第11話 さいかい

 人間社会はいつだって忙しく、平穏なんて存在しないものである。

 辺りには商品を売るために大きな声を出す者や、それを購入する者達で溢れている。


 ここは闇市とは真逆の、王宮を中心に広がる王都の繁華街。

 俺とマスターは食材の仕入れをすべく、はるばる遠くから足を運んできたのである。

 闇市と休憩所兼我が家は、王都からだいぶ離れており、ここから大荷物を持って帰ると思うと気が滅入る。


「ところでマスター、ルクスリアは?」

「あの子ならまだ寝てる」


 今の時刻は前世でいうと8時頃。もしここが俺が前世で生きていた世界ならば遅刻確定である。


「大変だったんだからな。シンが帰ってからずっと大泣きしててよ、もう近所迷惑もいいとこだ」

「そもそも闇市っていう存在自体、世間からしたら迷惑なんじゃないのか?」

「まぁ、そうだが…闇市には長くいるが、闇市を殲滅しに来る正義のヒーロー様には会った事が無いんだよな。本当に迷惑なら即潰しにくるはずだろ?実際この国にはそれ程の力がある訳だしよ」

「…」


 マスターの言葉に、俺は無言で頷く。

 多分“正義のヒーロー様”というのは恐らく国王に仕える者達の比喩表現だろう。

 確かに闇市というのは、ならず者が集まる闇の世界で、現に凶悪犯罪者や賞金首が暮らしていたり、臓器や薬物の売買など違反行為も容易く行われている場所である。

 そんな法外な場所は無い方がいい。であれば、普通は潰しにかかる筈だ。

 しかしそんな法外な場所を野放しにしているのは、単純に見逃しているだけなのか、視界には入れているが御偉い方にはまだ手を下すほどでは無いと思っているのか、あるいは…。


「だからよ、早くルクスリアに顔を見せてやってくれよ…って、聞いてるかシン?」

「え?あ、あぁ。早くルクスリアに顔を見せたいな」

「…にしても、お前も随分ルクスリアを気に入ってるみたいだが」

「気に入ってるっていうか、何かちょっと咲薇に雰囲気が似てるっていうか」

「そうでもなくないか?ルクスリアは妹さんと違って時間は掛かったが今はだいぶ俺に懐いてくれてるぞ」

「そうなのか?何か意外だな」

「意外とか言うなって…」


 俺とマスターはそんな会話をしながら買い物を済ませて、割と量がある荷物を両手に休憩所兼我が家へ帰ろうとする。

 ここからあの距離をこの荷物を持って歩くのかと考えると、ため息が出る。別に今日が初めてという訳ではないが、それでも辛いものは辛い。


「…シン?シンなの…!?」


 突然、聞き覚えのあるような無いような声が俺の名前を呼んだ。

 多分俺と同じ名前の別人の事だろう…と、最初は無視して歩き出した直後、肩を叩かれて俺は振り返るとそこには、見覚えのある女性がまるで生き別れた家族と再会したかのような表情で俺を見ていた。


「アンタは…!」

「あぁ…やっぱりシンなのね!良かった…生きててよかった…!」


 見覚えのある女性…元母親は自分の息子だと確信すると、その場にしゃがみ込んでまるでもう離さないと言わんばかりに俺を強く抱きしめてきた。

 俺は突然の母親との再会に混乱し、助けを求めるように隣にいるはずのマスターの方に目を向けると、マスターは気まずかったのか少し距離を置いていた。


「フェリノートを連れて家出したって聞いたから心配したのよ!?」

「…」

「…シン?」

「…離れてくれ」

「あぁ、ごめんなさい。つい興奮しちゃって…こんな人前で恥ずかしいわよね」


 そう言うと元母親は愛想笑いのような顔をしながら俺から身体を離した。

 確かに知らない人達から目線を浴びるのは苦手だが、別に恥ずかしいから“離れてくれ”と言った訳ではない。

 俺は拳をぎゅっと、強く握りしめた。


「…なに母親面してんだ」

「えっ?」

「アンタが不倫したからこうなったんだろう!?アンタが不倫して子供を孕んだせいで、その不倫相手との娘の咲薇がどんな目に遭ったかも知らないくせに!!」


 俺は秘めていた思いを元母親にぶつける。

 そうだ。全てはコイツが不倫をしたから今こうなっているのだ。

 不倫相手との娘である咲薇が…何の罪もない咲薇がただ産まれてきただけで存在そのものが罪だと言われ、コイツの犯した罪を…何故か咲薇が事になったのだ。

 洗脳状態にされ、俺の見えないところで咲薇は…。


「私はシンもフェリノートも引き取るつもりだったのよ!?でも私を否定して向こうに行ったのは貴方じゃない!」

「当たり前だろ!不倫なんてするような尻軽女に誰がついて行くか!」

「尻軽っ…!?どこでそんな言葉を…!」

「…それで、離婚後の生活は楽しいかよ」


 俺は皮肉混じりにそう言う。

 よっぽど楽しいんだろうな。だって生涯を誓った男を上回るほどの男と交際しているんだからな。さぞ幸せな生活を送っている事だろう。


「…えぇ、楽しいわよ」


 元母親は吹っ切れたのか、どこか勝ち誇ったような腹立つ顔をして俺に言った。

 そのリアクションは予想外のものだった。

 改めて、こんな奴が俺の母親だったのか…と思うとコイツのもとを離れて良かったと思える。


「だって、今の旦那様は国王様の息子で次期国王様だからね」

「…は?」


 俺は一瞬だけ耳を疑った。

 え?何?国王の息子?次期国王?


