第6話 ワルイヒト
俺はグレイシーが居なくなった後、繁華街の商人達から貰った品々をあの手この手で何とか収納し終える。咲薇も協力してくれたのだが、適当にぎゅうぎゅう詰めにする為、結局俺一人がやる事になった。
「やばい…すっかり夜だ、早く咲薇にご飯作らないと」
窓の外はもう真っ暗だった。俺はすぐにキッチンへ戻って今晩の夜ご飯を作る事にした。
「今日は何作るのっ!」
「そうだな…実はまだ決まってないんだよな」
「じゃあ私の一番好きなお兄ちゃんのカレーがいい!」
「カレーかぁ…」
咲薇からの要望に、俺は頭を抱えた。
俺はだいぶ前にカレーを作ったのだが、咲薇にとっては大好物になる程美味しかったらしいが、俺にはそれがわからない。
この異世界にはカレーという概念が存在せず、当然だがカレーのルーとかも店に売っていない。しかしスパイスはあるので何とか調合してそれっぽい味とそれっぽい見た目の料理を作る、通称“異世界カレー”。
しかし俺が今まで作るのを渋ってきた理由は、調合したスパイスを何度も味見する為、料理が出来上がる頃には味を感じられなくなるほどに俺の舌が痺れてしまうのだ。
——そんな悪魔の契約みたいな料理が咲薇の大好物だというのだから、因果なものである。
「…だめ?」
「わかったよ、先にシャワー浴びてきな」
「やったーー!久々のカレーだぁ!」
咲薇はとても嬉しそうにピョンピョンと飛び跳ねて、パジャマとバスタオルを持って脱衣所へ入っていった。
咲薇が居なくなったのを確認すると、俺は小さくため息を吐いて、悪魔の契約みたいな異世界カレーを作り始める。
——毎度思うが、前世で見た事の無い食材ばかりという環境で、逆に異世界に無くて前世にあった料理を作るなんて、天才と捉えるべきか馬鹿と捉えるべきか…まぁ“馬鹿と天才は紙一重”なんて言葉があるくらいだし、多分俺は馬鹿であり天才でもあるのだろう。
実際、過去に咲薇以外の人にも振る舞った事があったのだが、お墨付きを貰った訳だし。
「…はぁ」
いくら咲薇の笑顔が見れるからと言って、これから自分の舌をぶっ壊すとなると、やはり堪える。
——ふと、負傷している手を見つめる。俺は包帯を解いてみると、何もしていないにも関わらず、いつの間にか傷が完治していた。
「…?」
何故傷が完治しているのか疑問に思ったが、恐らくグレイシーが俺の手首を掴んだ時にこっそり治療魔術でも施していたのだろうと思い、異世界カレーを作り始めた。
〜
「ごちそうさま!ふぅ…やっぱりお兄ちゃんの作る料理が一番だね!」
咲薇は異世界カレーを一瞬で完食し、心底嬉しそうな笑顔で俺に言う。なお、俺は舌をぶっ壊しており、結局この異世界カレーが美味しいのか全くわからなかった。
——作った本人が味を知らないって、どうなってるんだよ本当に。
「…お兄ちゃん?」
「ん、そうだな…咲薇が喜んでくれて何よりだ」
「えへへ…まぁお兄ちゃんの料理で喜んでるの、咲薇じゃなくてフェリィなんだけどね!」
「フェリィ?」
「グレイシーさんが私の事をそう呼んでたんだけど…ちょっと気に入っちゃった」
「アイツがそう呼んでたのならやめた方が良いぞ」
「じゃあ私の事“フェリノート”って呼んで?」
「——さ、さて洗い物でもするかな!お皿、持っていくぞ!お腹を休めたら自分の部屋で寝るんだぞ!」
