第十七話「社交界デビュー2」
第十七話「社交界デビュー2」
「お初にお目に掛かります。私はボッソス騎士爵家の――」
「……」
あれから子弟たちの挨拶が続き、ようやく一番下の騎士爵家の挨拶までこぎつけることができた。だが、いくらレイオールが記憶力がいいといっても、今まで紹介された人間すべての顔と名前を覚えられる訳もなく、途中からはほとんど流れ作業となってしまっていた。
そして、ようやく今回参加した子弟たちの挨拶も済んだが、これでレイオールが解放されるわけではない。次に待っているのは、令嬢相手の社交ダンスである。
貴族のたしなみとして夜会に参加する場合、避けては通れないのがダンスであり、貴族の間では義務と言っていい程に浸透しているものだったりする。
それは王族であっても変わりはなく、当然レイオールもこの日のために少なくないダンスのレッスンを行ってきた。まだ七歳ということもあって、本格的なものではないとはいえ、それでも基本的なステップを覚えさせられたことは彼の記憶にも新しい。
そして、今回の夜会に参加した貴族の子弟の総数は三百を超えており、その内の約半数が令嬢なのだ。つまりは百人を超える人数がおり、それだけの数ダンスの相手をしなければならないということを表している。
これがもしレイオールではなくそれ以外の貴族の子弟であれば、精々一人二人を相手にする程度で貴族としての体裁は保たれるだろうが、王族……しかも次期国王である王太子となれば、その場にいるすべての令嬢の相手をしなければならないというなんとも滅茶苦茶な要求をされてしまうのだ。
体調が悪いなどのいろいろな理由をつけてしまえば、十数人の相手だけで済むのかもしれないが、基本的にはすべての参加している令嬢をダンスをするのが望ましいとされている。
「レイオール殿下、わたくしと踊っていただきませんでしょうか?」
「……喜んで」
そうこうしているうちに、上位の貴族である公爵令嬢からダンスの誘いを受けてしまった。当然拒否する理由がないため、レイオールはこれに同意する。
演奏されている曲名はわからなかったが、地球で言うところのワルツのようなゆったりとしたテンポの曲で、ダンスになれていない初心者でも踊りやすいものだった。
令嬢と向かい合い、彼女の手を取って腰に手を添える。基本的なダンスの姿勢だ。そして、ゆっくりとステップを踏み出す。
「レイオール殿下はダンスもお上手ですのね」
「そんなことはありません。これでも必死に練習しましたから」
「まあ、レイオール殿下も苦手なものがおありでしたのね」
などと彼女との会話に花を咲かせながら、なんとか一曲を踊りきった。別れ際に「もしよろしければ、今度我が家に招待しますわ」という言葉を「機会があれば是非」という社交辞令と共に返答する。
貴族にとって夜会というのは、ただのパーティーではなく出会いの場でもあるのだ。だからこそ、レイオールは下手な言質は取られないようにしなければならない。
先ほどの公爵令嬢もそうだが、貴族の令嬢というものは少しでも家柄の良い相手のところへ嫁がなければならない。それが彼女たちの仕事といっても過言ではない。
そして、彼女たち令嬢の中で一番の嫁ぎ先はどこかといえば、王族……特に次期国王である王太子の妻になることなのである。
だからこそ、レイオールだけでなく男の王族というものは、貴族の令嬢を相手にする際、縁談関連の話に対して必要以上に警戒しなければならない。言質を取られてしまったことで、好きでもない相手と結婚させられてしまった話など貴族の間ではよくあることとして知られている。
かく言う先ほどダンスの相手をした公爵令嬢も、さり気なくだがレイオールを自分の家に招待している。これはつまり“わたしはあなたと仲良くなりたいです”という意思表示であり、つまるところその行き着く先は結婚ということになる。
もちろんだが、彼女の家に行ったところですぐに結婚という話にはならないだろうが、少なくとも婚約の打診程度の話は相手から言ってくることはまず間違いない。だからこそ、レイオールは社交辞令的な返答をすることでその可能性を最小限に抑え込んだのだ。
(はあ、母さま……何をやっているんだ。あの人は)
