第8話 かえってくる

 マスターが経営する店…闇ギルドが騒がしくなってくる頃。

 帰る家も無い為、俺も咲薇もぼーっとしながら闇ギルドに居座っていた。


「…なぁ、そろそろ帰った方が良いぞ?」


 居候する気満々な俺達に痺れを切らしたのか、マスターは俺に向かってそう言った。

 本当は声を荒げてキレたいだろうに、咲薇が目が見えない故に突然の大きな音を怖がってしまう為それをせず、俺だけに言ったのだろう。


「…言っただろ、帰る家なんて無い」

「何で家出なんてしたのか知らんが、多分喧嘩した親も今頃心配してんぞ?」

「…してるとしたら、咲薇だけだろうな。それに喧嘩じゃない」

「はぁ…じゃあ何で家出したんだよ」

「…咲薇を守る為だ」

「何で家出が妹を守る理由に…はぁ…そういう事か…」


 言っている途中で察したのか、まるで呆れたようなため息を吐きながらマスターは頭を抱えた。

 俺自身も“咲薇が父親に性的虐待をされているからだ”と発したくなかった為、マスターが自分で察してくれて助かる。


「…良い判断だシン。だが、俺が見る感じお前の妹は今の状態を望んでないみたいだが」

「咲薇はもはや洗脳状態だからな…目が見えないのと無知なのを良い事に」

「…どうしようもない奴ほど、陽が当たる場所にいるって事か…」


 “どうしようもない奴ほど陽が当たる場所にいる”


 俺にはなんとなくその意味が理解できた。

 恐らく、本当に悪い奴は闇に潜まず、表社会で常人を装っている…というような事だろう。

 それは、俺たちの前世の世界でも同様である。

 例えば、コンビニでアルバイトをしている清楚な女の子が、裏では男を誑かして金をむしり取るような奴だったり、学校1のイケメンが実はヤクザ絡みの人間で気に入らない同級生を夜な夜な排除しているみたいな。

 

