最初の試練

第6話 寄り道

「ん…」 


 煌々と滾る太陽が、強化ガラスをすり抜けて額を照らす。

 俺は手を顔の前にかざし、目元だけでもとそれを遮った。

 俺は今、国際同盟アトラスの本部に居た。

 亀の甲羅の様な形のアトラスは常に海中にあり、その頭の部分────ガラスのドームの様な────今俺のいる場所も、いつもなら海中にあるはずの物だ。

 しかし今は、このドームが外に出ている。

 それはひとえに、この後開かれる‪”デューカンファ‬‪”‬────全デュークが一堂に帰して会議を行う為であった。


「眩しっ…これじゃ寝れんな」


 俺は手を目の前にかざしたまま、誰も居ない廊下で1人そうつぶやく。

 

「まだ朝だけどな」


 …と、誰も居ないはずの廊下に反応する声があった。

 俺は全く気配の感じられないその声の主に一瞬身構えるも、振り返る前に声色でその正体を理解する。

 そしてそれと同時にふっと笑い、振り向きざまにこう言い放つ。


「なんだ、生きてたのか」


 皮肉半分軽口半分のその言葉に、目の前の男は額に手を当てながら、「かはーー!!」と息を吐いて。


「おいおい、勝手に殺すなよ。俺ちゃんがいなくなったらお前の友達は誰もいなくなるぜ?」


「やかましい」


 その良すぎるノリに、俺は笑いなから答えた。

 この陽気すぎる男の名はエレン。

 俺の唯一の同期で、こいつの事は物心着いた時から知っている…まぁ結衣とカレン見たいな存在だ。

 いや、違う所がひとつあるか。

 それは───


「…久しぶりだな、エレン。いつ見てもお前がデュークだとは思えないよ」


「ハハハハぶっ飛ばすぞ貴様」


 何を隠そう、エレンは7人の最強の内の1人────俺と同じデュークであるのだ。

 言ってエレンはボンドで固めた様な笑顔を崩すと、ふとゆるりと表情筋から力を抜く。

 そして手すりに肘を着きながら。


「…というか、今回の招集は結衣ちゃんの事なんだろ?」


「あぁ…多分な」


「結衣ちゃん、大丈夫なのか?」


「大丈夫…とは言い難いな。あれからずっと部屋に篭ってる」


「そっか…」


 俺の肯定にエレンは、ガラス越しにある水面みなもを眺る目を細めた。

 招集内容が明かされている訳では無いが、今までの傾向けいこうから大まかな‪”‬議題‪”‬は予想出来た。

 その‪”‬傾向‪”‬とはデュークの信頼問題に関わること又はデュークに匹敵する敵が現れた場合────それはもちろん、今回の戦いについてだ。


「デュークじゃねぇ奴のたった一度の負けをほじくるほど暇なのかねー は」


 呆れ顔で言ってエレンは、手のひらを顎に当てて頭の重みをさずける。

 こいつはいつも、自分勝手なデュークが多い中自分より下の立場の人にも敬意を評す珍しい奴だった。

 そういう所が俺と似ているのか、はたまた育った環境が同じだと必然的にこうなるのか、とにかくエレンは唯一の同期でもあり唯一の俺の理解者だった。


「デュークの体裁ていさいを守るには必要なんだよ」


「そんなもんかねぇ」


 エレンの心の「ケッ」と言う声が、聞こえて来るようだった。

 気持ちは分かる…というか、俺だって同じ気持ちだ。

 だが俺達2人がなにか思った所で、世の中が変わる事は絶対に無いのだ。

 俺はそんな事を思いながら「そんなもんなんだよ」と付け足し、エレン同様、片手を顎に持っていきそれを支えた。

 世界最強を自負しているデュークはもちろん、そう言った国を代表する物には必ず‪”‬世間体せけんてい‪”‬が伴う。

 いくら強くても、いくらかっこよくても、無関係な人まで巻き込めば必ず世間は騒ぐ。

 だから今回の戦いの負けは、戦いの戦果よりもある意味重要なのだ。


「────そう言う生き物なんだ、人は」


 不意に目を細め、独り言の様にボソッといった俺に、エレンは無言のまま短く嘆息たんそくした。

 体裁が必要ならそれでいい、デュークが最高ならそれでいい。

 俺達デュークならいくら罵倒してくれても構わない。

 でも、それでも。


「サイボーグにも休息が必要な事を、少しは理解して欲しいよな〜…」


 それは切実な願いか、それともデュークと言う肩書きに自惚れたガキの寝言か。


 真偽は俺自信にも分からない。

 でも、それでも、俺が結衣に抱いているこの感情だけは、胸を張って本物だと言えた────いや、言える様になりたかった。

 

