第2話 ココロノオンド

「…ふぅ」


 私の吐息がバスルームに響き渡り、やがてシャワーの音にかき消される。

 ——私はふと、鏡に映る自分を見つめる。


「はぁ…」

 

 そして自分の髪や頬に触れ、自分の姿に対してため息を吐く。

 私の髪色は薄めのペールオレンジに、何も弄ってもないのに赤のメッシュという特殊な髪をしている。

 瞳の色もエメラルドグリーンで全体的に明るい色合いで、黒い髪に赤い瞳のお兄ちゃんとは真逆の色をしている。


「お兄ちゃんと同じが良かったな…」


 自分の髪をぐしゃ、と掴みながらそんな事を呟く。お兄ちゃんと同じ色に染めたいと言ってもダメだと断られてしまうのだ。

 鏡に映る自分を見る度、まるで鏡の向こうにいる自分に“お前は本当はお兄ちゃんとは赤の他人だ”と言われているような気分になる。

 ——私は、自分の姿が嫌いだ。



 シャワーを浴び終えてバスルームを出ると、体を拭く為のバスタオルとパジャマ一式をリビングに置いてきてしまった事に気付く。


「お兄ちゃーーん!!」


 全裸で濡れたままリビングに向かう訳にも行かないので、私は大声でお兄ちゃんを呼んだ——が、来るどころか返答も無かった。

 いつも一瞬で駆けつけてくるお兄ちゃんにしては珍しいな、と思いながら、仕方なく近くにあった手拭き用の小さなタオルで身体をまずが垂れてこない程度に拭いて、恥部を手で覆い隠してリビングへ向かう。

 

「お兄ちゃん、パジャマ取ってほしいなー…あっ」


 私は顔だけ出して、リビングにいるであろうお兄ちゃんに向かって言う。しかしお兄ちゃんは珍しく、ソファで可愛らしい寝息を出しながら眠っていた。

 ——道理で呼んでも来なかった訳だ。

 私はお兄ちゃんを起こさないように足音を立てずに歩いてパジャマとバスタオルを拾う。


「ていうか、お兄ちゃんもソファで寝てるじゃん…!」


 私は眠るお兄ちゃんの真横で、パジャマに着替えながらそんな文句をヒソヒソと言う。

 何気に、お兄ちゃんの寝顔を見たのは初めてな気がする。いつも私が最初に寝ちゃうから、滅多にお目にかかれないお兄ちゃんの寝顔を息が当たるかもしれないくらい近づいてまじまじと見つめる。


「ふふっ、可愛い」


 普段の優しくてかっこいいお兄ちゃんとは打って変わって、その寝顔はまるで女の子みたいで可愛らしかった。

 デキゴコロで頬をつんつんしてみた。ぷにぷにしていてとても柔らかい。

 起きないので頭を撫でてみた。本当に私と同じシャンプーを使ってるのかと思うくらいサラサラで、微かに漂ってきたお兄ちゃんの匂いが鼻をくすぐる。

 お兄ちゃんは朝シャン派でそれなりに時間が経っているのに、どうして夜まで香りが続いてるんだろう。


「やっぱり髪質とか私と違うのかなぁ…はぁ…」

 

