第十五話「剣術指南」



 マイルズとの初顔合わせから数日後、レイオールは修練場にいた。今日は初めて剣術を学ぶため、指導してくれる指南役の相手を待っていた。



「あ、あのー。王太子殿下」


「……」


「はあ……レイオール様」


「ん、なに?」



 レイオールの隣には、現騎士団長ライラスの息子であり、暇を見つけては一緒に行動を共にしているレイラスの姿があった。



 九歳になった彼もまた修行中の身であり、レイオールと共に剣術を学ぶ相手としてこの場に借り出されたのだ。尤も、それを提案したのがレイオール自身であるという注釈が付いてしまうが、本人たっての要望ということもあってか、彼の親バカな両親もレイラスの参加を反対しなかったのである。



 レイラスとはそれなりに仲良くなったつもりでいるレイオールだが、レイラスとしては次期国王である王太子として接するべきと考えているため、一歩引いた態度を取っている。



 しかし、そんな態度をレイオールは快く思っておらず、彼が“王太子殿下”と呼んでも返事をしないのに名前呼びだと返事をするという異例な関係が日々繰り広げられていた。



「お待たせして申し訳ない。お久しぶりですなレイオール殿下」


「久しぶり」


「お、お爺様……」



 そこに現れたのは、前騎士団長のザイラスであった。年齢的に騎士団長の職を他の誰かに譲りたいと考えていた彼だったが、自分の息子がその願いを叶えてくれたことで、今は隠居の身となっている。



 しかしながら、騎士団長の職を辞したとはいえ、その眼光は未だ鋭く一端の騎士として十分な力を持っている。国王であるガゼルの信頼も厚く、その剣の腕が見込まれ、レイオールの剣の指南をする運びとなったのだ。



「では、これよりレイオール殿下とレイラスの剣術指導を始める。では、殿下。とりあえず、なんでもいいので剣を構えてもらえますかな」


「こうかな」



 ザイラスの指示に従い、レイオールは前世で嗜んでいた剣道の正眼の構えを取ってみた。元々体を動かすことは嫌いではなかったため、健康のためにいくつか武術を習っていた彼だったが、まさかこのような形で役に立つ日が来るとは思ってもみなかった。



 レイオールの構えを見たザイラスは、感嘆の声を一つ上げると、彼の構えを評価する。



「しっかりとしたいい構えですな。とても初めてとは思いませぬ」


「騎士たちの訓練は見てたからね。ただの見様見真似さ」


「み、見様見真似……」



 ザイラスの賛辞にそう返答するレイオールに、釈然としない顔を浮かべながらレイラスが呟く。彼とてもう九歳であるからして、すでに剣術の基礎的な訓練を始めている歳なのだ。だというのに、ただ見たままを真似ただけと宣うレイオールに対し、彼我の差を痛感するのには十分な出来事だったのかもしれない。



 さりとてレイラスに才能がないという訳ではなく、むしろ筋は悪くない。前騎士団長の孫であり、現騎士団長の息子という肩書は伊達ではなく、同年代の子供と比べてもその才能の差は歴然なのだ。



 ただ単純な話として、蟻と蛙の体の大きさを比べた時の答えは蛙だが、蛙と象の体を比べた時はどうかという答えに関しては象と答えざるを得ない。それと同じことがレイオールとレイラスの間にも言えるというだけの話なのである。



 数字で例えるなら、10という数字と100という数字どちらが大きな数字なのかといえば、当然100だ。では、100という数字と10000という数字ならどうだろうか。そういうことである。



 そういうわけで、決してレイラス自身に剣術の才能がないということはない。むしろ才能はある方なのだが、レイオールと比較されるとどうしてもその才能が霞んでしまうだけなのだ。



「ふむ、これなら実際に戦ってみても大丈夫そうですな」


「え、お爺様?」


「殿下、ここは一つわしと模擬戦をやってみませぬか?」


「模擬戦?」



 突然のザイラスの提案に困惑するレイラスと、まだ剣術どころか剣の握り方を教えてもらう段階で、模擬戦をさせられそうになっていることに疑問を浮かべるレイオールという対称的な二人を尻目に、ザイラスが話を続ける。



「殿下の身のこなしや今の構えを見て、実践的な訓練を行っても問題ないと判断したのです。いかがですかな? もちろん、手加減は致します」


「そうだね。ザイラスが言うならちょっとやってみようかな」


「では、どこからでも掛かってきてくだされ」



 剣術指南の初日というのにも関わらず、いきなり実践的な模擬戦をやらされる羽目になってしまったレイオール。だが、本人的にも実践は望むところであり、普段勉強ばかりしている鈍った体をほぐすという意味合いでもザイラスの提案は渡りに船だったのだ。



 実践的な模擬戦といっても、実際に刃物の付いた剣を使用するわけではなく、当然使う武器は剣を模して作った木剣だ。しかし、当たり所が悪ければ怪我をすることには変わりないため、もちろん取り扱いには注意が必要だ。



「じゃあ、いくよ」


「どうぞ」



 レイオールはそう一言だけ告げると、改めて剣を構え直した。先ほどよりも研ぎ澄まされた集中力により、周囲の不必要な音は彼の耳には届いていない。



 ザイラスは宣言した通り手加減するようで、レイオールの出方を窺っている。だが、決して油断しているわけではなく、相手のどんな動きでも対処できるような構えを取っており、隙は一切ないに等しい。



