第17話 きっかけ
本当に室内なのか疑ってしまうほどの花畑に、パラソルのついたテーブル。
向かい合って置かれた椅子、テーブルには先程執事らしき男が淹れていった紅茶の入ったティーカップ。
「…」
「…」
俺とイェレスは何かを話す訳でもなく、まるで“先に話したら負け”というような無言の心理戦でもしているかのように互いを見つめていた。
直後、イェレスはティーカップを手に取って、目を瞑って嗜むように紅茶を口に入れた。
「わー!すごーい!お花がいっぱいだー!あはは!」
…一方、ルクスリアはというと、ずっとこの花畑を走り回ったりしている。
そんなルクスリアとは真逆に、俺とイェレスの辺りには華やかな景色に似合わない、張り詰めた空気が漂う。
「…さて、まずは禁書をこちらに」
先にイェレスが口を開いた。俺の勝ち…というくだらない事を内心思いながら、俺は言われた通り禁書を取り出してそれを渡した。
イェレスは俺が渡した禁書を、偽物かどうか鑑定しているのかまじまじと見つめた後に小さく頷いて、手元に魔法陣を展開してその中に禁書を放り込んだ。
…仮にも危険物だぞ、そんな適当に扱って良いのかよ。
「ご苦労様。暫く見ない間に立派になったわね…炎の翼なんてきっと熱かったでしょう?火傷とか大丈夫だった?」
「…アンタもあの戦いを見てたのか」
「当然よ。あんな広大な森の上で炎の鳥が飛んでいたら、誰だって目を向けるでしょう?」
「まぁ、確かにな」
俺は改めて、あの戦いは自分が思っていたよりも人の目に付いていた事を思い知らされる。恐らく、王都に住む一部の者達にも見られていたのではないか?なんて考えさせられる。
「それで、フェリノートは元気?」
「当たり前だ。俺がついてるんだからな」
「本当に貴方は、フェリノートの事が大好きなのね」
「…大好きとか、そんなもんじゃない」
イタズラをする時のような表情で言うイェレスに、俺はそんなツンデレのように捉えられるような言葉を返す。
“兄は、妹を大切にする”。
それは当たり前の事だ。そう…当たり前だからこそ、俺は咲薇を守らなくてはいけない。
あの時…俺は“咲薇”を守る事が出来なかったから。
「…ところで、禁書はどこで取り返したの?」
「アンタの“元夫”が隠し持ってた」
俺はわざと“元夫”という部分だけ強調させて言った。
「あの人が…一応聞きたいのだけれど、彼は今どうしてるのかしら?」
「…もう死んでたよ。数週間も放置されて、身体中に虫が沸くほど腐敗してた…流石の俺も同情しちまうくらい…見るに堪えなかった」
「…そう」
俺に自分がかつて愛していた男が凄惨な状態で亡くなっていたと告げられたイェレスの表情は、悲しみを堪えているかのような…まるで、奴にまだ未練があるのではないかと思わせるような物だった。
てっきり、まんざらでもない表情をするかと思っていたが。
「…でも再会した時は本当びっくりしたわよ、だってあの街から王都まで歩いてきたんでしょう?」
「だからなんだ」
「貴方達、私の元に戻ってくる気は無い?」
イェレスは突然俺にそんな事を聞いてきた。“私の元”というのはイコール、王宮内で暮らすという事である。普通の人からしたら王宮内で暮らせるなんて夢のまた夢…きっとこの上ない幸福だろう。
しかし、俺はこの問いを素直に聞き入れられなかった。あれほど“選択を間違えた”だの“全部貴方が悪い”だの言っておきながら、俺がそれに対して素直に「はい」と答えるとでも思っているのか?
