”と少し怒ったような表情で名乗った。
前世で読んでいた小説で見たような単語ではあるものの、この世界では聞き慣れなかった単語が続々と流れてきて俺は困惑した。
「…ワイズクラス?グリモワール…なんだって?」
俺は思わず、ルィリアに聞いてしまう。
なんとなく凄いものなんだろうが、どうやらこの場にいる闇市の住人にはその凄さが伝わらず、辺りの空気は冷めるばかりであった。
「えっ…何で皆そんなリアクションなんですか…?あのグリモワール・レヴォル賞ですよ!?」
「そんな事言われてもな…ここにいる人達はみんな、アンタがいるような世界で育ってないんだ。だからアンタの常識は、ここでは通用しないよ」
「そう…なんですか…?」
残念そうにも、怯えているようにも見える表情のルィリアにそう言われ、俺は無言で頷く。
改めて辺りを見渡し、自分がこの場で異質な存在であるとようやく理解したのかルィリアはハティの隣のカウンター席に座ると、小さくため息を吐きながら俯いた。
まさかこのルィリアとかいう人、ここが闇市という場所だという事すらも知らないのか?
この闇市は、何らかの理由で表社会に居られなくなった者や、物心ついた時から独り身だったような者が集まる世界。
先程のルィリアの言動はほぼ全て、闇市の世界しか知らない者達に対しての煽りと同等である。
現に先ほどまで冷めていたルィリアへの目線が、怒りなどの悪い意味で熱を持ち始めている。
「…私、またやっちゃったんですね」
「“また”って…?」
「いつもそうなんです。私は興味のあるものを見つけると、周りの雰囲気そっちのけで突っ走っちゃうんです」
「そっか…まぁとりあえずこれ飲んで落ち着きなよ」
俺は露骨にテンションが下がっているルィリアに、ただの飲料水が入ったコップを差し出した。
ルィリアはコップを手に取って顔を上げる。その時の表情は、今にも自殺してしまうのではないかと思うほど暗かった。
「なんだ…ただの水かぁ…はぁ」
「いや文句言うなよ」
「シン、注文の品だ。つーかさっきの騒ぎは…って、どうしたんだこの女?」
料理を作り終えたマスターがバックヤードから出てくると、カウンター席で俯くルィリアを見てそう言った。
「…さっきの騒ぎの張本人だ」
「あー…まぁいいや。ルクスリア、これ客に届けてくれ」
「はーい!…べーっだ!」
ルクスリアはマスターから注文の品を受け取ると、馴れ馴れしく俺の手を握って来たルィリアが気に入らなかったのか、通り過ぎ様ざまにルィリアに向けて赤い舌を出した。
「つーかこの女…誰?」
「また誰って言われた…はぁ…」
マスターにそう言われ、ルィリアはそう呟くとまたため息をついて気分を更に下げた。
自分が言ってはいけない禁句を言ってしまったと察したマスターは、俯くルィリアに向かって軽く頭を下げて無言で厨房に戻っていった。
「…ていうか、アンタがさっき言ってたワイズクラスとかグリモワールなんとかってのは、一体何なんだ?」
俺はルィリアの気分を何とかして戻そうと、とりあえず気になった単語について聞いてみることにした。
「…ワイズクラスというのは、最高難易度のテストに合格した人だけが通える学校の最高クラスです。グリモワール・レヴォル賞は、魔術の新たな発見や今後の発展に繋がる研究など、魔術において革命的な事を成し遂げた人だけが受賞できる栄えある賞です」
ルィリアはまるで、事前に練習していたかのように早口で一度も噛まずに俺の疑問について解説する。
「そ、そっか…アンタは何をして受賞したんだ?」
「…どんな傷も病も数分で完璧に治す事ができる、
自分の話となると、ルィリアは先ほどまで低かったテンションを急上昇させて本調子に戻り、自身が何をしてグリモワール・レヴォル賞を受賞したのか説明した。
ルィリア曰く、自身が発明した
「…それ、本当なのか?」
「何ですか、もしかして疑ってます?…ちょっと待ってくださいね…ほら!これがあのグリモワール・レヴォル賞を受賞した証拠です!」
ルィリアは自身の胸元に手を入れて、グリモワール・レヴォル賞を受賞した証拠である金色のチェーンで繋がれた徽章のようなものを取り出して見せつけてきた。
どうやらルィリアは、受賞した際に授与された徽章をネックレスにして肌身離さず身につけているらしい。
しかし、俺はそんな事はどうでもよかった。
「それじゃない!…本当に、その魔術はどんな病も治せるんだな!?」
「ふぇ!?」
俺はルィリアのカウンターから身を乗り出して両方の二の腕を掴んで再度問うと、ルィリアは驚きながら顔を赤くする。
「どうなんだよ!?」
「ひゃいっ!な、治せましゅっ!じゃなきゃ受賞なんてしてませんからっ!」
「…だったら頼みがある!治してほしい人がいるんだ…!」
もしルィリアの発明した
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