第十六話「社交界デビュー」



 レイオールが生まれ変わって七年が経過した。七歳になった彼の生活は、相変わらず自分を高めることと弟の教育に心血を注ぐことだったが、そんな彼にとあるイベントが舞い込んでくる。それが何なのかというと、社交界デビューだ。



 レインアーク王国……否、レイオールが生まれ変わった世界の王侯貴族の通例儀式として、三歳になるとお披露目の儀式があることは話したが、そういったイベントは他にもあり、その中の一つが社交界デビューというものだ。



 読んで字の如く社交界でデビューするというものなのだが、具体的な内容としてはパーティーや夜会に出席するというものだ。やんごとなき身分である以上、他の貴族達との交流は最低限必要であり、それが社交界における王族貴族の義務ですらあるのだ。



 社交界デビューは、王国貴族の子弟が七歳を迎えると執り行われることが多く、今年はレイオールが社交界デビューすることになっているのである。



 ちなみに、レイオールが七歳になっているということは弟マークは五歳を迎えており、当然お披露目の儀式は既に済んでいる。マークのお披露目の儀式がどうだったのかと言われれば、またしてもレイオールの思惑が裏目に出てしまったとだけ伝えておこう。



 とにもかくにも、王太子であるレイオールの社交界デビューということもあって、あの親バカ……もとい、過保護な国王も王妃が張り切らない道理はなく、国を挙げての一大イベントにまで発展してしまった。



「どうしていつもこうなってしまうんだ?」



 レイオールの前世である神宮寺貞光は、業界では頭の切れる財閥家の当主として世間の注目を集めていた人物で、そのIQは180を超えているのではないかと噂されていたほどだ。



 だというのに、生まれ変わってからというもの、彼の思惑通りに事が運んだ試しがなく、地球と異世界の違いなのではないかと戸惑っていたが、実のところはまったく異なる。



 レイオールが生まれ変わった世界がどうこうというより、彼が生まれ変わった環境と周囲の人間が些か……否、かなり特殊な人間であるからに他ならない。



 前世では彼自身のことを過保護に扱ってくれる人物は皆無であり、何をするにも干渉してくるなどということはなかった。だが、今生の彼の周囲を見てみればその過干渉っぷりは明白である。



「レイオールちゃん、ちょっといいかしら?」



 特に彼に対して並々ならぬ愛情を抱いているのが、今やってきた母親のサンドラだ。彼女も二人の子宝に恵まれている立派な母親なのだが、何故かその愛情がレイオールにまっしぐらなのだ。



 そして、父親のガゼルや最近では当事者である弟マークですらそれが当然とばかりに接してくる辺り、その異常性が浮き彫りになってきている。



 だが、その異常にレイオール以外の人間が気付いておらず、彼が何度もその点について注意を促しているのだが、暖簾に腕押しとはまさにこのことで、聞く耳を持ってはくれなかったのだ。



 彼がそのことを言及する度に「レイオールちゃんがグレてしまったわ! どうしましょう!?」とサンドラを筆頭に騒ぎ出し、彼に心酔している人物を中心に、仕事が手につかない状態となってしまうという事態が幾度も発生することになってしまい、さしものレイオールもこの件については匙を投げる結果となっていた。



「なんでしょうか?」


「今度の社交界デビューに着ていく礼服だけど、いくつか候補があるからレイオールちゃんに決めて欲しいの」



 王太子の晴れの舞台ということもあって、サンドラがいつになく張り切っている。レイオールとしては、礼服などはとかく妙なものでなければどれでもいいという心境だが、彼女からすればそうでもないようだ。



 それから、いくつかの礼服候補をとっかえひっかえ着せられたレイオールは、精神的に疲れながらも、なんとかサンドラから解放される。



 彼女の選んだ礼服は、厳選に厳選を重ねただけあってか、どれもとても着心地が良く、何よりもレイオールにとても似合っている。時間は掛かったが、その中の一つを選ぶことができて結果的には良かったと感じていた。



 彼の選んだ服は、青を基調とした尊厳ある礼服で、まだ七歳という年齢が着る服としてはあまり似つかわしくないが、王太子が着るものとしては十二分なものであった。



 その日から社交界デビューの日までレイオールは忙しい日々を送ることになったが、その間にもマークの教育や自身の能力向上のための勉学は怠っていなかった。



 そして、いよいよ社交界デビューの日がやってきたのだが、やはりというかなんというか、それはいつもとは違った社交界デビューの夜会に仕上がっていた。



「皆さま、本日お集まりいただき誠にありがとうございます。只今より、第百四十二回社交の集いを行いたいと思います。まずは、国王陛下のご挨拶を賜りたいと思いますので、皆さまご清聴くださいませ」


(嘘だろ? 何でこんなに大事になってるんだ?)



