第16話 きせい
「…ここ、どこ?」
目的地に辿り着いた俺は地面に足を付け、下ろされたルクスリアが辺りを見渡してそう言った。
そういえばルクスリアにはここがどこなのか、何故ここに来たのかを話していなかった。
「ここは俺が前に住んでいた街だ…だが、静か過ぎるな…」
ここは俺がかつて住んでいた街…特にこれといった特徴も無く、ごく普通の街である。家も木造とレンガの2種類が混在しており、良くも悪くも前世で住んでいた街並みと然程変わりはしなかった。流石にコンビニとかそんな物は無いが。
辺りはそんな、良い意味でも悪い意味でも見慣れた風景が広がっている筈なのに、遊びまわる子供も居なければ、世間話をしているママ友も居らず、そのあまりの静けさにまるで別の街のように感じる。
しかし普段闇市にいるからか、故郷とも言えるこの街の空気がやたら美味しく感じてしまう。だがそれでも、この街に漂う底知れぬ不気味さは拭えなかった。
「へぇ、ここがシンのうまれ育った場所なんだー!」
「いや、何かおかしい」
「…うん、なんか人が全然見当たらないよ」
「俺が家出してから、この街で一体何があったんだ…?」
俺が家出してこの街を離れてから、大体1ヶ月は過ぎていると思うが、その間にこの街で一体何があったのだろうか?
辺りに人の死体が転がっている訳では無いので、謎の組織によって全滅させられた、という訳でもなさそうだし、建物にも戦闘をしたような傷跡も見られない。
この街に住んでいた人達が、一斉に失踪したとでも言うのだろうか。だとすればそれは一体何故だ…?
「…それで、なにをしに故郷にかえってきたの、シン?」
「あぁ、そうだった。えーっと確か俺の家は…こっちだったかなぁ…?」
俺は1ヶ月前の記憶を頼りに、今いる場所から俺がかつて住んでいた家への道を歩んでいった。ルクスリアは俺と手を繋いだりする事もなく、ただ背後に無言でついてきた。
俺の記憶が正しければ、ここから家まで徒歩3分程だ。
しかし、歩けば歩くほどこの街が静か過ぎるのを思い知らされる。人が住む街なのに聞こえてくる音は俺とルクスリアの足音だけというのは、あまりにもおかしい。
半ば、廃墟と化しているようなものだ。
当然、歩いていたら知り合いと再会…なんて事は一切無く、それ以前に人と会う事無く俺達は目的地である俺のかつて住んでいた家へと到着してしまうのだった。
「ここが…シンのいえ!」
俺が住んでいた家にたどり着くや否や、ルクスリアは目を輝かせてそう言った。
別に俺の家庭は裕福という訳では無かったし、離婚してからは更に苦しい生活を余儀なくしていた為、そこら辺の家と何ら変わりない筈なのに。
「…っ」
俺は禁書を回収するのを目的にここまでやって来たというのに、家に入る事を躊躇してしまう。
そもそもこの街に一切人が居ないのが不気味だというのに、もし家に奴が普通に居たらどうしよう…と。まぁその場合奴からこの状況について聞き出すことが出来るが。
俺は意を決し、家の玄関に手を掛けて勢いよく扉を開けて中に入る。
「…なんか、臭ぇな」
家の中は見慣れた構造をしていたが、何故か家中には異臭が漂っており、その臭いの影響か辺りにはハエが飛んでおり、俺は思わず鼻を摘んだ。
…しかし、この臭いは。
「…シンの家、なんかいつもいる場所と同じ臭いがするね」
「ああ…つまりこの臭いは」
その続きを言おうとして、リビングに入った時だった。
目に入って来たのは、何となく察しがついていたとはいえ衝撃的な光景で俺とルクスリアは戦慄した。