「…どういう風の吹き回しだ?」
「確かに貴方は選択を間違えた。でも貴方達はまだ子供、間違えたとしてもやり直せる。私はそのチャンスを与えてるの」
「…」
「…ううん、本音を言うとね…私はまた貴方達と一緒に暮らしたいの。仮にも貴方達はお腹を痛めて産んだ正真正銘私の子供なのよ?ましてや、フェリノートは今の旦那との子供なのよ!?まだ彼は自分の子供の顔を一度も見てないの…だから、貴方も一緒に自身の子供の顔を見せてあげたいの…」
イェレスの要求と半ば言い訳のような理由を、俺はただ黙って聞いていた。
…正直、イェレスの気持ちも分からなくはない。母親であるイェレスからしたらお腹を痛めてようやく産んだ愛しい我が子と一緒に居られず別居させられ、更に我が子達が家出して不安が煽られた矢先にその我が子と再会するも、存在を否定するかのような態度を取られてしまう。
そんなの“母親”からしたら辛いに決まっている。だが、それはあくまでイェレスからしたらの話であって、そこに俺達の意思などは一切無い。
「…」
「だからお願い…!再会したあの時の事は謝るから…私の元に帰ってきて…シン…!」
先程まで余裕そうな態度だったイェレスは一転し、今は椅子から立ち上がって俺の肩に手を置いて、泣いて縋るようにそう要求する…いや、これは要求というよりもはやお願いしているという感じだ。
こんな風にお願いされてしまっては、断るにも断れない…とでも言うと思ったか。
「イェレスなんて名前変えて他人面してるくせに、よく言うよ」
「え…?」
俺は、肩に置かれたイェレスの手を払って自分の意思を示す。
…“俺はお前に従わない”と。
「…正直アンタの気持ちも分からなくはないんだ。自分が腹痛めてまで産んだ我が子と一緒に居られないのは、さぞかし辛かっただろう」
「そうよ…だったら!」
「だが、その結果を招いたのはアンタだ…イェレス」
「っ…!」
「確かに俺は選択を間違えた…もしアンタについていってたら、きっと俺も咲薇も幸せだった。だが、そもそもアンタが不倫なんてしなければ、俺達と決別する事も無かったんだ」
我が子に睨まれながらそう告げられたイェレスは、まるで絶望しているかのような表情をしていた。
俺はあの時、“自分が選択を間違えたせいで咲薇を苦しませてしまった”という事で崩れてしまった。
しかし元を辿れば、そもそもイェレスが不倫しなければ俺が間違った選択などする必要も無く、自ずと幸せだったのだ。
「…なぁ、今の旦那…国王の息子とはどうやって出会ったんだ?」
俺の目が届かない所で咲薇にあんな事をしていたように、もしかしたらイェレスが妻だった時の奴は夫として最低な野郎で、度重なるモラハラに耐えきれずに…救いを求める形で他の男と不倫をしたのかもしれない…そう思い、俺はイェレスに国王の息子との出会いを問う。
「何でそんな事を…?」
「不倫は罪じゃないけど、悪い事には変わりない。それでも不倫したって事は、それほどの理由があるんじゃないのかって、ふと思ったんだ」
「…納得する理由だったら、私の元に戻ってきてくれる?」
「それは無い…悪い事をして成り立つ幸せなんて、俺は絶対に認めたくない」
俺は拳を強く握りしめながら、イェレスの要求に従う意思は無いと返した。
イェレスの事情を問うておきながら結局要求には従わないなんて、我ながらただの我儘じゃないかと思ったが、先程も言ったように俺は悪い事をして成り立つ幸せなんて絶対に認めたくない。
金に困ってどうしようもなくなってしまった人間が泥棒をするのも。
愛する者を殺された人間が殺し返して復讐するのも。
たとえどんな理由があったとしても、悪事を働いていい理由にはならないから。
「まぁいいわ…シンがそう思うようになったのも、私のせいだから…でも、聞いてほしいの」
「…事情は聞く」
「今の旦那と出会ったのは、シンが4歳くらいの時だったかな…」
イェレスは、今の旦那…国王の息子との出会いを語り始めた。
国王の息子との出会いは、今から8年前…俺が4歳の時だ。
イェレス…いや、シェリーは子供の教育や夫のモラハラなどによるストレスによって、体調や仕事にも影響が出ていた。
当時シェリーが働いていたギルドで、注文された料理を客のもとに運んできた時に目眩を起こしてしまい、皿を落としてしまったのだ。
その客というのが今の旦那…身分を隠して庶民の暮らしを体験していた国王の息子デリシオスだったのだ。落として割ってしまった皿の破片を一緒に拾ったのをキッカケに2人は禁断の恋に落ちた。
その日を境に、デリシオスはシェリーが働いているギルドの常連になった。