 私はお兄ちゃんの髪の毛をくるくる回したり弄ったりしながら一人で呟いて俯く。

 ——というか、頬をつんつんしても髪の毛を触っても全然起きないんだけど。

 しかしお兄ちゃんがソファで寝ていて、何をしても起きないという事は…それだけ疲れが溜まってるって事なのかな。

 お兄ちゃんは朝昼晩の食事を作ってくれたり家の掃除や食材の買い出しなど、いつも家事をしてくれる。それに比べ、私は何もせずに甘えてばかりで…いつも負担かけてばかり。

 ——私のせいなんだ。


「ん…咲薇…?」

「お、お兄ちゃん…」


 自分を責めているタイミングで、まるで見計らったようにお兄ちゃんが目を覚ます。まだ眠気が残っているのか、ぼーっとしている。


「俺、寝ちゃってたみたいだな…ごめん」

「何でお兄ちゃんが謝るの!?謝るのは、私の方だよ…」

「——何でだ?」

「だっ、だって…私はお兄ちゃんに負担かけてばかりだし、ソファで寝ちゃったのも…疲れてるからなんでしょ!?」

「自分を責めるな咲薇。俺は咲薇に幸せで居てほしい…平凡に生きて、笑ってくれればそれで良いんだ」


 お兄ちゃんは微笑んでそう言うと、ソファから起き上がって私の頭を優しく撫でた。


「でっ、でもぉ…」

「俺は咲薇に甘えられるのも、頼られるのも兄として嬉しい…だから、自分を責めないでくれ。咲薇が自身を責めてる方が辛いから」

「——お兄ちゃん、優し過ぎだよぉ…」


 私は冷めない罪悪感に苛まれながらも、優しく頭を撫でるお兄ちゃんの優しさに思わず抱きしめた。

 ——お兄ちゃんの身体は、優しさを表すかのように温かった。



 俺はいつものように闇ギルドへ赴き、賞金首の手配書に目を通してターゲットを選別する——とはいえ基準は“禁書の力を使う者”だけなので、割と直ぐに決定する。


 ——そもそも禁書とは一体なんなのか。

 禁書というのは、簡潔に説明すると太古の昔から存在する凶大な力を宿した本の事だ。しかし誰がどんな目的で生み出したのかはわかっていない。

 禁書の力の本質は“悪魔”によるもので、その力を使うという事は擬似的な“悪魔との契約”と同義である。悪魔との契約はこの異世界では重罪…つまり、禁書の力を使う事も当然重罪である。

 ——俺は、悪魔と契約した者がどんな末路を辿るのかを知っている。悲劇を繰り返さない為に、俺は禁書のページを人に売りつけて金儲けする者を探しているのだ。

 ならば殺す必要は無い、そう思われるかもしれないが、相手は賞金首…世に害を為す“悪”である——それだけで、殺すに値するだろう。


「…あ、ちょっと待てシン」


 今日のターゲットを決め、闇ギルドから出撃しようとした直後、俺はマスターに呼び止められる。


「どうしたんだマスター?」

「最近、雪女の目撃情報が出てんだ」

「雪女…」


 俺は思い当たる節があるかのように呟く。

 もちろん雪女なんて見た事は無いし、思い当たる節も無いが…少しだけ昔を思い出したのだ。


「まぁ、お前さんなら大丈夫だとは思うが一応な」

「ありがとう、気に留めておく」


 俺はそう言って闇ギルドから出ていった。雪女と出会うかもしれないというマスターの注意を頭の片隅に入れつつ、今日も闇市の暗い夜道を歩いてターゲットを捜索する。

 賞金首は手配書に顔写真が載せられている為、この闇市という無法地帯で息を潜めている。だから闇市を適当に歩いていれば、自ずと出会えるという訳だ。


「きゃぁぁぁぁあ!!!」

「!?」


 静寂な夜は突如終わりを迎えた。

 ここから遠くない距離で人の悲鳴と奇妙な音が同時に聞こえてきて、俺は声と音の方角に向かって走り出した。


「ぎゃはははは!素晴らしいですねぇ…禁書の力!」

「——ッ!?」


 声と音の出所に駆けつけると、ぐちゃぐちゃにされた死体に、酸か何かで身体を半分溶かされたような死体…それらが辺り一面に転がっていた。その中心に、血で汚れた高そうなスーツを着て高笑いする男が佇んでいた。

 俺はその凄惨で狂気的な光景に絶句した。


「おや…正義のヒーロー様の登場ですか」


 俺の存在に気がついた男は、俺に向けてそんな皮肉のような事を言う。

 ——よく見ると、男の胸元には金色が鈍く光る弁護士バッジが付けられていた。どうしてそんな奴が禁書の力なんて…。


「賞金稼ぎなんて…真っ当なやり方で金を稼げない低脳なのですか?」

「——禁書の力に魅入られた奴に言われる筋合いは無いッ!」


 俺は黒い剣を引き抜きながら男に向けてそう言うと、足元の空気を固形化させ、それを蹴って低空飛行で一気に距離を詰めるが、途中で真下から何かを繰り出されるのを察し、軌道を切り替えて距離を離す。

 ——直後、先端がかなり鋭利な枝のようなものが地面を割って生えてきた。しかも一本だけでなく、まるで俺の動きを読んでいたかのように行先の地面からも追い詰めるように枝が次々と生えてくる。

 俺は避けては軌道を変えてを繰り返し、何とか無傷で避け切る事に成功して着地する。


「見事な回避ですねぇ…まるで、ゴキブリのようだ…!ですが、あなたはもう檻の中なのです」

「…!?」


 男の言葉に俺は周辺を見回すと、辺りはいつの間にか木々が生い茂る林のようになっていた。

 ——禁書の力を使う奴って、なんでこう相手を何かで囲うのが好きなのだろうか?


