第12話 ちがあわない

 俺にはもう、何もわからなかった。


 俺はずっと“人として悪い事は絶対にしない”という思いを胸に、間違いを犯さず正しい事をしていればいつか絶対報われて幸せになれると、そう信じて今まで生きてきた。


 だから、咲薇が間違いを犯さないように悪いものから遠ざけてきたんだ。

 そうすればいずれ咲薇は幸せになれると、幸せを掴めると、そう信じてきた。

 なのに、結果的に咲薇を幸せから遠ざけていたのは俺自身だったのだ。


 認めたくなかった。

 悪いものを遠ざけたら幸せも遠ざけている事になるのを。

 咲薇から悪いものを遠ざけてきた結果、余計に苦しい思いをさせる事になって、悪いものに身を委ねた方が咲薇を“幸せ”に出来たという事を、俺は絶対に認めたくなかった。


 何故なら、正しい事をしていれば絶対に、悪い奴らよりもよっぽど格上の幸せを得られると信じていたから。


 なのに…そんな悪い奴は、今はこの国で一番裕福で幸せな暮らしをしているのだ。

 今俺がこうして悩んでいる間も、ソイツは都の中心の王宮の中で優雅に平和を満喫しているのだろう。


 もう…何もわからないよ、俺には。



「…着いたぞ、ここからは自分で歩けよ」


 闇ギルドへ着くと、強制的にマスターの背中から乱暴に地面に落とされる。

 俺は無言で立ち上がると、荷物も持たずに裏口から闇ギルドへ入っていった。


「あ、シンー!」


 幼い声と共に、ルクスリアが俺に駆け寄ってくる。

 まるでルクスリアの父親にでもなった気分だった。


「…ルクスリア」

「どうしたのシン?」

「…うん、少し疲れちゃったんだ」


 心配そうに見つめるルクスリアに、俺は愛想笑いをしながらそう呟く。

 そう…疲れたのだ。精神的に。


「そうなんだ!疲れた時はね、寝ると良いんだよ!拙の寝てる部屋に来て!まだ拙は寝れるから、一緒に疲れ取ろ?」


 そう言って俺の手を掴んで引っ張るが、力があまりにも弱いため俺はその場から一切動かなかった。


「…」

「シン?もう動けないくらい疲れちゃったの?」

「…なぁルクスリア」

「なに?」

「…ルクスリアは今、幸せ?」


 何小さい女の子にそんな事を聞いているのだろうか、俺は。

 俺の質問にルクスリアはうーん、と悩…む事なく、即答で返答してきた。


「うん!シンが居るから拙は幸せ!」

「…そっか、ありがとな」


 まぁ、所詮小さい女の子の幸せなんてそんなもんだよな、なんて思いながらルクスリアに感謝を伝えると、ルクスリアは無邪気に笑った。

 直後、裏口の扉が勢いよく開かれる。


「おいシン…!気持ちはわかるが荷物くらい持ってくれよ…!」

「シンは今とっても疲れてるんだって!そんなの全部おじさんがやれば良いのに!」

「ルクスリア…はいはい、わかったよ!邪魔だからルクスリア達は向こう行ってろ!」


 マスターは俺を庇ったルクスリアの言葉に対して面倒そうに頷くと、愚痴のような文句をぶつぶつ言いながら着々と荷物を店に置いていった。

 俺はルクスリアに手を先程よりもはるかに強い力で引っ張られ、俺はバイトの時にいつも立っているカウンターへ出て、そのままテーブル席へ座らされた。

 俺の正面に、ルクスリアが座る。


「シン…どうしちゃったの?」

「…ルクスリアは何で俺を慕ってくれるんだ?」

「したって…?わかんないけど、拙はシン大好きだよ!」

「…何で大好きなんだ?」

「だって拙にこんなに優しくしてくれたの、シンが初めてなんだもん!」

「…君みたいな子に優しくするのは当たり前だろ?」

「ううん、当たり前じゃないよ!だって今まで誰も拙に声を掛けてくれなかったし」

「…声を掛けただけだろ」

「それにね、美味しいものも食べさせてくれたよ!」

「…それは俺じゃなくてマスターが」

「でも、美味しいものを食べられたのはシンと出会えたからだよ?」

「…俺と、出会えたから…?」

「うん!シンと出会ってまだ1日だけど…今はとーっても幸せなんだよー!」


 ルクスリアは手足をばたばたさせて、何故か嬉しそうにそう話した。ルクスリアが今を幸せだと思えるのは、俺との出会いがキッカケらしい。

 何もかも打ち砕かれたようにボロボロの心には、その言葉がまるで傷口に薬を塗った時のように深く染み渡った。

 