「これ…だれ…?シンの、おとーさん…?」
驚いて目を見開きながらルクスリアが指を指してそう言った。
そこには…身体も腐敗して、身体の所々には寄生されていたのか蛆のような虫が皮膚を食い破って出てきており、その虫に食われたのか片目が無く、腹に関しては子供が一人入るのではないかと思う程の風穴が空いており、見るも無惨な姿になっている人間が“あった”。当然だが死んでいる。
俺はそのあまりにも凄惨な光景に、胃から何かが這い上がってきて、口をおさえて急いでトイレに向かい、嘔吐した。
「うっ…おぇえっ…!」
「シン!?だいじょーぶ?!」
ルクスリアは嘔吐する俺を心配して、背中を摩ってくれた。
しかし、こんなものを見ても気持ち悪がってはいるものの悲鳴ひとつあげないルクスリアって一体…。
「何なんだよあれ…!?何でアイツがあんな状況になってんだよ…!?」
自分と血の繋がった父親を、咲薇に酷いことをしたアイツをずっと憎んでいた。そんな俺ですら、あんな凄惨な姿を見せられて“ざまぁみろ”というような感情が一切湧かない。
しかも誰の目につく事も無く、数週間も…少なくとも俺が家出してからずっとあのまま放置されていたというのだ。
あんな…苦しそうな表情のまま。
「だいじょーぶシン…?しんこきゅーして、こころを落ち着かせて」
「ふぅ…はぁ…ごめん、ルクスリア」
俺は言われるがまま深呼吸して、心を落ち着かせ……られる訳がなく、息は整いはしたが、それでも口も身体は震えたままだった。
流石にあんな光景を見せられた後すぐに深呼吸して気持ちが整うほど、俺は強くは無い。
しかし、どうして奴はあんな状態になっているのだろうか。契約の代償…?いや、そもそもラグニアと契約したというかさせられたのは咲薇であって、奴ではない。
実は奴はラグニアと似たような悪魔と契約していたとか、本当はラグニアと契約していたのは奴だったとか、俺は頭の中で様々な考察をする。そしてその度、もしあのままラグニアを咲薇から分離させていなかったらと考え、恐怖で震えた。
ラグニアの一件は終わったとはいえ、それでもこうして置き土産は残ってしまっている。
しかし目的を忘れてはいけないと、俺は無理にでも立ち上がった。
「だいじょーぶ?シン?」
「あぁ…用事を済ませて、さっさとこんな所出よう」
「…うん」
そう言って、俺はリビングを避けて家中を歩き回り、タンスの中やベッドの下、禁書を隠しそうなありとあらゆる場所を探した。
しかし見つかる事はなく、残された場所はもう思い出したくもない光景が広がるあのリビングだけだった。
「はぁ…」
俺は心の底からのため息を吐きながら、極力見ないように閉めていたスライド式のドアに手を掛ける。
ここに入れば、脳裏に焼き付いて離れないあの光景が嫌でも目に入るだろう。
正直禁書なんてもうどうでもよくて、さっさと帰りたい一心だったが、俺は意を決してリビングのドアを開けた。
「うっ…」
…一瞬、どこかに姿を消していてくれないか、なんて思っていたが…まぁ、それはそれで問題なのだが当然そんな事はなく、“それ”は、そこにあった。
死体は闇市で散々見てきて慣れてしまったはずなのに、これだけはどうしても慣れない。色んな死体が闇市にはあるが、ここまで酷い死体は無かったからだ。
俺は“それ”から目を逸らしながら、リビングの至る所を探し回った。
「んっ!?うっ…!!うぅっ…うぅう!!」
突然後ろをついてきていたルクスリアが、頭を押さえて苦しみ始める。
…直後、ルクスリアは感情が一切感じられない真顔になって、何事もなかったかのように立ち上がる。