 例年の社交界デビューとは明らかに異なることに、レイオールは内心で困惑する。書庫にある本や社交界デビューについて知っている人間に話を聞いていた内容とは大きく異なる点がいくつかあった。



 まず本来の社交界デビューは、王都にある貴族が夜会で利用する公共のホールがあり、毎年そこで開催されることになっている。だが、今日は王城にある最も大きなホールが使用されており、本来は他国の王族などの国賓が訪れた際に利用される場所なのだ。



 そして、社交界デビューを取り仕切るのは、毎年その社交界デビューする貴族の家の中で最も位の高い貴族の中から、国王や国の重鎮が厳選して任命されることになっているのだ。



 今年は王太子が社交界デビューするとはいえ、夜会の司会進行に宰相のマルクス、来賓に国の重鎮の上級貴族たち、挙句の果てに王妃サンドラや国王ガゼルが雁首揃えて今回の夜会を取り仕切っている。



 当然、社交界デビューする貴族の子弟の中には準男爵や男爵など下級貴族の子弟たちも含まれており、そんな連中がこれほど豪勢な夜会に気負わないわけはない。伯爵や侯爵の位を持つ家の子弟ですらがちがちになっているこの状況下で、地方出身の田舎貴族が緊張しない道理はないのだ。



「新たに七歳となった諸君らに祝いの言葉を送らせてもらう。おめでとう。だが、諸君らはまだ身も心も発展途上であり、何よりも未熟である。己の未熟さを理解し、これからも驕ることなく研鑽と精進を続けて欲しい。本日はそんな諸君らにささやかながらの宴を用意した。気負うことなく楽しんでいってくれ。以上だ」



 そんなガゼルの言葉とは裏腹に、その場にいるほとんどの子弟たちが内心で苦笑いを浮かべる。用意されたものは、その国随一といっても過言ではないほどの品々だったからだ。



 会場は言わずもがな他国の国王を迎えるためのものであるため、絢爛豪華な造りをしており、会場を照らすシャンデリアも名のある職人が一つ一つ丁寧に造り上げている。



 料理一つをとっても手を抜かれているものはなく、すべてこの国で一番の料理人である宮廷料理長がその手腕を振るっている。



 その他にも下品にならない程度の調度品や、料理を並べるテーブルや座るための椅子一つとってもすべてが一級品であり、この国で最高峰のものが用意されていた。



 それもこれも、すべてはあの二人の親バカが自身の息子のためだけに用意したという事実は、司会進行役を務めているマルクスとレイオール本人以外あずかり知らぬことであった。



 レイオールも、この夜会がまさか自分だけのために用意されているということに驚きを通り越して呆れを抱いているが、何を言ったところであの二人が省みることがないため、今となっては諦めの境地に至ってしまっている。



(さて、俺は……ああ、あの椅子に座ってればいいんだな)



 当のレイオールといえば、緊張など一切しておらず、自分のいるべき場所を見つけそそくさとそこに居座った。



 こういったパーティーは、彼の前世では頻繁に開かれていたため、もはや緊張などというものは無縁だった。今回の夜会も地球で開かれていたパーティーと比べれば似たようなものであり、今回も流れ作業程度のものでしかないと彼は考えていたのだ。



 自分の定位置におさまったレイオールの姿を見た他の子弟たちが、列を成して彼に挨拶をし始める。いくら七歳とはいえ、貴族家に連なる人間である以上、王族であるレイオールに挨拶しないわけにはいかないのだ。



 ちなみに、例年だとこの夜会の司会進行役の貴族の子弟が同じ役割をこなすことになっているのだが、挨拶する側もされる側も終始緊張しっぱなしで終わることが多かったりする。



 たまに見栄っ張りな子弟もいたりして、横柄な受け答えをする者もいたりするが、そこは若気の至りということで、のちに家族などに語り草として披露されることがある。



「お、おお、お初にお目に、か、かかります。わ、わた、私はウェンゼル公爵家長男のアンドレとも、申します。い、以後お見知りおきくださいましぇ」


(あちゃー、最後に噛んじゃったかー)



 最初にレイオールのところにやってきたのは、やはりというべきか貴族の中で最高位とされる公爵家の子弟だった。



 レインアークでの貴族の位は、位の低い順から騎士爵、準男爵、男爵、子爵、伯爵、辺境伯、侯爵、公爵、大公となっている。



 騎士爵は本人のみに与えられる一代限りの爵位で、自分の子供などに継がせることはできない。そして、準男爵ついては自分のひ孫まで、つまりは三代限りの爵位となっている。



 男爵以上の位については、その爵位を持つ貴族家が存続するまで爵位を継がせることができる、所謂永代貴族となっている。



 他にも、騎士爵と準男爵は準貴族扱いで、男爵と子爵は下級貴族に分類される。伯爵以上の貴族は上級貴族と呼ばれ、かなりの力を持っており、その力は国王ですら下手に口出しはできないほどだ。



 辺境伯については特殊であり、国と国との国境に隣接する領地を持つ伯爵がこの位を与えられ、特に武力に秀でた貴族が多い。そして、大公は王位継承を放棄した王族のみに与えられる爵位で、主に国王の兄弟がこの位を与えられる。



 これがレインアーク王国の貴族の位についてのシステムなのだが、そのすべての子弟がこの場に集結しているということは、そのすべての子弟と挨拶をしなければならないわけで……。



「お初にお目にかかります。私はベンドゥル侯爵家の――」


「……」


「お初にお目にかかります。わたくしはガリアル辺境伯家の――」


「……」


「お初に――」



 このような感じで、すべての子弟の挨拶が終わるまでにかなりの時間を要してしまった。

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