第13話 けだもの

 あれから数週間が経過した。

 いつの間にかマスターから魔術を教わる事は無くなり、今まで特訓をしていた時間は咲薇との時間になっていた。

 本当はバイトを辞めて常に咲薇の側に居てあげようと思っていたが、咲薇に“店の人手不足を補ってあげて”と言われ、俺はあれからずっとバイトを続けていた。


「シン」


 営業直前の店内で俺はルクスリアの遊びに付き合っていると、突然マスターに呼ばれる。


「何だ、マスター」

「受け取れ」


 そう言うとマスターは俺に向けてフリスビーのように封筒を投げ渡してきた。

 俺はその封筒をキャッチし、開封してみるとそこにはこの異世界の通貨である“ギラ”が入っていた。なんとなく大金が入っているのはわかったが、日本円に換算するとどれほどの金額になるのかはわからない。


「なんだよ急に…?」

「いや給料だよ。いらないって言ってたが、これから妹さんと暮らしていくのに絶対必要になるから今後の為に貯めとけ」


 マスターはカッコつけているのか、それを俺に告げた後バックヤードへ入っていった。

 しかし、よく考えたら俺がここでバイトを始めてから1ヶ月ほど経過しているが、いくら毎日休まず働いてたとしても、これほどのギラを稼ぐほど働いていただろうか?

 ここ、闇ギルドっていう割にはそこら辺の店よりよっぽどホワイト企業なんじゃないのか?


「シン、いもうとがいるの?」


 ふと、ルクスリアが俺の裾を引っ張りながら俺に問う。

 …そういえば、ルクスリアがいる前で妹の話をした事が無かったような気がする。別に隠していた訳ではないが。


「あぁ。そうだよ」

「へぇ…そーなんだ…」


 ルクスリアは俺に妹がいる事を知ると、まるで幼女とは思えないような低い声でそう呟く。その声に思わず俺はルクスリアを警戒した。


「何を考えてんだ…ルクスリア?」

「シンはいもうとが居ても、拙と仲良くしてくれるー?」

「当たり前だろ、現に今こうして遊んでるじゃないか」

「えへへーっ」


 ルクスリアはいつもの明るく高い声で嬉しそうに微笑んだ。

 あの低い声を出した今の一瞬だけルクスリアの本性というか、俺には見せない側面の一片を見たような気がする。

 女というのは、歳に関係なく怖いものである。


「ルクスリアー、そろそろ着替えてくれー」

「はーい!」


 バックヤードから聞こえるマスターの声に、ルクスリアは返事をするとそのままバックヤードへ入っていった。


「…着替え?」


 まさか…と思いながら数分後、マスターと共に服を着替えたルクスリアがバックヤードから出てくる。

 マスターはいつも見るダンディーな黒スーツだが、ルクスリアはこの闇ギルドに合っているんだか合っていないんだかよくわからないが、フリルの付いた白黒のメイド服で出てきた。


「じゃーん!どうシン?拙、かわいい?」


 ルクスリアはそう言うと、俺に自身のメイド服を見せつけるかのようにスカートをヒラヒラさせながらくるくる回り出した。


「…どういうつもりだマスター」

「いや、ルクスリアもお前と一緒に働きたいって駄々こねて仕方なくだ」

「…接客とか大丈夫なのか?ルクスリアは俺よりも年下なんだぞ?」

「ね、ね!かわいい!?」

「…うん、似合ってるよ」


 俺とマスターに割り込んで聞いてくるルクスリアに対して、俺は半分棒読みで答えるが、ルクスリアはただ嬉しそうに笑うだけだった。


「…まぁ、シンが来る前に色々教えておいたから。それに…ルクスリア、見せてやれよ」

「わかったー!シン、見ててね!」

「あ、あぁ…」

「へーんしーん!!」


 ルクスリアはそう叫ぶと、ルクスリアを中心に紫色の炎の竜巻が起こり、辺りの温度が急上昇する。

 そして炎の竜巻から人間の腕が生えてきて、生えてきた人間の腕がその炎を払うように腕を振ると、炎は跡形もなく消え去ってルクスリアの変身した姿が露わになる。


「…どう?凄いでしょ、シン」

「…なんじゃそら」


 炎の中から出てきたルクスリアは、俺の知っている小さな少女ではなく、男であるなら必ず振り返ってしまうような大人の美女が立っていた。

 俺は、その元の姿とあまりにも違う容姿に変化しているのを見て、開いた口が塞がらなかった。


「…ルクスリア、お前指パッチンで出来ただろ。あの炎なんだよ」

「えー?せっかくシンに見せるんだから、カッコよく魅せないとじゃない?」


 マスターと大人に変身したルクスリアがそんな会話をする。気のせいか、ルクスリアは声も口調も大人びている気がする。

 …が、つい先程聞いた低い声とはまた違った声だ。あの声は、なんだったんだ?