「えっ!?シン、何で泣いてるの!?」


 ルクスリアが俺の顔を見て驚く。

 俺は自分の頬に手を当てると、手には透明な雫がついていた。どうやら俺は無意識に涙を流していたらしい。


「…ごめん、嬉しくてさ」

「拙が、シンを嬉しくしたの?」

「…うん、そうだよ」

「やったー!シンに恩返し出来たー!」


 ルクスリアはぴょんぴょん飛び跳ねながらそう言った。

 別に人として普通の事をしたのに、これじゃ恩返しじゃなくてただのプレゼントだ。

 …最高のプレゼントだよ。全く。


「おいルクスリア!シンは今疲れて…って、シン!?お前何泣いてんだ!?」


 荷物を置き終えて、バックヤードからマスターが戻ってきて、涙で濡れている俺の顔を見て驚いた。


「拙がねー、シンに恩返ししたのー!」

「お、恩返しぃ?そ、そうか…。あ、ルクスリア、これからシンと大事な話があるから、少し部屋に戻ってくれないか?」

「…わかった、おじさん」


 何かを察したのか…いやそこまで考えてないとは思うが、ルクスリアは少し不満そうに屋根裏部屋へと登っていった。

 そしてこの場にルクスリアが居なくなると、先ほどまでルクスリアが座っていた席にマスターが座り込んだ。


「お前の母親、とんでもない奴だったな」


 マスターは若干気まずそうに俺に話しかける。

 当然である。マスターはその場にいたにも関わらず何も出来ずただ俺が絶望する瞬間を見ていたのだから。

 やっぱり、さっきのあのテンションはわざとだったのか。


「…元だ」

「あぁすまん、元母親だったな…」

「…俺もう何もわかんねぇよ…どうしたら良いのか…わかんねぇよ…!」


 俺はマスターに、自分の本音をぶつけるように言った。


「…お前の家庭事情は前に聞いてたが、まさか不倫相手が国王様の息子なんてな…」

「別に不倫相手なんかどうでもいいんだ…ただ許せねぇっていうか、気に食わないんだ…不倫なんていけない事したくせに俺達よりも幸せなアイツが…!!」


 俺は怒りに似たような…嫉妬とは微妙に違うよくわからない感情を八つ当たりするように、テーブルに拳を強く叩きつける。


「まぁ…あぁ…何て言えばいいんだ…」


 いくら長い時間を生きてきたとはいえ、流石にここまで悲惨な人間を見た事がなかったのか、マスターは言葉に悩み、頭を掻く。


「…何でだよ…!正しい事をしてればいつかは報われるんじゃねぇのかよ…!」


 確かに、正しい事をしていれば“いつか”は報われるのかもしれない。

 しかし、その“いつか”が訪れるよりも前に間違っている奴らが幸せになっているのが許せない。


「シン…」

「…俺は咲薇を守る為に…幸せにする為に咲薇を悪いことから遠ざけてきたのに…アイツについていってたら…咲薇を守る事も幸せにする事も出来てたって…」

「…」

「…俺が間違ってたってのかよ…」


 俺の選択は決して間違ってなどいないと、そう思いたかった。

 しかし現に俺の選択のせいで咲薇はアイツに性的虐待を受け、洗脳状態にされて…。

 そして俺が家を出ていくという選択をしたせいで、今でこそマスターのお陰で自分達の家があるが、それまでは家も食べ物も無く、ましてや咲薇は目が見えない為、怖い思いを、辛い思いをさせる事になってしまった。


 これを踏まえて、何故咲薇はここまで酷い目に遭ってしまっているのか。…俺のせいじゃないか。

 俺の選択は間違ってないと思いたくても、結果的に間違っていたという結論になってしまうのだ。


「…シン、お前今日はバイト来なくていい。有給にしといてやるから妹さんと一緒に居ろ」

「俺にはもう…咲薇といるべきじゃ」


 直後、俺はあの時のようにマスターに胸ぐらをつかまれる。


「…言っただろシン!今の妹さんには自分を任せられる人間は…心の底から信頼してんのはお前しか居ないんだよ!」

「でも…俺は選択を…」

「まぁ、今回の件に関してはマジで酷ぇ話だと思ったが…選んじまったもんはどうしようもねぇだろ!?自分が正しいと思って選んだ選択なら、胸を張れ!もしもの話してたって今は何も変わらねぇんだよ!」

「っ…」


 マスターは俺にそう叫ぶように言うと、俺から手を離し、肩に手を置く。


「…まぁ、今日は一日中妹さんと過ごしてみろ。幸せの定義っつーのは、人によって違うもんだ」

「…俺と過ごせるだけで咲薇は幸せだとでも?」

「…さぁな、それは本人にしかわからねぇ。でも少なくともお前はそうなんじゃないのか?」

「…どうだかな」


 俺はマスターの手を払い、闇ギルドから出て行った。

 まだ昼前だからか、闇市には全く人が居なかった。あるとすれば、死体だけだ。



「おにーちゃん!今日も特訓お疲れ様!…あれ?今日は買い出しだったんだっけ?」


 俺が帰ってきたのを知り、咲薇は壁に手を当てながら玄関に来ると、無邪気な笑顔で俺にそう言った。

 …なんだか、あんな出来事の後だと、咲薇の笑顔も“実は俺の為に無理しているんじゃないか”と考えてしまう。そんな事あるわけない…とはわかっているつもりだが、実際咲薇には大変な思いをさせてしまっているのが事実である。