「あーっ!話逸らしたー!」
咲薇の言う通り、俺は少々強引に話を逸らして食べ終わった後の皿を回収し、台所へと持っていった。
俺がここまで頑なに咲薇の事をこの異世界での名前——フェリノートと呼ばないのには理由がある…と言っても、無い物ねだりのようなものだが。
今の咲薇は“咲薇”としての自分を憶えていないのだ。でも俺は咲薇の事をよく憶えている…そして、咲薇を失いたくない。だからフェリノートを咲薇と呼び続ける。
——俺がフェリノートと呼んでしまったら、本当に咲薇が居なくなってしまったみたいだから。
〜
一通り手洗いを終えて、濡れた手を拭く。一息吐こうと思い、俺はリビングのソファへ向かうと、そこには咲薇がすやすやと寝落ちしてしまっていた。
「…咲薇、寝るなら自分の部屋で寝な」
「ん…だっこ」
「へ?」
寝ぼけているのか、咲薇からのそんな要求に俺は戸惑った。
「…眠すぎて歩きたくないっ…だっこして」
「自分で行きなよ、大した距離じゃないんだから」
「…そしたらソファで寝ちゃうもんね」
「——わかったよ。ほら、おいで」
「えへへ…」
両手を広げると、咲薇は俺にぎゅっとしがみついてきた。俺はそのまま抱き抱えて階段を登り、咲薇を部屋まで連れて行った。
咲薇がいつも寝ているであろうベッドの前までくると、俺は咲薇をベッドの上に横たわらせる——が、何故か咲薇は俺にしがみついたまま密着して離れない。
「ちょ、咲薇…」
「今日こそは…お兄ちゃんと一緒に寝るんだからぁ…すぅ…すぅ…」
——とは言いつつも、睡魔に負けて咲薇は俺の身体から離れ、ベッドの上に大の字で眠ってしまった。
「…おにいちゃん…ずーっと…いっしょだから…ね…すぅ…すぅ…」
「——おやすみ、咲薇」
咲薇の寝言に返答するように言うと、俺は部屋を出て出掛ける準備をする。腰に黒い剣を下げて、血が飛び散ってもわかりにくい専用の服を身に纏う。
——そして俺は今日も悪を殺すべく、扉を開けて闇夜を見下ろす月の光に照らされる。
「行くのかい?」
「うわぁびっくりしたッ…!?お前いつからここに…?!」
玄関を出ると、家の外壁に寄りかかっているグレイシーの姿があった。てっきり何処かに行っているものだと思っていたが。
「——家を出てからずっと」
「イカれてるな、お前」
俺はグレイシーに向かって言うと、そのまま闇市に向かって歩き出した。
「今日は君達にとって運命の日になると思うよ」
「“運命”って言葉好きだなお前…そういえば俺の手、お前が治したのか?」
「え?知らないけど…この短期間で治ったのかい?」
グレイシーは意外にも、本当に驚いているような声で問いかけてきた。
「ああ…てっきりお前がやったもんだと」
「どのタイミングでボクが君に治療魔術を施したというんだ」
「まぁ、そうだけど…」
結局俺の手についての疑問が晴れる事は無く、それ以降は闇ギルドに到着するまでグレイシーと会話をする事はなかった。
闇市への道中は人の死体が転がっているなんてザラで、頭のネジが何本か無くなっているような奴も沢山いるし、辺りはツンと刺すような血の臭いもする。今となってはもう慣れてしまったが、初めてここに来た時はそのあまりにも酷く悲惨な光景に臭いも相まって吐き気を催した。
ドォオオオン!!