「王宮での暮らしはとても優雅で楽よ?家事も何もかもメイドがやってくれるし。あーあ、私について来ればあの王宮の中で平和に暮らせたのに」


 元とはいえ自分の息子に対してとは思えない口調と態度でこの都の中心に建てられた王宮に目を向けながら、俺を煽るように言う。

 ここまで来ると、腹を立てるとかそういう次元では無くなり、もはや何の感情も湧いてこない。


「もう貴方は私の息子じゃないから本音言っちゃうけど、何?私のせいでフェリノートが酷い目に遭ったって?」

「…あぁ」


 嫌な予感がしてしまい、俺は強がって絞り出すように声を出す。

 しかしその声は自分でもわかるくらいに震えていた。


「何私に罪なすりつけてんの?貴方の我儘のせいでしょ?」

「っ…」

「貴方の我儘で向こうに行ったせいでフェリノートが!貴方の大切な妹が!アイツに酷い目に遭わされて、それで家出でしょう?」

「…」


 まるで、視界が暗くなっていくようだった。

 やめろやめろと心の中で念仏のように呟き、立っているのがやっとになっていた。


「家出した後、さぞかし辛かったでしょうね…でも私はその間ずっと王宮で茶を嗜んだりメイド達と会話したり、今の旦那様と関係を育んでいたけどね」

「…何が言いたい」

「結局は全部貴方のせいって事よ、シン」

「そんな訳…!」

「だってそうでしょ?もし仮に私についてきていたら、貴方達は今頃あの王宮で平和に暮らしていたのよ?確かに私は不倫したかもしれない。でも、どっちが最良の選択かなんて一目瞭然でしょう?」

「それは…結果論だろ」

「それに、もしかしたら貴方は後の国王になり得たかもしれないのよ?」

「国王なんて…興味は…」

「…ねぇ、貴方いつまで無意味に、そして無様に食い下がるの?本当は自覚してるんでしょう?良い加減認めたら?」


 不倫は、ダメな事だ。絶対に、どんな理由があっても正当化してはならない。

 でも…コイツは罪の自覚はあってもその後の人生が充実した為に不倫を正当化している。

 俺は不倫はダメな事で、そんな奴を母親と呼びたくはない。だからコイツと離れて咲薇を連れて向こうに行ったんだ。


 …なのに、何でコイツの方が幸せそうなんだ?


 俺は間違った事はしてこなかった筈だ。

 兄として妹を守る為に…咲薇から悪いものを遠ざけて、平和に幸せにしたかったのに。

 咲薇を守れるように魔術も習得して、いつも目が見えない暗闇の世界にいる孤独な咲薇を満たしてやりたかったのに。


「何でだ…何でだよ!!俺は…!間違った事はしてこなかったはずなのに!!」


 俺はもう耐えきれなくなって、その場に膝をついて地面を何度も何度も殴りつけながら泣き叫んだ。

 拳に血が滲んで、殴る地面がどんどん赤黒い液体で染まっていく。

 

「俺はただ…咲薇を守りたくて…幸せにしてやりたかっただけなのに…何でぇっ!!」

「シン…」


 まるで他人のように俺と距離を取っていたマスターが、俺の名前をつぶやく。


 俺は許せなかった。どの世界にも共通してしまっている理不尽に。

 どうして悪い奴が楽しそうで、真っ当に生きている奴が辛そうなのだろうか。

 どうして真面目な奴が馬鹿を見るのだろうか。

 俺は自分が正しいとは思っていないが、少なくとも悪事はしていない。

 コイツは不倫という罪を犯したが、その相手が国王の息子という事もあってその後は裕福な暮らしをしている。


 何なんだよこれは…!!


「…強いていうなら、貴方は選択を間違えたのよ」


 元母親は、俺の耳元でそう囁く…屈辱以外の何物でもなかった。

 直後、近くに豪華な装飾を見に纏った馬車が止まる。どうせ、アイツを迎えにきたのだろう。


「イェレス様、お迎えにあがりました」

「ご苦労様」

「イェレス様、あちらのお方は…?」

「あぁ、彼は…いいえ、知らないわ。行きましょう」

「承知いたしました」


 元母親…イェレスは自分を迎えにきた馬車に乗って、それを走らせて俺の真横を通り過ぎていく。その一瞬、俺はイェレスと目が合った。

 その時のイェレスの顔は、まるで俺を嘲笑っているような表情をしていた。

 俺はただ地面に手をつけたまま、砂煙を立たせながら走り去っていく馬車を見つめる事しか出来なかった。


 馬車が見えなくなった頃、周りは俺を可哀想だという目で見つめる人間達で囲まれていた。

 そんな中、一人の男が俺に近寄ってくる。


「…帰ろう、シン。ルクスリアが待ってる」

「…ああ」


 俺はほぼ放心状態のまま、弱々しく立ち上がると、闇ギルドで使う食材が入った紙袋を拾い上げて歩き始める。

 人が邪魔だ、と思ったがまるで俺を避けるように道が開けていった。

 直後、小さな石に足を引っ掛けてしまい情けなく転んでしまった。それと同時に、地面に食材が落ちてしまった。

 それなのに、俺は何故か立ちあがろうともせずただ倒れたまま動かなかった…いや、動けなかった。

 もう…自分を保てる程の気力が無かったのだ。

 なぜなら、俺の心の根幹にあった“信念”のような物が、いとも簡単に破壊されてしまったからだ。


「…たく、しょうがねぇなぁ」


 直後、俺の身体が地面から離れ、フワッと持ち上がる。

 どうやら、マスターが俺を担いだようだった。


「…ごめん…ますたー…」

「…気にすんな。そして謝るな、俺まで鬱になっちまう」

「ごめ…あっ…ごめん…」

「…シン、お前一旦喋るな」

「…」


 ……………。


 何だったんだろうな、今までの俺って。

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