「…どうしたのシン?もしかして拙に見惚れちゃった?」

「いや…魔術ってすげーなって」

「うーん…でもこれ、魔術とは何か違う気がする。なんていうか…特殊能力っていうか」


 確かに自身の姿形を変える魔術なんて聞いたことは無いが、もしこれが魔術ではないのだとしたら、一体何だというのだろうか。

 ましてや、ルクスリアにそれが出来るというのが不思議だ…いや、あの少女の姿ももしかしたら本当の姿ではないのかもしれない。


「固有技能、というヤツだ」

「…固有技能?」


 マスターが言った“固有技能”という単語になんとなく意味はわかるものの、初めて聞いた単語に疑問を抱く。


「…ま、そのまんまだ。そいつにしか持っていない特殊な魔術のことだ。だがこれに関してはまだよくわかってないんだ。人間全員にあるのか、限られた人間にしかないのかすらもな」


 固有技能…想像通りのものであったが、マスター曰く固有技能に関してはまだ謎が多いらしい。

 どうやらワイズクラスの学校に通う人間が研究して作っている自分のオリジナルの魔術とは異なるようだ。

 もしかしたら、俺にも固有技能が…?


「マスターはルクスリア以外に固有技能を持っている奴を見たことあるのか?」

「ハティと俺がそうだが」

「嘘だろ!?え、マスターの固有技能って」

「自爆」

「…は?」

「残念だが、自爆だ」

「…仮に自爆だとして、何でわかるんだよ」


 マスターの固有技能が自爆なのだとしたら、一度それをしていなければそれが固有技能だとわからないはずだ。

 ましてや自爆なんて、1度発動してしまったら残機でも無ければそのままあの世行きである。


「何となくだが、そんな気がするんだ」

「そんな曖昧な…」

「拙もそんな気がして実践してみたら出来たクチだけど?」

「そういうもんなのか…?」


 まぁ確かにマスターの場合、固有技能が自爆だとしていざ実践!なんて言って実践したらそのまま死ぬから、試しようが無いんだろう。

 でもそんな曖昧でもそれが固有技能だとわかるのであれば、俺にはきっと固有技能は無いのだろう。

 なぜなら、そんな気がする能力は一切感じないからである。


「まぁ、俺の場合実践したら死ぬから試しようが無いんだがな」

「そうだよな…じゃあ、ハティの固有技能って?俺ハティからそんなの聞いた事無いんだが」

「ハティはかなりチートじみててな…目で見た魔術を自分のものに出来るんだと」

「…あ、だからか」

「心当たりが?」

「ああ。何か前に“気が付いたら身についていた”みたいな事言ってた。あれって固有技能だったのか」


 道理でおかしいと思った。

 魔術なんてやってみたらわかるが、そんな気がついたら出来るようになってましたみたいな単純なものではない。

 当時はハティの魔術の才能的なものだと思っていたが、もしハティが使える魔術が全て今まで見てきたものなのだとしたら納得である。


「…さて、そろそろ開店だ。各々準備しろ」

「わかった」

「うん!シン、頑張ろうね?」

「あ、あぁ…」


 肌を密着してくるルクスリアに俺はそう言いながら、目を逸らす。

 ルクスリアは大人に変身して、口調も声も大人びているとはいえ、俺への態度は少女の時とはさほど変わらない為、調子が狂う。


「もしかして、恥ずかしいの?」

「いや…そういう訳じゃ」

「ふーん?ほれほれ〜」


 ルクスリアは自分の大きな胸を見せつけたり押し付けてきたりして俺を誘惑じみた悪戯をしてくる。

 本音としては、別に恥ずかしい訳ではないので興奮もしないのだが、とりあえず邪魔である。


「やめろって。別に興奮もしないから」

「ちぇーっ、まぁいっか」


 ルクスリアは俺に悪戯をするのを辞めて、バックヤードへ入っていってしまった。

 俺は何となく罪悪感に苛まれながらも、淡々とテーブルを綺麗に拭き続けた。



 店を開き、店内にそれなりの数の人間が集まってきた頃。


「…シン、あの女は?」


 いつものようにカウンター席で綺麗なカクテルを嗜むハティが俺にそう問う。


「あぁ、今日からバイトし始めたルクスリアって人だ。今はあんな見た目だが、実は俺より歳下っぽい女の子なんだ」

「…そうか」


 ハティはどこか浮かない顔をして、それを誤魔化すかのようにカクテルを口に流し込む。