「…ああ」

「おにーちゃん…どうしたの?具合悪い?」

「…今日、母さんに会ったんだ」

「えっ!?ママがいるの!?」


 咲薇は表情を明るくする。どうやら、自分の母親がここに来ていると思っているようだ。


「…居ないよ。会ってすぐに別れちゃった」

「そっか…残念。とりあえず疲れたでしょ?リビング行こ?」


 俺は差し伸べられた咲薇の手を握ると、そのまま咲薇をリビングまで連れて行き、ソファに隣同士で座った。

 そして俺は…咲薇にある事を質問する。


「なぁ咲薇」

「ん、なぁに?おにーちゃん」

「…咲薇はここと王宮、どっちに住みたい?」

「え?王宮?なんで急にそんな夢みたいな事聞くの?」


 咲薇は困惑したような顔で俺を何も映さない瞳で見つめてくる。

 突然王宮に住みたいか、なんて聞かれたらそりゃ誰だってこんなリアクションを取るだろう。


 しかし、“夢みたいな事”か…。


 咲薇の何気ないその言葉は、俺の心に深く刺さる。そして俺は口が詰まってしまう。事実を言うのが怖い。

 深呼吸をして、俺は無理矢理絞り出すように声を出した。


「実は母さんは今、不倫相手と一緒に暮らしているんだ」

「そっか…」

「その不倫相手ってのが、この国の王の息子なんだ」

「えっ!?嘘でしょ!?」


 咲薇は驚きのあまり立ち上がって俺の方に体を向ける。

 当然のリアクションである。自分の母親だった人間が、今は国王の息子と暮らしているなんて言われたら誰だって驚くし、それに…母親の方について行きたかったと思うのも…当然である。


「…本当だ」

「じゃあ…私には王様の血が流れてるって事…?」

「あっ…いや…そうなるな」


 そういえば、咲薇はアイツの不倫相手との子供だ。

 忘れていた訳ではないが、配慮が足りていなかったようだ…と、俺は頭を抱えた。

 守る事はおろか、気を遣う事も出来ないのか…と。


「じゃあ、今おにーちゃんは王様の子供と話してる事になるんだね!凄く光栄だね!」

「…そう、だな」

「…ごめん、流石に不謹慎だったよね」

「いや、いいんだ…それが普通の反応だから」

「あ…だから王宮とかって」


 咲薇は俺の質問の意味を察したようで、静かに俺の隣に座った。


「ああ…だからあの時、もし俺が咲薇をこっちに連れて来させなければ…咲薇は今頃こんな貧しい暮らしなんてしなくて済んだんだ」

「…おにーちゃん」

「なっちゃったものはどうしようもないけど…俺が選択を間違えたせいで咲薇には何度も辛い目に遭わせてしまったんだ…」

「おにーちゃん」

「…だから、んっ!?」


 突然、唇に柔らかくて温かいものが密着する。それが咲薇の唇だと気付くのはすぐだった。

 もしかして毒素が活性化したのか…!?でもついこの間鎮静化させた筈なのに…まさか、頻度が上がってきているのか…!?


「…うるさい口。少しは私の話を聞いて?」


 咲薇の唇が離れると、俺は口に指を優しく押し当てられながらそう言われる。

 自分に対する卑下で咲薇の呼びかけに気付けていなかったようだった。


「私、全然辛くないよ」

「…別に気を遣わなくていいんだぞ」

「私、おにーちゃんに気を遣った事無いよ?今までもずっと本音で喋ってたつもりだよ」

「…そうなのか」

「うん。それにね、私にとっておにーちゃんはとーっても大きな存在なの。だから例え王宮で裕福な暮らしが出来ていたとしても、そこにおにーちゃんが居なかったら意味無いの」

「…え?」


 俺に対して気を遣った事が無いらしい咲薇は、俺にそう言った。

 それは…紛れもない咲薇の本音だった。


「前にも言ったでしょ?おにーちゃんがいたからどんな事も耐えられたって。逆におにーちゃんが居ないと私…不安なの」

「咲薇…」

「だから例え茨の道だったとしても、おにーちゃんと一緒なら私はそっちを選ぶよ」

「でも俺は…」

「大丈夫、おにーちゃんの選択は間違ってない。だって私、今とーーっても幸せだから!」


 そう言って、咲薇は俺をぎゅっと抱きしめてくれた。

 咲薇の言葉は、心身共にボロボロだった俺を優しく癒してくれる。


 “お兄ちゃんの選択は間違っていない”

 “私、今とっても幸せだから”


 …本当にアイツの子供なのかと疑うほどに真逆のセリフだ。それはまさしく感動的で、無意味などではない。


 何故なら、その言葉は咲薇の全く俺に気を遣っていない本音だからだ。

 

「…ありがとう、咲薇」

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