(お爺様は本気だ。何が手加減致しますだ。隙なんて微塵もないじゃないか! でも、殿下の気迫も凄まじい。俺だったら十秒と持たずに気圧されてしまうだろうな)



 自分にとって次元の違う領域の戦いが繰り広げられていることに驚愕を隠せないレイラスが、二人の一挙手一投足に瞠目する。目を離せばたちまちに飲み込まれてしまうほどの気迫と気迫のぶつかり合いだったが、先に動いたのはやはりレイオールだった。



「はあっ」


「えっ、き、消えた!?」


「うぅ」


「えぇ、いつの間に!?」



 このままでは埒が明かなと踏んだレイオールが、虎穴に入らずんば虎子を得ずと言わんばかりにザイラスの懐に飛び込んだ。だが、そのスピードは常人が捉えられるほどの生易しいものではなく、ザイラスでさえ僅かに目端で捉えたのを条件反射的に防ぎぎれただけだった。



 彼が身体強化の能力を獲得してから四年と半年の期間が経過した。その間に一日たりとも身体強化の修練を怠ったことはなく、今の彼の身体能力はザイラスに追いすがるほど向上していた。



 そんなとてつもないほどの成果を見せているにも関わらず、レイオールはまだ自分が限界まで強くなっていないという理由から、未だに強くなろうという向上心を忘れずに日々修練に取り組んでいる。その結果が先の動きである。



 模擬戦を行うため、両者の距離は十数メートルほど離れていた。だが、その距離を僅か数瞬の間に埋め、警戒状態にある手練れの人間の懐に潜り込み一撃をお見舞いする。この行為がどれだけ困難なことなのかは言うまでもない。



(ふう、これを続けてたら明日は確実に筋肉痛になるな。仕方ない、ギアを一つ落とそう)



 今の自分の体の状況を鑑みて、レイオールは少し動きに制限を掛けることにする。どれだけ大人顔負けの動きができようとも、元の体が五歳児のそれである以上、無理をして後を引いては何の意味もない。そう判断した結果によるものである。



「はっ」


(ぐ……ま、まさかこれほどまでとは)



 ギアを一つ落としたとはいえ、その動きは俊敏なものであることに変わりはない。それを的確に対処するザイラスも達人の領域にいることに間違いはないが、そんな彼ですら防戦一方に追いやられているという事実に、そして僅か五歳のレイオールにこれほどまでの力があるということに驚愕を隠せなかった。



 そして、その状況に驚いているのはザイラスとレイラスの二人だけではない。元々、彼らのいた場所が修練場ということもあり、その場には訓練に勤しむ騎士たちの姿もあった。



「お、おい。ありゃ、なんだ?」


「なんだって言われても、見たまんまだろう」


「レイオール殿下の動き、おかしくないか?」


「五歳ができる動きじゃないぞ!」


「あの動きについて行ってるザイラス様もすごいぜ」



 目の前で繰り広げられている高次元の戦いに周囲が戦々恐々とする中、騒ぎがどんどんと大きくなっていく。



 そんなことはお構いなしとばかりに、レイオールはザイラスに攻撃を仕掛ける。正面からの袈裟斬り、逆袈裟斬り、薙ぎ払いと流れるような動きで攻撃を繰り出す。一方のザイラスもその動きに反応し、彼の攻撃を一つ一つ受け止める。



 正面からは無理だと即座に判断したレイオールは、その俊敏な動きを利用し、ザイラスの側面に回り込み同じように攻勢に打って出る。だが、剣士としての経験の差なのか、レイオールの動きは尽く読まれ、有効な一撃を与えることができずにいた。



 そんなザイラスであったが、彼もまたレイオールに反撃する暇がなく、レイオールの攻撃に対し受け身でいることしかできないほどに追い詰められていた。



(ザイラスの守りを崩せない。力量不足か……)


(このままでは体力が尽きていずれやられる。だが、反撃している暇がない)



 ここで両者手詰まりとなったのか、レイオールは攻撃を止めた。だが、いつ攻撃に転じてくるかわからない状態で、反撃するという選択肢を取れないザイラスもまた動くに動けない状態だった。



 相手の出方を窺いつつも、五秒十秒と時間だけが過ぎていった。そして、再びレイオールが攻撃に転じようと足に力を入れたその時。



「そこまで! 二人とも止めるのだ!!」



 突如として響き渡った声に、その場にいた全員がその人物に視線を向ける。すると、そこにいたのは国王ガゼルであった。隣にはサンドラの姿もあり、この騒ぎを聞きつけて二人してやってきたようだ。



「ザイラスもレイオールも何をやっておるのだ!?」


「剣術の指南でございますが?」


「父さま、邪魔をしないでくださいよ。今からザイラスの牙城を崩そうとしていたところでしたのに」


「今のどこが剣術指南なのかしら? 二人ともそこに座りなさい!」



 それから、ガゼルとサンドラの説教を受ける羽目になったザイラスとレイオールだったが、レイオールとしてはもう少し動きのチェックをしたかっただけに、水を差されたことに不満を感じていた。



 その後、二人の説教は小一時間ほど続き、レイオールたちが解放された頃にはすでに剣術指南の時間が終わった後であった。



 それ以降、しばらく国王と王妃監視の下で剣術指南が行われることになるのだが、その中で一番災難だったのがその状況に巻き込まれることになったレイラスであったのは言うまでもない。

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