「…いわゆる、道化師ってやつか」

「良い表現だなそれ。だがどちらにせよここには居させられねぇ」

「何でだ、事情を知ってて咲薇をまたあんな目に遭わせるってのかよ…!」

「そうは言ってないだろ、実はここより少し離れた場所に俺が休憩所として使ってた空き家があるんだが、そこに泊まってけよ」

「…いいのか?」

「お前達の事情知って今更ダメなんて言える訳ないだろ…案内してやるからついてこい」


 そう言うとマスターはそろそろ営業時間だというのにも関わらず出ていき、手招きをする。

 …マスターって、口悪いし声も見た目も厳ついが、中身は優しい人なのだろう…いや、多分これは過去の自分と境遇が似ている俺達に対して贔屓しているだけだろう。

 彼の中で自覚はしていないだろうが、“自分と同じ思いはしてほしくない”という正義感のようなものが働いているんだと思う。


「咲薇、行くよ」

「…帰るの?」

「違うよ、新しい家に行くんだよ」

「…引越し?」

「まぁ…そんなところかな。ほら、手を繋いで?」


 俺が手を差し伸べると、咲薇は恐る恐る自身の手を前に出して俺の手を探す。

 俺の手に触れて位置を把握すると、少し嬉しそうに微笑んでギュッと握った。

 盲目であるがゆえ、常に暗闇の世界にいる咲薇にとって俺という存在は唯一の光なのだ…と、思う。そうでありたい。


「外に出るから、足下に気をつけて」

「うん…」

「あ、あと臭いから鼻もつまんで」

「ぬんっ」


 咲薇は即座に鼻をつまんで、恐る恐る足を前に出して何も無いことを確認して一歩進む。

 …本来、こうやるべきだった。

 なのにこの1週間、俺はとにかくアイツから咲薇を引き離すのに必死で咲薇の思いも知らないでずっと手を引っ張っていた。

 それはつまり、今の俺にはそれに気付ける余裕が出来ているという事か。


「…やっぱり危ないから、おんぶしていくよ」

「やったー!」


 俺はその場にしゃがんで、咲薇に背中を向ける。

 そして数秒後に咲薇が俺の背中に密着すると、俺はその身体を持ち上げて闇ギルドを出ていく。


「遅いぞ…あぁ、そういう事か。まぁ行くぞ」

「ああ」


 俺は咲薇を負ぶったまま、マスターの背中についていった。

 闇市を出て、慣れていない故に少し時間が掛かってしまったが森の中を数十分歩いて、少し開けた場所にある質素な白い家に到着する。

 しかし、咲薇を負ぶった状態で足場の悪い森の中を長時間歩いていた為、到着する頃にはもうヘトヘトだった。


「はぁ…はぁ…休憩する為にここに来るのに道中で疲れてたら本末転倒じゃねーか…!」

「仕方ないだろ、俺の我儘にぴったりな家がここしか無かったんだから。つーかこれくらいで男が疲れてんじゃねぇ」

「男とか関係ねーよ…はぁ、はぁ…」

「着いたの?」


 俺はマスターに文句を言っていると、俺の背中に乗っている咲薇がそう言う。


「うん、着いたぞ…降ろすからな、気をつけて」

「うん…」


 俺の背中に乗っていただけとはいえ咲薇も疲れが溜まっているのかとても眠そうに頷くと、俺はゆっくりと腰を落として咲薇の足を地面に立たせる。一瞬だけよろめく咲薇を瞬時に支えて自立させる。

 別に身体が不自由という訳ではないのに、目が見えないだけでここまで人は介護が必要になってしまうのか。

 目が見えなくても一人で生きている人って、相当凄い人なんだなぁと感じる。



「休憩所っつったが、見ての通り家具は一通り揃えてある。2階には寝室と、ちょうど2部屋使ってない部屋があるからそこをお前達の部屋にすると良い」


 休憩所と呼ばれているここの内装は普通の家で、マスターが言った通り家具も普通に生活するには十分なものが揃っている。

 たかが休憩所に何でここまで揃えたのか疑問に思ったが、これからここが俺達の家だと思うと、少しワクワクした。

 親に縛られない、自分達だけの世界。

 感覚的には家というより、秘密基地である。


「俺はこれから営業なんで戻るが、なんかあったら言ってくれ」

「どうやって?」

「そりゃ、交信魔術でだ」

「…魔術?」

「お前、この世界に生きててかつその歳で魔術習ってないどころか知らないのか!?」

「仕方ないだろ、学校行ってないんだから」

「…そうか、じゃあ明日から俺が魔術を教えてやる。あ、飯は自分で作ってくれ。冷蔵庫に食材と調味料入ってるから。じゃあまた明日な!」


 そう言うと、マスターは颯爽と休憩所兼俺の家から出ていき、あっという間に姿が見えなくなる。

 なんで休憩所に冷蔵庫あんだ、なんで冷蔵庫にちゃんと食材と調味料入ってんだ。

 実はここマスターの借屋なんじゃないのか?と疑うほどあまりにも設備が揃いすぎている。

 まぁ、別にどんな理由があれ使えるものは使わせてもらうが。


「はぁ…はぁ…おにーちゃん…」

「あぁごめん咲薇、疲れて眠いよな…早く寝ようか」

「うん…はぁ…はぁ…」


 俺は限界そうな咲薇を介護しながら2階の寝室へと案内する。

 …眠いのは表情や口調でわかるのだが、何故顔が赤くて息が荒いのだろうか?

 俺は咲薇の額に手を当ててみるが、確かに若干の熱い気もするが、別に風邪をひいているわけでも無さそうだ。

 疑問は残ったまま、俺は寝室のベッドに咲薇を寝かせる。


「おやすみ、咲薇」

「うん…おやすみぃ…はぁっ…はぁ…」

「…?」


 何なんだろう、この違和感。

 やっぱり熱でも出しているのではないだろうか。

 これだけ設備が揃っているのだから、体温計くらいはどこかに置いてあるだろう。

 俺は急いで1階に戻り、棚などの色んな場所を探すが、全然見つからない。

 設備が揃っている場所に限って、どうしてその時に必要で肝心なものが無いのだろうか、と腹を立てる。

 しかし仮に熱を出していたとして、俺に何が出来る?

 