「どうしたルクスリア…?」
「…」
ルクスリアは虚ろな瞳で一瞬だけ俺を見て、まるで取り憑かれたかのようにある場所へ歩き出した。
そのある場所というのは…あの死体がある所だった。そして何を思ったのかルクスリアは死体を蹴り飛ばし、絨毯を引きちぎった。
「…何してんだルクスリア!?」
俺はそのあまりにも異常な行動を取り始めたルクスリアに駆け寄ると、その引きちぎった絨毯の下には、扉のようなものがあった。
一方、蹴り飛ばされた死体は、やはり数週間も放置されて腐敗している為かぐちゃぐちゃに飛び散っていた。
ルクスリアは駆け寄る俺に目も暮れずその扉をこじ開けると、その中には俺が探していた禁書が隠されていた。
…しかし、ルクスリアには禁書を探している事は言っていない筈だが。
「これが禁書か…!」
俺は思わずそんな声を出す。初めて禁書を目にしたが、見た目としてはただの古びた本だった。
するとルクスリアは何の躊躇もなく禁書を手に取り、まじまじと眺めた後に禁書を開いた。
すると、本の中から黒く禍々しいモヤのようなものが衝撃と一緒に出てきて、俺はその衝撃に吹き飛ばされてしまう。
「ぐぁっ!?」
俺は壁にぶつかり、地面に叩きつけられたが、ルクスリアの方に顔を向ける。
すると、禁書から出てきた黒いモヤが、ルクスリアの口の中に入っていく様子が見えた。
まさか、禁書に封印された悪魔がルクスリアの身体を乗っ取ろうとしているのだろうか?
そうはさせない、と立ち上がってルクスリアに駆け寄ろうとしたがその瞬間に、黒いモヤが完全にルクスリアの中に入り終えてしまった後だった。
「ルクスリア!大丈夫か!?」
俺は黒いモヤに入られ、身体を痙攣させているルクスリアに駆け寄り、呼びかける。
途端、先程まで虚ろだった瞳に光が戻り、ルクスリアは心配する俺を見つめた。
「う、うん…ちょっとびっくりしたけど、何ともないよ」
「そんな訳無いだろ!?何か変なモヤがルクスリアの中に…!」
「あぁ…あれね。あれはこの禁書にのこされてた悪魔の残留思念だよ。わかりやすくいうと、自分が死んじゃった時の保険みたいな!」
ルクスリアは禁書を手に持ちながら、俺に流暢に説明し始める。
俺は、今のルクスリアは身体を乗っ取った悪魔で、ルクスリアを演じているだけだ…と思ったが、口調こそ少し大人っぽくなったものの、口調も態度も、俺の知っているルクスリアのままだった。
「…何でこれが禁書だって知ってんだよ」
「あぁそれはね、拙を乗っ取ろうとした悪魔の残留思念が持っていた知識が、拙の記憶に上書きされたからだよ」
「‥じゃあ、今のお前は本当にルクスリアなんだな?演じてるとかそんなんじゃないよな?」
「うん!拙はシンを守る、いつものルクスリアだよ!」
ルクスリアはそう言って無邪気に笑った後、俺に飛んで抱きついてきた。
…正直、これだけで中身もルクスリア本人だとはまだ信じられないが、別に俺を殺そうとしている訳でも無さそうだ。
「さて、シンはこの禁書が目的だったんでしょ?はいこれ!」
ルクスリアは手に持っていた禁書を俺に差し出す。
俺は若干戸惑いながらも差し出された禁書を受け取り、目的を達成した。
〜
ルクスリアを抱えながら、
まずはやはり、今の街の状態だ。
俺達が去ってからの約1ヶ月間、一体何があったというのだろうか?
俺の予想では、奴が禁書を持っている事を知った市民達が怖がって一斉に街を出ていった…とか、そんなもんだとは思うのだが、だとしたら尚更何故奴はあんな状態になっていたのだろうか?