「因みに燃やそうとしても無駄ですよ?この枝は中にかなりの水分を含んでいるので…つまり今、この一帯は疑似的なオアシスという訳です!」


 燃やそうと考えてすらいないのに男は要らぬ説明をし始め、挙げ句の果てには両手を広げて勝ち誇る。

 ——禁書の力を使う奴って、なんでこうすぐに勝ち誇ってしまうんだろうか?


「こんな力…一体どこで手に入れた?」

「あなたのようなゴミに教える訳が無いでしょう?」

「——ゴミはお前だろ」


 本当は禁書のページについて聞き出したいところだったが、俺は遠距離から男に向けて手を翳す——そう、モルテ流魔術を使うのだ。


「何かしでかそうとすれば、こうですよッ!」


 何かをするのを見据えた男は、動きを封じる為に多方向から鋭く尖った枝を俺に向けて放ってくる。


「モルテッ…!」


 枝が俺に刺さる前に命を終わらせるべく、即座にモルテ流魔術を行使しようとした途端、枝の動きが間近で止まった。


「これは…凍ってる…?」

「なっ…まさかこんな時に…!」


 男の顔が青ざめる。直後、辺りに雪が降り始めたと同時に雪を踏む音が聞こえてくる。

 音の方を見るとそこには、まるで色の無い世界からやってきたかのような…老人のような白髪に、血が通っていなさそうなくらいに白い肌をした者がいた。


「あいつが——」


 ——マスターが言っていた、雪女。


「なんて不運なんだ…はっ、はっくしゅん!」


 男が雪の寒さでくしゃみをした瞬間の隙を狙って、俺は剣を逆手に持ち替え、邪魔な凍った枝を破壊して即座に距離を詰めるとそのままの勢いで男の首を切断する。


「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁあ!!!」


 首を切断された男の断面図から、血が噴き出る。少しだけ積もっている雪が男の血で紅く染まり、全く栄誉の無いレッドカーペットが出来る。


「…」


 俺は男の首を拾い上げると、突如現れた噂の雪女に目を向ける。雪女は俺の行動の一部始終を見ていたが、それがさも当たり前かのようにノーリアクションだった。

 ——この女からは全くと言っていいほど生気が感じられず、不気味だ。


「ふふ…ダメだよ…?鮮度は保たないと…」


 雪女はニヤリと笑った直後、俺の持っていた生首が霜が出来る程カチカチに凍った。


「——何のつもりだ」

「ふふ…うふふ…ふふふっ…」


 雪女はまるで今の状況を楽しんでいるかのように笑うと、俺に歩みを寄せてきた。敵意のようなものは一切感じなかったが、笑いながら歩み寄ってくる雪女は不気味で恐怖すら感じた。

 ——恐れ慄いて逃げるみたいで少し癪ではあるが、本能が“関わってはいけない”と告げているような気がして、俺は本能に従ってその場から退散した。



 俺は闇ギルドに首を持ち帰り、雪女と遭遇した事を告げるとマスターはグラスを拭きながらうーん、と声を唸らせた。


「雪を降らせるなんて、相当の技術が無いと出来ないぞ…本当に雪女なんじゃないのか?」

「氷属性の魔術…か」


 この異世界では、氷属性の魔術は水属性の応用…水を固形化し、辺りの気温を下げたりと扱いが非常に難しい為、上級魔術に認定されている。

 なので俺のモルテ流魔術の一つである凍死モルテ・グレイシアも、実を言うとまだ完成していないし、使ったこともない。

 面倒で扱いは難しいしコスパも悪い上に使い道も限られている為、あまりこの異世界で氷属性の魔術を使っている者はいない。

 