 どうしようもないが、身体が若干火照っている事に変わりはないので何か身体を冷やす物は無いかと探ろうとするが、どうせ無いので適当な布を冷たい水に濡らして軽く絞る。

 冷たいおしぼりを咲薇の元に持っていき、ひとまず身体を冷やしてみようと試みる。


「咲薇ー…」

「はぁっ…はぁっ…はぁっ…!!」


 咲薇の眠る寝室に入ると、先程よりも息を荒くして布団を剥いで、足元をもじもじさせて苦しそうにしている咲薇の姿があった。


「咲薇!?どうしたんだ!?…やっぱり何かヤバい病気にでもかかっ…っ!?」


 心配で咲薇に駆け寄った途端、俺の唇に謎に温もりのある柔らかい物が密着する。


「んーっ…んんーっ…」


 目の前には、息がかかるんじゃないかと思う程近い距離の咲薇の火照った顔が視界を埋める。

 ということは…今俺の唇に当たっているのは、咲薇の…

 それに気付いた途端、俺の口の中にヌルヌルとした生温い舌が侵入してきて、俺の舌を舐め回すように動いてくる。

 そして俺が抵抗すると思ったのか、咲薇は俺の身体をぎゅっと抱きしめ、逃げられないようにその火照った身体を密着させ、そのまま俺達はベッドに倒れ込む。


 あまりの突然の出来事に、俺はされるがままだった。


 …咲薇、何をしてるんだ?俺達は兄妹だぞ?確かに妹に好かれるのは嬉しいが、こういう意味では無いのだが。いや、多分これはそういうのじゃない。

 ふと、俺の足元に湿り気を感じ、目を下に向けると、咲薇の下半身が少し濡れていた。

 …これは、一体何なんだ?俺はいつの間にか寝落ちしていて、実は夢でも魅せられているのでは無いのか?だが、その割にはだいぶ現実味があるというか…


「んっ…ぷはっ…」


 俺が混乱している内に、咲薇の唇と舌がようやく俺から離れる。

 離れてすぐに俺は咲薇の顔を見ると、その時の咲薇は幸せそうな顔…の筈なのに、俺の知らない表情だった。

 楽しい時に見せる顔でも、美味しいものを食べた時に見せる顔でもない。


「はぁ…はぁ…パパぁ…やっときてくれた…♡」

「っ…!?」


 俺に向かってかつてないほど幸せそうに、嬉しそうにそう言った咲薇に、俺は絶望に似たような驚愕をした。

 それと同時に俺はベッドから出て、無意識に咲薇と距離を置いた。


 …今、俺に向かって“パパ”って言った!?


「パパぁ…会いたかった…大好きな、パパぁ…♡」

「違う…!俺はアイツじゃない…!」

「パパぁ…パパぁ…あはは…♡」


 ベッドから起き上がり、巻かれていた包帯が解け、咲薇の目元が露わになる。そうやって幸せそうに笑いながらこちらに迫ってくる咲薇に、俺は戦慄した。

 盲目であるはずの咲薇の目は、まるで俺を俺として映しておらず、“アイツ”として映しているようだった。


 違う。違う。違う違う違う違う。

 俺をあんなヤツと一緒にするな。

 俺はアイツとは違う。違う。違うんだ。

 だから、そんな目で俺を見ないでくれ…!

 アイツしか知らない咲薇の顔を、俺に見せないでくれ…!


「パパぁ…だぁいすき…♡」

「やめろぉおおおおおおおお!!!!」


 その時、寝室に鈍い音が響き渡る。

 気がつくと俺の目の前には、頬に手を当ててベッドに横たわる咲薇の姿があった。


「あ…咲薇…!?ごめっ…」


 …俺は、感情に身を任せてしまった。

 

 俺は妹である咲薇を殴ってしまったのだ。

 俺は殴ってしまった頬を確認しようとベッドに横たわる咲薇に駆け寄る。


「ごめんなさい…ごめんなさい…ちゃんと言う通りにするから…次はちゃんとお薬飲むからぁっ…だから大声出さないで…殴らないでパパぁ…!」

「…!」


 俺にそう言って、咲薇は頭をおさえて泣きながらビクビクと震えて怯えている。


 “大声出さないで” “殴らないで”


 先程は言われた言葉が俺の頭の中で何度も再生される。

 俺…大声出してしまった…。大切な妹である咲薇を殴ってしまった…。

 でも咲薇としては俺にではなく、アイツに言ったのだろう。

 そう…アイツに対して言ったはずの言葉が、今の俺に当てはまっている。

 という事は…つまり。

 

 “…やってる事がアイツと同じだ。どう足掻いても俺はアイツと血の繋がった息子という事らしい。”


「ぁ…あぁ…ぁああああああ!!!!!!」


 俺は自分に絶望し、叫び散らかした。

 壁に何度も頭を打ち付けた。額から血が出てきて俺の視界を紅く染め上げる。


 アイツはクソ野郎だ。ならば俺もクソ野郎だ。

 アイツが生きている事が許せない。ならば俺も生きている事が許せない。

 

 …ならば、死のう。


 アイツが咲薇を泣かせるのなら、俺も咲薇を泣かせるのだ。

 妹を泣かせる兄なんて、生きる価値は無い。

 何が妹を守るだ、自分が一番苦しめていたくせに。

 一緒に家出したせいで咲薇に辛い思いをさせてたくせに。


 咲薇の意見なんて知らずに自分勝手に動いて、勝手に咲薇を守ったつもりになって、内心気付いていたのに俺が正しい俺が正しいって自分に言い聞かせて無理矢理自分の行動を正当化して。