 ハティは恐らく、ルクスリアが変身している大人なタイプが苦手なのだろうか。何だか、意外だ…まぁ、全部俺の思い込みだが。


「シン、一つ忠告しておく」

「何だ?」

「…あの女とあまり関わらない方がいい」


 ハティは、真剣な表情で俺にそう告げた。


「いや、そう言われてもな…ルクスリアとはもう数週間の付き合いだし」

「…あの女はお前より歳下っぽい女だと言ったな?」

「ああ」

「…俺には、俺と同じく人間を容赦なく喰らう獣にしか見えないがな」

「人間を喰らう…へっ、人間ってどんな味がするんだ?」

「ただの比喩だ」

「ただの冗談だ」

「…フッ、そうか」


 俺の返しに、ハティの表情が少し緩む。心なしか、少し嬉しそうだった。

 あまり表情を表に出さないハティにしては、珍しい。


「そういえば、ルクスリアの変身能力は固有技能ってヤツらしい」

「察してはいた。俺達のような人間に紛れる人狼は、互いを同類だと認識できる」

「ハティは固有技能を持つ特殊な人間を人狼って呼んでるのか?」

「あぁ…俺を含め固有技能を持つ者は、恐らく人間に擬態しているバケモノだと思っている。少なくとも俺は、自分が人間ではないと感じるんだ」


 ハティは、自分の手を見つめながらそう言った。

 人狼というのは、人間に化けて人間を欺き、夜になると次々と人を喰らっていく恐ろしいバケモノである。

 まぁハティの言う人狼はあくまで比喩だろうが、ハティはともかくルクスリアとマスターは、自身を人狼だと感じとっているのだろうか。

 

「…まぁ、例えハティ達が人ならざる者だったとしても俺は気にしないけどな」

「さぁ?…本当の姿を見たら、怯えて失禁してしまうかもしれないぞ?」

「そんな醜態は流石に晒さないさ」

「ただの冗談だ」


 先程の仕返しのつもりなのか、ハティは楽しそうに微笑みながら俺にそう言った。

 

 そうして、ハティと会話をしていると接客を終えたルクスリアがこちらへと歩いてくる。

 途端、ハティの緩んでいた表情が一気に堅くなる。先程の言葉から推測するに、恐らくルクスリアを警戒しているのだろう。


「シンー、疲れちゃったよ…拙にも何か作ってー」

「ルクスリア、仕事中だぞ」

「えー…作って作ってぇー、ね、貴方もそう思うでしょ?」


 ルクスリアは自身が警戒されている事に気付いていないのか、ハティに向かってそう問いかける。

 カウンター席から見ればハティの表情は敵意のあるものだとわかるが、ルクスリア側から見たら丁度見えないのだろう。


「…貴様は仮にもバイトだろう、与えられた仕事を全うしろ」

「お堅いなぁ…ずっと気を張ってると、いざって時に本領発揮出来なくなっちゃうよ?」


 本心はわからないが、ルクスリアの言葉は単に煽っているだけとも、警戒されていることに気付いているとも捉えられるようなもので、途端にハティは自身の腰から珍しい鉱石である黒曜石で造られた黒く短い剣を抜き、それをルクスリアの胸元に向けた。

 その動作は途轍もなく速く、これを肉眼で追える者は居ないだろう。


「貴様、何が目的だ?」

「お、おい…ハティ!」

「んー、好きな人と関わっていたいと思うのは、恋心を抱く者として当然じゃないかな?」

「…その恋心は、果たして本当にお前の意思なのか?」

「もしかして、自分よりも短期間でシンと仲良くなった拙に嫉妬してるの?」

「…フン、やはりお前も俺と同じか」

「…やっぱり。そうみたいだね」


 俺はハティとルクスリアのやりとりを何一つ理解出来ないまま、ハティは何かを納得したのか、剣を鞘に納めた。

 剣を鞘に納めた後のハティには、ルクスリアに対する警戒心は感じられなかった。


「これが大人の世界か…」


 あまりにも理解できず、そして意味もわからず互いに納得して終わったやり取りに俺は思わずそう呟く。

 しかしなんとなく理解したのは、お互い人狼だという事か。大人の世界というよりかは、俺達人間には理解し得ない、“バケモノの世界”が正しいか。


「ちょっとー!拙が歳取ってるみたいな言い方しないでよー!」

「だって少なくとも今のルクスリアは大人だろ」

「でも心はずっと女の子のままだよ?」

「その言い分がオバサンなんだよな」

「うぅっ…シン酷いよ…」


 そう言うとルクスリアは鼻を啜りながら目を擦り始めた。

 …まさか、泣いているのか?