「にしても今回の首、男じゃなければ過去最高額いけたかもしれないぞ」


 マスターは雪女から話を逸らし、今回の首についての話に切り替える。

 ——結局、どっちの話題も俺にとっては気色の悪いと感じるものである。


「女ならまだしも、男の生首なんて何の需要があるんだ?」

「まぁ…どの首も主な使い道はコレクションや実験道具だからな」

「——わからないな、俺には」


 実験道具に人間の首を使うというのはまだギリギリ納得出来るが…コレクションで買うなんて心底理解が出来ない。

 死んだ人間の首を並べられた棚とか、想像するだけでゾッとする。


「わからないと言えばシン、お前どうやって鮮度を保った状態でこれ持ってきたんだ?いつもなら切ったまんま持って来んのに」

「それは…」

「ボクがやったんだ、こういうのは鮮度が大事だからね」


 マスターの疑問に、俺の代わりに聞き覚えのある不気味な声が返答した。同時に俺は背筋が凍り、冷や汗を垂らす。


「——君が雪女か」


 マスターは俺の背後にいる雪女を見つめながら言うと、拭き終えたガラスを俺の隣に置いた。

 

「雪女…それがボクの通り名?なんか嫌だなぁ、抽象的すぎるというか…」


 雪女は自身の通り名に文句を言いながら、さも当たり前かのように俺の隣に座り、置かれたグラスを持って物色する。


「確かに…それで、君の名前は?」

「——グレイシア・パラシーザー。少し前はグレイシーと…呼ばれてたかな」


 グレイシーは自分の名前とニックネームを告げると、自身が雪女であると見せつけるように持っていたグラスを凍らせて砕いた。


「グレイシー…か。それでご注文は?」


 マスターはグレイシーに飲みたい物を問う。

 ——マスターはどんな相手であろうと、紳士的に接客はするようだ。闇市でこんな店を開いているくらいだから、どんな者が来店してきても動じないのだろう。


「うーん…じゃあ温かい飲み物を」

「ああ。少し待ってろ」


 そう言うと、マスターはバックヤードに入っていき、グレイシーの求める“温かい飲み物”を作り始める。


「——ねぇ、シン」

「名乗った憶えは無いが?」

「何で知ってるんだろうねぇ?フフ…」


 グレイシーはニヤニヤと愉しむように笑う。本能が危険信号を鳴らしているゆえ、俺はグレイシーに背を向ける。


「——お前こそ、グレイトフル・パラライザーだったか?」

「んー、惜しい」

「煽りのつもりだったんだが?」

「へぇ?だとしたら案外優しいんだね」

「どこに優しさ要素が」

「店でみっともねぇ喧嘩すんな…グレイシー、注文の品だ」


 俺とグレイシーの言い合いを邪魔するように、マスターが“温かい飲み物”をグレイシーの前に置く。

 グレイシーの前に置かれたティーカップからは湯気が出ていて、見るだけで温かそうだと思える。


「わぁ、あはは。ありがとー」


 俺との会話を邪魔されたのが気に食わなかったのか、グレイシーは棒読みで笑った後に明らかな作り笑いでマスターに感謝を告げる。

 そしてグレイシーがティーカップを口に付けて温かい飲み物を飲もうとした、その時。


「あっつッッ!!ボクが溶けたらどうするのさ!!」


 温かい飲み物の温度が温かいどころでは無かったのか、グレイシーは怒りをあらわにして叫んで隣にいた俺にしがみついてきた。

 ——グレイシーの身体は、氷のように冷たかった。


「そんなに熱く作ってないんだが…うん、これくらいが普通じゃないか?」


 マスターは理不尽にキレられても冷静を保ち、グレイシーに提供した飲み物を啜ってそう言う。俺もそのティーカップに触れてみたが、あんなオーバーリアクションを取るほど熱いかと言われると全くもってそんな事は無かった。


「えぇ…熱いよぉ…ね?シン」

「熱くない。大袈裟なんだよ…ていうかいつまで俺にくっついてる」

「いいじゃないか、君はボクのお気に入りなんだからさ」

「ふざけんな、俺はもう帰るぞ」

「なっ…ちょぉおあぁあっ!?」


 俺は二の腕をグレイシーに抱きつかれたままカウンター席から立ち上がると、俺に全体重を掛けていたからかグレイシーはバランスを崩して席から転げ落ちた。

 グレイシーのそんな様を見て俺は良い気味だ、と鼻で笑って闇ギルドを出ていった。


 ——しかし何故だろうか、グレイシーとは初対面ではないような気がする。あんな別世界から来たような女と出会っているのなら、嫌でも記憶に残ると思うのだが。

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