 …気がつけば俺はキッチンの棚から取り出した包丁を手にしていた。

 俺が死ねば、咲薇は悲しんでくれるかな。それとも喜んでしまうのかな。

 包丁を手に取ったまま、俺は鋭い刃を自分に向ける。


「…ごめんな、こんな最低なお兄ちゃんで」


 そう言い、俺は鋭い刃を自分に突き刺す…事が出来ず、腕が動かせずにいた。

 どうしてだろうか。自分は今死ぬべきだと思っている筈なのに。心臓を刺してしまえば一瞬で終わる筈なのに。


 …どうして、こんなに怖いんだろうか?

 …どうして、こんなに涙が出てくるんだ?


「シン!?てめぇ何やってんだ!?」

「マスター…!?」


 …タイミングが悪いのか良いのか、営業中のはずのマスターが戻ってきて早々俺に駆け寄って包丁を取り上げ、顔にビンタを繰り出す。

 頬がヒリヒリして痛かった。

 でも心臓に包丁刺したら、これよりもっと痛いのだろうか。


「馬鹿野郎!何自殺しようとしてんだ!守るべき妹さんがいるんじゃねーのかよ!?」

「俺気付いてたんだ…俺にはアイツの血が流れてる…そして、咲薇を苦しめてたんだって」

「あ…!?」

「咲薇は別に家を出る事を望んでなかったんだよ!!俺の勝手な正義感に振り回されてただけだったんだよ…!!」

「シン…」

「俺、さっき咲薇を殴っちまったんだ…咲薇が俺をアイツと同じように見るから…!!それが嫌で感情に任せちゃって…!」

「…」

「結局俺はアイツと同じだったんだ!!アイツと同じなら、苦しめてるのも同じなんだ!!アイツが死ぬべきなら、俺も死ぬべきなんだ!」

「ふざけんじゃねぇクソガキ!!」

「ぶっ!?」


 俺はマスターに殴り飛ばされ、テーブルを破壊する。

 しかし立ちあがろうとも言い返そうともしなかった…いや、出来なかった。

 何だか、もう体に力が入らなかった。


「何が“俺も死ぬべき”だ…お前が死んだら、残された妹さんどうするんだよ!?また父親の性的虐待に付き合わせるのかよ!?」


 マスターはテーブルの残骸に力無く横たわる俺の胸ぐらを掴みながらそう叫ぶ。


「でも…俺と居たって」

「てめぇが自分のエゴ貫いてここまで連れてこさせたんだろ!?だったら最後まで責任持って妹を守り通せよ!!」

「勝手に俺が守ってたって思い込んでただけだ…」

「別にいいじゃねぇかよ!実際お前は守ってるんだよ!父親から離す、それだけで十分守ってるんじゃねぇのかよ!?そう思って家出してきたんじゃねぇのかよ!?」

「それは…」


 すると、突然マスターは俺から手を離す。


「…俺は口下手だからあんま良い言葉言えねぇが…一度決めたのなら、どんな理由があっても最後まで貫き通せ」

「…無理だ、俺は咲薇を守れない」

「…じゃあお前以外で妹さんを守れる奴を見つけるまでお前が守ればいい」

「…え?」

「だって、妹さんから直接“お前いらない”って言われた訳じゃねーんだろ?それってつまり、お前を必要としてるって事なんじゃねぇのか?」

「…それは捉え方の問題だろ」

「うるせぇ黙って聞けガキ。要するに、妹さんがお前を必要としなくなるまで…“いらない”って言われるまでお前が妹さんを守ってやればいいんじゃねぇかって事だ」

「じゃあマスターが守って…」

「断る。俺妹さんに嫌われてるし。それに、今お前に死なれて一番困るのは妹さんなんじゃねーのかよ?」

「そんな訳…」

「あるんだよこの野郎。だって闇市に来てから、妹さんずっとお前の後ろに隠れてたじゃねーか…それって、信頼の証なんじゃねーのか?」

「それは…」

「それだけじゃねぇ。妹さんは目が見えないから、ずっとお前を頼りにしてきたんじゃねーのか?少なくとも俺にはそう見えたがな」

「…介護の件なら、それは当たり前だから」

「世の中当たり前の事を当たり前に出来ねぇ奴は沢山いる。俺は色んな奴を見てきたが…あれだけ迷いもなく手を繋げるなんて、余程お前を信じてるようにしか見えねぇけどな」

「…」

「肉食わせた時のあの笑顔、守りたいんじゃねーのか?」


 俺はふと、その時のことを思い出す。

 あんなに大きくて美味しそうな肉、前世でも食べたこと無くて…それを食べさせた時の咲薇の顔は、何の不純物のない純粋な幸福の顔だった。

 俺も咲薇をあんな顔にさせたい。

 ずっと幸せで居てほしい。

 