——突如、静寂を貫いていた闇市に爆発音が響き渡った。爆発音の発生地は…闇ギルドがある方向だった。
「まさか…!」
俺は嫌な予感がして、闇ギルドへ向かって駆け出した…が、一刻も早く向かう為に足元の空気を階段上に固形化し、それを駆け上がって闇ギルドへの道を大幅にショートカットする。
地面に着地すると、そこにあったのは跡形も無く崩壊して瓦礫の山となった闇ギルドだった。そして、瓦礫に埋もれた——マスターの姿があった。
「マスター!!」
「シ、シンか…へっ、こんな情けねぇ姿をお前さんに……見せっ…ちまうとはな………」
マスターは強がってそんな事を言う…が、その声は弱々しく、本人自体も虫の息だった。
「嘘だろ…何があったんだよマスター!!」
「ようやく見つけたぞ賞金稼ぎ…!わざわざ闇市にまで足を運んで正解だった…!!」
俺はその声に聞き覚えがあった。振り返るとそこにいたのは、闇ギルドを破壊した犯人であろう人物が俺を恨んでいるような目で睨みつけていた。
「——ガルバー…目的は、俺への復讐か」
「無論、その通りだ…!!まずは手始めに、貴様の大切なものを全て壊してやる…まずは一つだァ!!」
ガルバーはそう言って、汚らしく笑った。
——ガルバーにとって悪魔崇拝教団がどんなものだったのかは知らないが、他にもっと縋るものがあったろうに…だが、コイツに対しての慈悲は、今捨てた。
「マスター」
「…………」
普段はバーテンダーみたいな事しかしない人だが、実は俺に魔術を教えてくれた師匠のような存在でもあったのだ。一時期は闇ギルドでバイトをさせてもらっていた事もあった。
——そんなマスターからの返答は…無かった。
「——お前は本当に、関係無い人を巻き込むのがお好みなんだな」
「この世界に生きる者は全て、理想への代償の為に存在しているのだ!!貴様も、理想の世界の礎となるが良い!!」
そう言ってガルバーは禁書を取り出し、残っているページを全て破ってそれらを自身の身体に取り込んだ。
「はぁ…!はぁぁァハハハ…凄い…凄いぞ…!!力が漲ってくる…!!先程までとは比べ物にならない…!!ウォオオオオオオオオオオオ!!!!」
ガルバーが雄叫びを上げると、まるで世界が禁書の力を拒絶…もしくは逆に歓喜しているように突風が吹き荒れ出し、地面も揺れ始める。
そして徐々にガルバーの身体が変異していき、毛が生え、爪は伸びて鋭利になり——まるで、禁書から召喚した魔獣グラトニーと融合したかのような姿に変わり果てた。
——ガルバーの変貌を見て、改めて禁書とそのページは有ってはならないものなのだと再確認させられた。
「死ねェエエエエエ!!!!!!」
もはや獣人のように成ってしまったガルバーは、叫びながらその鋭利な爪を振り下ろしてきた。俺は即座に黒い剣を引き抜いて爪撃を防ぐ…が、人間の域を超えた怪力によって吹き飛ばされてしまう。
足を引き摺っていてもなお吹き飛んでいく勢いは収まらず、咄嗟の判断で地面に剣を突き刺して減速を試みる——その瞬間、まるで俺が剣による攻撃を繰り出せない隙を狙ったのか、ガルバーが一瞬で俺との距離を詰め、隙を逃さまいとすかさず爪を突き刺すべく拳を振りかぶった。
——このまま剣を抜いてまた防ぐか!?いや、それじゃバランスが崩れてそれこそ隙だらけになる!
「うぉぁっ!?」
ガルバーの爪が俺の目に直撃しようとした直後、俺は何故か足を滑らせて転んでしまった。一方ガルバーはというと、まだ自分でも力を制御出来ていないのかそのまま俺の上を通り過ぎて飛んでいってしまった。
——ふと、俺は地面に触れているはずの背中が異様に冷たい事に気がつき、辺りを見渡すと周囲の地面がまるでスケート場のように氷の床が形成されていた。
「——ボクがこれやってなかったら死んでたよ?シン」
氷の上にしゃがみながら、グレイシーがニヤニヤと不気味に笑いながら俺の顔を見下ろして言う。
「お前…今まで何処に」
「何処にって、寄り道してたみたいに言わないでくれないかな。ボクはシンと違ってショートカットなんて出来ないんだ」
「氷で道作れば出来るだろ」
「——氷属性って、扱いが難しいんだよ?」
「器用に氷柱作って飛ばしたりする奴がよく言うよ…」
グレイシーとそんな束の間の会話をしていると、遠くから砕くような音と同時に獣の雄叫びのような声が響いてきた。
俺は若干苦戦しながらも氷の上に立ち上がり、黒い剣を構える。