「嘘泣きは無意味だぞ」

「…貴方は本当に言わなくていいことを」


 そう言って、ルクスリアとハティはいがみ合う。


「…ルクスリア、接客」

「あっ…ごめんなさい、お待たせしてすいませーん!」


 俺の背後からマスターがそう言うと、ルクスリアは他のテーブル席で接客待ちしている者達の方へと走っていった。

 しっかりと接客をしているのを確認するとマスターはバックヤードに戻っていった。


 どうやらルクスリアは意外にも接客が出来ているようで、今日はいつも以上に営業がスムーズに出来ている。


「シン、やはりあの女とはあまり関わらない方がいい」

「さっき納得したんじゃなかったのか?」

「それは単に俺と同じ人狼だと確信を持っただけだ。俺の忠告は変わっていない」

「…何でルクスリアと関わらない方がいいんだ?」


 俺には、ハティが俺がルクスリアとあまり関わらない方がいい理由をあまり言いたくなさそうに思えた。

 しかし、俺は意を決して問う。


「…あの女は、いずれお前の妹を殺す」

「…え?」

「これ以上はあの女に聞かれたらマズい。もしもの時に備えて、お前にこれを託す」


 そう言うと、ハティは自分の腰に付いていたあの小ぶりな黒い剣を鞘ごと俺に投げ渡した。

 それを受け取った際、黒曜石という素材の重量に少し腕を持っていかれそうになる。


「…良いのか?黒曜石なんて使われた剣なんて貰って」

「構わん。もう二つほど所持しているからな」

「金あるなぁ…」

「…とにかく、あの女には気をつけろ。特にお前の妹には絶対に会わせるな」


 真剣な表情で俺にそう忠告すると、カウンター席にカクテルの代金を置いて闇ギルドを出ていった。

 俺は置かれた代金を手にして、ちゃんと足りている事を確認するとそれをレジに入れた。



 退勤の時間となり、俺は帰り支度を始める。

 あのクールなハティがあそこまで真剣そうにというか、少しだけ焦っているようにも見えたのは珍しい。

 ハティ曰く、ルクスリアは“人狼”…ハティと同類であるらしい。あれは単なる同族嫌悪というやつか、それとも…。


「シン、帰っちゃうの?」


 突然、表で接客に勤しんでいたはずのルクスリアが声をかけてきた。

 俺はハティの事もあって、その時のルクスリアが今までとは全く違う人物のように思えた。これは、単にルクスリアが変身しているからというだけではない。


「…あぁ、帰るよ。ルクスリアはまだ働くのか?」

「うん。拙はこの店の屋根裏に住んでるからね、閉店時間まで働くつもりだよ?」

「そっか、頑張れよ」

「ありがと、シン…ところで、その剣は何?」

「…!?」


 俺はハティから譲り受けた小ぶりな黒い剣をルクスリアには見えないように隠しながら持っていたのだ。理由は、なんとなくこれを見せたらダメなような気がしたからだ。

 しかし、俺は隠すのが下手なのか、ルクスリアの洞察力が凄まじいのかはわからないが、ルクスリアは俺が黒い剣を隠し持っていることを見透かしていた。


「…もしかして、あの人から貰ったの?」


 そう言いながら、ルクスリアは笑っているようにも、怒っているように見える不気味な表情で俺に歩みを寄せてくる。

 俺にはその表情がまるで“変な動きをしたら殺す”と言わんばかりで、そんなルクスリアが恐ろしく背筋が凍った。


「こんなもの要らないよ…だってシンは、拙が守るから」


 ルクスリアは俺との距離を息が当たる程に詰めると、ハティから譲り受けた黒い剣に触れて奪おうとしてきた。

 俺は、ルクスリアの手を払う。


「気持ちは嬉しいけど、誰かに守られるのは嫌なんだ…“お前は無力だ”って言われてるみたいだから」

「っ…」

「俺は変わりたい。だからこれは渡せない」

「…そっか。じゃあ、拙はシンが変われるのを応援するよ!」

「うん。ありがとう」

「…でも、本っっ当に辛くなったら、拙に頼ってね…?」

「わかった。それじゃまた明日」

「うん!ばいばい!」


 ルクスリアは俺に手を振って見送ってくれた。そして俺は、暗い夜道を歩いて休憩所兼我が家に帰る。

 そう。咲薇の待つ、あの家へ。

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