「…幸せに、したい。でも」

「“でも”とか言うな!!」

「っ!」

「妹さんを幸せにしたいなら、そんなネガティブな事を言うんじゃねぇ!そういうのはな、たまにポロッと出すんだよ」

「たまに…?」

「いつもネガティブだと“またかよ”ってなるが、たまになら“珍しいね、どうしたの?”って言ってもらえるだろ」

「妹に心配されるようじゃ意味無いじゃねーかよ」

「お前だけが守るだといくらなんでも荷が重すぎる。せっかく二人いるんだから、お互いを支え合って生きていく方が気が楽になれる」

「…最初の時と言い分違くないか?」

「うるせぇなぁ…俺は口下手だって言ったろ?」

「それは関係無いと思うが…」

「あるんだなぁ多分」

「ブレブレじゃねぇかよ!?」

「…さて、ひとまず妹さんに謝れるようにはなったようだな」

「あっ…」


 俺は、いつの間にか気が楽になっていた。

 自分が嫌いだという事に変わりは無いが、なんというかマスターの言葉で考え方が変わったような気がする。

 

 俺は咲薇を守る価値は無いが、咲薇は今俺を必要としている。ならば、咲薇が自分を守れる相手を見つけるまで、兄を必要としなくなるまで、俺が咲薇を幸せに、そして守る。


「妹さん殴っちまったんだろ、行け」

「ありがとう、マスター」


 そう言って、俺は階段を駆け上がって咲薇がいるであろう寝室へと向かう。

 …そういえば結局、何でマスターは帰ってきたんだ?

 そんな疑問を胸にしまい込み、寝室へと入る。


「あ…あぁ…ごめんなさいごめんなさい…」

「咲薇…」


 そこには、ベッドの上で頬をおさえて念仏のように謝り続ける咲薇の姿があった。

 俺は咲薇の元に歩いて、ベッドに座る。


「ごめんなさいごめんなさい…」

「咲薇…俺、どうかしてた。ずっと自分の中にアイツの血が流れている事が嫌だったんだ…でも、俺はアイツと同じように咲薇を苦しませたくない、だから」

「ごめん、なさい…ごめん…な…さい…」

「…だから、もう謝らなくて良いんだ。謝るのは…俺の方だ」

「…え」


 咲薇は念仏のように謝っていたのを止めて、ようやく俺の存在に気がついたようだった。


「咲薇…今までごめん」

「…おにー…ちゃん?どうして、おにーちゃんが謝るの…?」

「俺はずっと、自分のエゴで咲薇を守ってきたつもりだった…でも、野宿続きだったり、何も食べられない日々が続いたり、咲薇には俺と家出したせいで辛い思いさせてた。だから…」

「そんな事…無いよ…!」

「…え?」


 思わぬ咲薇の否定に、俺は困惑した。

 まぁ、確かに「そうだよ!お前のせいで何度死にかけたか!ふざけんな!死ね!」とか言われたら嫌だなぁとは思っていた…まぁ、言われても仕方のない事をしてたんだが。


「…確かに、家を出てから何回もお腹は空いたし、全然眠れなくて、辛かった時はあったよ」

「そう。だから…」

「でもね、おにーちゃんがずっと側に居てくれたから、耐えられたの」

「でも、辛くなった理由は俺で」

「そんな事ない!だって今、こうして雨に打たれない、ふかふかのベッドに眠れてる。これは、紛れもないおにーちゃんが居たからだよ」

「…そう、なのか?」

「うん…ありがと、おにーちゃん」


 そう言うと咲薇は罪深い俺を、まるで犯してしまった全ての罪を許すかのように優しく抱きしめた。

 途端、俺の眼からは涙が出てきてしまう。

 咲薇はきっと辛いだろうに、それでも元凶である俺をこうして優しく抱きしめてくれる。それが、とてつもなく嬉しかった。

 そして、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。


「…ずっと辛かったね。ずーっと我慢してて偉いね」

「あぁっ…ああ…」

「今は私以外誰も見てないから、我慢した分たっくさん泣いて良いんだよ」

「うぅっ…ぐっ…うぅっ…うぁああああああん!!」


 俺は咲薇の小さな胸の中で情けなく泣いた。当時俺は12歳、咲薇は6歳。


 ごめんな咲薇。こんな情けないお兄ちゃんで。

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