因みに、この世界でのギルドというのは依頼を受ける場所でもあり飲食店、という認識である。
そして1年の時が経ち、2人はプライベートでも会うようになり、互いに距離を詰め、時には体を合わせて互いの体温を感じたり。
ある日、事情を知ったデリシオスは、シェリーに自身は国王の息子だと正体を明かした。そう、“自分なら君を幸せにしてあげられる”と。デリシオスなりのプロポーズにシェリーは夫が、子供がいるにも関わらず喜んで受け入れた。
そして2人が結ばれてから1年後、フェリノートの出産によって夫に不倫がバレてしまったのだ。
しかしこの時は既にデリシオスとは夫を上回る関係に発展していた為、シェリーは何の未練も無く離婚をした。
当時国王からは何の身分も無い一般女性と結婚する事を反対されていたらしいが、デリシオスの説得によって特別に結婚を許可され、シェリーは国王の息子デリシオスと正式に結婚して、名をイェレスと変えたのだ。
「…身分は関係無かったんだな」
イェレスの事情を知った俺は、真っ先にそう言った。
「私が地位と金目当てで今の旦那と結婚したと思ってたの?」
俺の発言に対し、イェレスはそう問い返した。心なしかイェレスは機嫌が良さそうで、調子が戻っていた。
「まぁな」
「イェレス!ここに居たのか…君がどこにも居ないから心配したぞ…ん?彼は?」
俺とイェレスとの会話に、誰かが割り込んできた。
男の声が聞こえると、イェレスは表情を明るくして手を振った。男はそれに応えるようにイェレスに駆け寄ると、不思議なものを見る目で俺を見つめた。
「彼はシン。盗まれた禁書の一冊を取り返してきてくれたのよ」
「シン?そうか、君が」
「…アンタが次期国王のデリシオスか」
「次期国王だなんてそんな…まぁ、そうなるね。でもそんなに畏まらなくていいよ、イェレスの前では、僕はただの人なのだからね」
イェレスの今の旦那…デリシオスは咲薇と同じくペールオレンジの髪色にエメラルドのような瞳をしていた。
人当たりが良さそうな人物で、イェレスが惹かれたのも納得できる。
「そうか…じゃあ遠慮なく接させてもらう」
「ああ。君はイェレスの子供なのだから、実質僕の息子と言っても過言ではないから、全然失礼を犯しても構わないよ」
「…ああ。それじゃ俺達はこれで失礼する。時間を取らせてすまなかった…ルクスリア、帰るぞ!」
俺は、イェレスと話している間もずっとお花屋さんごっこをして遊んでいたルクスリアを呼び寄せる。
「えー、もう帰るのー?」
「ああ。要件は済んだからな…ほら、帰るよ」
俺はルクスリアの手を握って、急ぐように部屋を出ていく。
背後でデリシオスが何か言っているような気がしたが、俺は聞こえないフリをして王宮を出て行った。
〜
俺とルクスリアは誰もいない闇ギルドで、いつも客が座っている椅子に腰掛ける。
「…なんであせってたの、シン」
椅子に腰掛けて休憩していると、ルクスリアが突然俺にそう聞いてきた。
「…わかっちゃったか」
「うん。シンの手を通して思いが伝わってきた」
「いやー…奴らがあんな幸せそうなところを見せつけられたら、そりゃ嫌な気分にもなるさ」
俺は天井を見上げ、ため息を吐きながらそう言った。
確かにイェレスの事情を知って、不倫をしてしまうほど辛い経験をしてきたのかもしれないし、そんな中で唯一デリシオスが救いだったのかもしれない。
…禁断の恋なんて美化して表現したが、言い直せば“人としてダメな恋”なのだ。
どんな奴でも仮にも夫がいる状態で他の男と交際なんて、間違っている。
そう…間違ってる事してるはずなのに…どうしてあいつらは結果的にあんな幸せそうなんだ…そう思ったら、もう顔も見たくなくなったのだ。
「うん…拙も見てたけど、なんかあんまり良い気分じゃなかった」
「…それは俺に意見を合わせてくれてるのか?」
「ううん!これは拙の本音だよ!寧ろシンと同じ意見でちょっと嬉しい…」
「そうか」
俺はまたため息を吐きながらそう呟く。
しかし、もしデリシオスとイェレスが出会っていなかったら、この異世界にフェリノートは…咲薇は生まれていなかったのだ。
しかもよく考えたら、不倫がバレて離婚するキッカケになったのは
咲薇も一応自分に王家の血が流れている事は知っているが、まだ不倫がバレたキッカケは話していない…まぁなんとなく察せてしまうが、俺の口からは極力話さないようにしないと。
それで咲薇が気に病んでしまったら、辛いだろうから。
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