…目の前の空が曇り始める。

 風は強く吹き、強化ガラスに白く泡立つ波がぶつかる。

 そして、あと数センチ互いの距離が遠ければ波にかき消されてしまいそうな…そんな弱々しい発言に、エレンは何処か共感したような顔で「そうだな」と続けた。

 いくら疲れを感じにくいサイボーグでも、心は人間。

 大切な者を失えば、それ相応に現実とは違う痛みがともなう。

 だからもう少し…甘えだとは分かっているけれど、結衣に休息を与えて欲しかった。


「…まさか上が結衣も呼ぶとはな」


 遠くで鳴る稲妻の光に照らさせて、1秒単位で変わる水中の色が、優の瞳に反射する。

 それほどまでにぶっきらぼうに、あたかも既に知っていると言う体で発せられた俺の言葉に瞬間、「えっ」という声が隣りから上がった。

 釣られて俺が隣りを見ると、少し驚いた様な目を向けているエレンと目が合う。


「まさかとは思うが、カンファに結衣ちゃんも呼ばれてんのか?」


「…」


「マジかよ…」


 手すりに顔を伏せ、無言で肯定を示す俺にエレンは、さらに驚いた様に片眉を上げる。

 そしてそれに追撃を食らわせる様に俺はこう付け足した。


「まだ結衣に言ってねぇ」


「おぉ…マジか」


 すると、エレンのもう片方の眉も互い違いに上がった。

 よく動く眉だなと普段なら突っ込んでいる所だが、今そんな余裕は無い。


「どうすんだよ」


 手をオーバーに広げ、呆れ口調で言うエレン。

 それに俺は、少しの間を開けこう答えた────いや、厳密に言えば、こう答えるしか無かったのかも知れない。


「…これから行く」


 ────


 ザバァンとアトラスのガラスの壁に打ち付ける白波の音を背に、俺はある1つの扉の前で立ち尽くしていた。

 外はもはや嵐並に風が強く吹いていて、飛ばされた飛沫しぶきがさらに勢いをましてガラスを叩きつけている。

…それはまるで、これから起きる事を予知してる様だった。

 あれからエレンには「まぁそういう事なんでどっか行け」と言って、この場から退場して頂いた。

 それはひとえに、あの時後ろにあった部屋こそが、今正に目の前にある結衣の部屋だったからだ。

 まぁそれはただ単に、なのだが…。

 俺は内心、なんの説明も無しに追い払ってしまったエレンに謝まる。


「焦っていたのだ、許せ。」


 まぁそんな事は置いておいて、とにかく。


 俺はまず第1関門突破だなと、そんな事を思いながらため息をこぼす…と同時に、目の前にある第2関門────言わゆる本題に、またもや先程とは違う意味でため息を着いた。


「はぁ…」


 …思えばあれから結衣と顔を合わせるのは、初めてだったと思う。

 あれから…それはもちろん、カレンの遺体を前に立ちつくす結衣を見てから、だ。

 彩華曰く…


「朝から水も食べ物も、何も口にしようとしません」


 だ、そうだ。

 そうは言ってもサイボーグ、少しの間なら補給無しでも問題では無い。

 …いや、そもそも最初から問題はそんな事では無いか。

 要は今、が問題なのだ。

 俺はそんな事を思っていると、ふと、背中に聞こえる波の音に思考の海から弾き出される。

 皮肉にも現実の海に感謝して俺は、閉じていた瞳を開けた。


 …果たして結衣は、今、どんな気持ちでいるのだろうか?

 

 そんな行き場の無い考えが何度も、帰る巣を忘れた小鳥のように俺の脳をぐるぐると回る。

 

 泣いているのだろうか?叫んでいるのだろうか?