「賞金稼ぎに雪女ァ…!!貴様ら全員我が爪と牙でグチャグチャの肉塊にしてやる…!!」
飢えた獣のように唸り声を上げながら言うと、ガルバーは氷の床を踏んで破壊していきながらこちらに向かって走ってくる。
「——そんなものが禁書の力だなんて…本気で思っているのかい?」
「な、何…うぁああっ!?」
グレイシーは指をパチンと鳴らす。するとガルバーが踏んでいた氷の床は水のように溶けて変幻自在に形を変え、ガルバーを包み込んで氷の球体を作り上げた。
ガルバーの入った氷の球体は、徐々に空中へと浮いていった。
「ボクはずっと君が気に食わないんだよ…悪魔の力をそんなくだらない事に使って、何が悪魔崇拝教団だ」
「お前…何を言ってるんだ…?」
「君がしている事は崇拝どころか、寧ろ侮辱に値するんだよ……!!!」
グレイシーが怒りを露わにした声を発すると、宙に浮かされた氷の球体を勢いよく地面に落とし、豪快に破壊した。その直後、まるで追い討ちをかけるように、そしてグレイシーの感情を表しているかのように、吹雪が強く吹き始めた。
——言い草からすると、グレイシーも悪魔なのか?まぁ正直そうだったとしてもあまり驚きはしないが。
「うっ…ゴホッ、ゴホ…」
「良いかい…?悪魔の力というのは、こういうのを言うのさ…!!」
氷の瓦礫に埋もれ、人間の姿に戻ってしまうほど衰弱しているガルバーにトドメを刺すべく、グレイシーは氷で剣を形成してそれを逆手に持ち、歩み寄っていった。
「——待て!」
「なんだいシン、君が止めるなんて珍しいじゃないか…マスターを殺した事、恨んでいるんじゃないのかい?」
「俺の目的はあくまで禁書、殺す必要は…無い」
「…ふーん?」
俺の言葉に、グレイシーはまるで俺の本心を見抜いているかのような表情をする。
確かにガルバーは生贄と称して罪無き人を殺して、遂には俺の大切な人にまで手を出した…だがどんな形であれ、それはガルバーも同じなのだ。
ガルバーだって俺とグレイシーによって仲間を殺された上に、悪魔崇拝教団という自身の居場所まで失ったのだ。
「——俺は、ガルバーとは違う」
「くっ…ククク…ギャハハハハハ!!!」
俺はそう告げると、グレイシーは氷の剣を投げ捨てて汚らしく笑った。いつもの不気味な笑いとは違う——それこそ“悪魔”のような笑い方に、俺は戦慄する。
「何がおかしい…!?」
「——本当に面白いよ…人間というのは。本物だと信じれば、例えそれが偽物だったとしても本物と遜色ない力を発揮できるんだからね…!」
「にっ…偽物…だと…この本が…!?」
グレイシーから告げられた事実に、ガルバーは弱々しい声で驚愕する。
「当たり前だろう?大体それが本当に暴食の禁書なら、グラトニーがあんな簡単にやられる訳ないじゃないか!それにページだってそうだ…禁書のページの力を、人間の身体で制御出来る訳が無いだろう!!」
グレイシーは嘲笑うように真実を述べる。
実を言うと、それは俺も薄々勘付いてはいた。俺の知っているグラトニーは卑劣な奴ではあったが、そもそも魔獣ではなかった。ただあれから数年経っているから、もしかしたら悪魔側の事情で何かしらあって魔獣に降格したのだろうと勝手に思っていた。
——大体、七つの大罪の一画を担う“暴食の悪魔”が、ただのオーバーヘッドキック一発でやられる訳が無いのだ。
「…お前、何でそんな事を」
「君もそうだよシン、何が“ガルバーとは違う”だ…いくら相手が賞金首——悪人とはいえ、散々自分の為に人を殺してきたくせに何を言っているんだい?」
「ッ——!!」
グレイシーの言葉は氷のように冷たく、まるで矢のように鋭く突き刺すようだった。俺のしてきた事は正当化すればするほど、自ら沼に嵌っていくような見苦しい言い訳のようになっていく。
——結局、ガルバーと同じじゃないか。
「この、ヒ・ト・ゴ・ロ・シ…♪」
耳元でグレイシーにそう囁かれる。俺は何も喋れなくなり、感情に任せて叫ぶ事も出来ず、その場に膝をついてしまった——人は本当に絶望すると、どんな声も出なくなるのだ。
どんな悪人でも、家族や恋人…大切な人が居る。そしてそいつが死ねば誰かが悲しむ…それは俺が一番わかっていたはずなのに。
——俺はまた…間違えてしまったのか。
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