自然とあんな風になる訳が無いし、あまりにも凄惨だった為よく見ていないが、自殺した様子も無さそうだったし、奴の身に何かが起こったのは確かだ。
そしてもう一つは、やはりルクスリアの件についてだ。
ルクスリアは突然人が変わったようになって、一発で禁書を見つけ出した。そしてその後、禁書に残されていた悪魔の残留思念に身体を乗っ取られた…はずなのに、ルクスリア曰く何故か乗っ取られる事なく、ただ残留思念にあった知識が手に入っただけだという。
これはルクスリアが嘘を言っているのかもしれないので、断定は出来ないが…どちらにせよ、ルクスリアは何か隠し事をしているような、そんな気がする。
ルクスリアに問いただそうとしてもきっと、あやふやにするか嘘か本当かわからない事を言われて終わりだ。
とりあえず、仮にルクスリアが本当は残留思念に乗っ取られているのだとしたら、その化けの皮が自然と剥がれるのを待った方が得策だろう。
「あ!見てシン!あそこにきれいな建物があるよ!」
ルクスリアが突然“きれいな建物”を指差してそう言った。
行きも帰りも同じルートのはずなので、行きの時もそれを見ているはずなのだが…と思い、俺はそのルクスリアが指さす建物に目を向けると、それは王都の中心に建てられた王宮だった。
「…行ってみるか?」
「いいの!?」
「あぁ、丁度用事があるしな」
「ありがとシン!だーいすき!」
ルクスリアが俺の身体にしがみついてくる。
そう、この禁書を王宮に返しに行くのだ。
そうと決まれば、と俺は方向転換をして王宮に向かって飛んでいった。
…しかし、王宮か。
今もあの中で、イェリスと呼ばれた俺の元母親が平和に暮らしているのだろう。
俺はどうして、禁書を回収して王宮に返却しようと思ったのだろうか。王宮に行ったとして、もし元母親であるイェリスと出会ってしまったらきっと俺は嫌な気分になるだろうし、イェリスも俺を煽ってくるというのに。
しかし、正直楽しみなところもある。
もし俺が、元夫が無惨な姿になって死んでいたと告げたら、どんな反応を示すのか。
かつては愛し合った仲…元とはいえ夫であった故に悲しそうにするのか、それとも他人ヅラしてどうでもいいと言い捨てるのか。
「衝撃に備えろ、ルクスリア!」
「うんっ!」
直後、俺は王宮の前で着地し、
当然、王宮の前で警備をする兵士に槍を向けられる。
「貴様ら、何者だ!」
「…盗まれた禁書を取り返してきた」
俺は兵士に向かってそう言うと、回収した禁書を見せつけるように取り出した。
「おお…!それは盗まれた禁書の一冊!」
「だからそうだっつってんだろ」
「ご苦労だった。ではそれをこちらに」
そう言って、兵士が禁書を受け取ろうと手を差し出してきた。しかし俺は禁書を差し出さず、禁書を持つ手を下ろした。
そんな、タダで返す訳が無いだろう。
「何のつもりだ、貴様」
「こっちは取り返すのに苦労したんだ、何か褒美とか無いのかなーって思ってさ」
「うむ…それもそうだな…貴様、名は何と言う?」
「シンだ」
「ルクスリアだよー!」
「…少しお待ちを」
そう言うと、1人の兵士は王宮内へと入っていった。
〜
あれから数分待たされた後、王宮内から兵士ではなく、ある人物が出てきた。
俺はその人物を目に映した途端、無意識にそいつを睨みつけた。
「イ、イェレス様!?」
俺を監視し続けていた兵士は、俺の元母親にして、今は国王の息子の婚約者であるイェレスを前にすると身体をピンと伸ばして敬礼する。
「あら、ご苦労様」
「い、いえ!わたくしはただ与えられた任務を全うしているだけでございます!」
「健気ね…さて、このお方と少し話がしたいから、ここは頼んだわよ?」
「イェレス様直々のご命令とあらば!」
「それじゃついてきて、“お客様”と、そのお連れさんも」
兵士の前だからか、イェレスは完全に俺を赤の他人として接してきた。一応、俺はお前のお腹の中から生まれてきた正真正銘、血の繋がった息子の筈なんだがな。
「…ああ」
「え!?中に入れるの!?やったー!」
俺はイェレスを睨みつけながら、ルクスリアは目を輝かせながら頷くと、イェレスに案内されるがままルクスリアと一緒に王宮内へと入っていった。
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