 

 兄を気どっていながらそんな事も分からない自分に、俺は再度ため息を着ついた。

 結衣は俺の義妹だ。

 数年前の大都市侵攻────その時の孤児が、何を隠そう結衣だった。

 あの時結衣はまだ小学生程の見た目で、誰がどう見ても隣に親が必要な年齢だった。

 しかし…俺が結衣を見つけたのは、非常にも空爆によって崩れた瓦礫の隙間にあるゴミ箱だった。

 服は所々が焼け焦げ、髪の毛はくしゃくしゃと一切の水気を失っている。

 結衣は俺に気がつくとごみ箱を漁るのをやめ────「私を殺すんですか?」

 あの時の結衣の顔は、もう何年も経った今でもはっきりと覚えている。

 諦めた様な、もはやこの苦痛から解放されると思ったのか、どこか笑って居るような顔。

 俺はその顔を見た瞬間、まだ俺の膝あたりの身長しか無かった結衣の事を抱きしめていた。

 今となっては懐かしい思い出だけど…結衣からしたら…。


「…」


 ドアノブまであと半分の距離を何度も往復する自分の手。

 もはや結衣は目の前。

 会議も迫っているし、迷っている時間はない。

 そんな事を思うと俺は「よし」と、迷いだらけの心の中で呟いて。


 ウィン


 結衣の居る部屋の扉を開けた。

 摩擦の全く感じない音を奏でながら扉が開く。

 俺はその扉と廊下の境界線をまたぎながら…と、色々考え過ぎてノックもしていない事に今更ながらに気がついて────(ええいどうにでもなれ)もはや立て直す時間は無かった。

 俺は半ば強行突破気味に、結衣の部屋に足を踏み入れた。


「大丈夫か?結衣」


 なるべく優しい声色で、俺は結衣にそう尋ねる。

 しかし結衣はベットにうずくまるばかりで、俺の声には答えない。


「…」


「何も食ってねぇんだろ、なんか食えよ」


 確かに今は、食べ物の事なんでどうでもいい。

 しかしそれでも、なにか話のきっかけを作る必要があった。


「…大丈夫です。また後で食べます」


 ようやく結衣は反応し────しかしすぐさま布団を深く被る。


「…」


 カレンが死んだ衝撃を、俺が拭うことは出来ない。

 なぜなら俺は、2人の歩みを知らないから。

 一緒にご飯を食べたり、一緒にお風呂に入ったり。

 その普通を、俺は知らない。

 でも、それでも、兄としてなにか出来ることがあるのならば…。

 と、そんな事を考えている時だった。

 布団から小さくでた結衣の瞳と、目が合ったのは。


「!…大丈夫か?」


「…うん」


 薄く見える結衣の目尻は、ほのかに赤く染まっていた。

 そしてその中心にある瞳からは、何かを懇願している様なぼんやりとした光が放たれている。


「…そう言えば。彩華が心配してたぞ、早くあいつらに顔を見せてやれ」


「うん…」


「…後、ルイにもな」


「うん…」


 話題を変える様に俺がそう言うも…やはり帰ってくるのは淡白な返事ばかりだ。


「…結衣」


「なに…お兄ちゃん」


 力ない結衣の言葉。

 部屋の空気はつくづく淀み、しんみりとした雰囲気が充満していた。


「ごめん…今は私…話す力が無くて」


 それは、結衣から初めて向けられた‪”‬拒絶‪”‬だった。

 ────もう私に構うな…と。

 2人の間に沈黙が流れる。

 しかし俺は真顔で、何も動じていない様子で。

 …俺はそんな空気を払拭するように、あえて声を荒らげて。


「結衣、この後デューカンファが終わったら俺らは休暇に入る」(大きな戦いの後は1ヶ月の休暇が国際同盟で義務付けられている)


 突然意味のわからない事を言う俺に、頭にはてなマークを浮かべる結衣。

 それに俺は「そしたら」とつけ加えて。


「買い物に行くぞ」


「…………………………え?」


 結衣は俺の意味不明な発言に、間をたっぷりとってそう答える。


「んじゃそういう事で、よろしく」


「ちょ、お兄ちゃ────」


 ウィン


 そう言うと俺は、結衣の言葉も聞かず早々に部屋を出た。

 適当なくらいが丁度いい────昔誰かが言っていたその言葉に、今はゆだねて見ようと思う。

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