一人目のダンスが終わったその時、レイオールがふと視線を感じたため、その方向に顔を向けると、そこにいたのはサンドラだった。ただそこにいるだけではなく、持っていた無地のハンカチをこれでもかと歯で食いしばるように噛んでおり、明らかに悔しいと言わんばかりだ。
その隣にいたガゼルが仕方のないことだとばかりに苦笑いを浮かべているが、サンドラを諫めない時点で彼も同罪であるとレイオールは内心で結論付ける。
大方いつもの親バカが発動しているとわかってはいるものの、国の顔である王族がいつまでもそのような行為を行っていては外聞が悪いため、レイオールはそれを止めさせるため、彼女に向かってウインクをする。
するとなにを勘違いしたのか、悔しそうな顔をこれでもかと輝かせながら大きくレイオールに向かって手を振り出してしまう。そんな彼女の行動に内心で呆れつつも、レイオールは次の令嬢とダンスを踊り始めた。
しばらく令嬢とダンスの相手をし、それを見たサンドラがその光景を悔しがるというやり取りが何度か続いたが、上級貴族の令嬢の相手が終わったタイミングで一度休憩となった。
さすがのレイオールもぶっ通しで踊り続けるには体力的にもきつく、キリのいいところで休憩を取る必要があるという配慮であった。
「父さま、母さま。僕の社交界デビューの夜会に出席してくれてありがとうございます」
「レイオールちゃんの晴れ舞台に出ないなんてあり得ないわ。そんなの当り前じゃない」
「うむそうだぞ。俺もお前の成長した姿を見られて嬉しいぞ」
「兄さま、かっこいいです」
本来であれば、夜会が始まったタイミングで挨拶に行くべきだったのだが、貴族たちの挨拶から令嬢たちとのダンスの相手が連続として続いてしまい、それどころではなかった。
ちょうどよく休憩となったため、レイオールは改めて両親に挨拶をしに行ったのだ。息子の晴れ舞台に満足気にしている傍らに、レイオールよりも小さな少年を発見する。この少年こそが、レイオールの弟マークである。
レイオールと同じく温和な雰囲気を持っているものの、些か気弱な印象を受けてしまう。しかし、それはあくまでもレイオールと比べてというだけであり、基本的には高貴な雰囲気を纏った王族には変わりない。
レイオールの家族ということで今回の夜会に出席しているマークだが、兄の晴れ舞台に目をキラキラと輝かせながらいる姿は、まさに汚れを知らぬ無垢な少年といったところだ。
そんなマークに愛らしさを感じ、レイオールはマークの頭を撫でる。撫でられたマークも気持ちよさそうに目を細めて喜んでいた。そんなやり取りをしていると、ふいにサンドラが拗ねたような口調でレイオールに食って掛かってきた。
「それにしてもレイオールちゃん。随分と楽しそうに踊ってたわよねぇ?」
「母さまにはそう見えてたんですね」
「私が手を出せないことをいいことに、私のレイオールちゃんにあんなことやこんなことをしてくれちゃって。なんて羨ま……いえ、はしたない!」
「……」
いつものこととはいえ、サンドラの奇妙な言動は時折リアクションに困るようなものが含まれているから始末が悪い。そんな感想を抱きつつレイオールがスルーを決め込んでいると、意外にもマークが彼女の意見に賛同する。
「まったくです。兄上には、母さまのような素晴らしい相手でなければ務まりません」
「そうよね! さすがはマークちゃん、わかっているわね」
「当然です!」
(えー、まさかのそことそこがタッグを組みますか。そうですかそうですか……)
ゆくゆくはマークに自分の代わりを務めてもらいたいと思っているレイオールにとっては、今の弟の言動はあまり良くない傾向にあった。しかしながら、それも無理からぬことであるということも理解していた。
マークが生まれて早五年が経過したが、レイオールは己の野望のため彼に付きっきりで教育を施してきた。だが、よくよく考えてみればそれが仇となってしまった。
弟である彼の立場から見れば、自分に対して優しく何でも知っていてどんなことでも卒なくこなしてしまうレイオールに傾倒してしまうのは至極当然のことだ。
さらに現在彼の家庭教師についているのは、かつてレイオールの家庭教師だったマイルズであり、彼からレイオールの家庭教師だった頃の話を聞かされていた。
実質的に、マイルズがレイオールの家庭教師だった期間は一年にも満たず、彼が教えた内容もそれぞれの科目の専門的なものを教えた程度に留まっている。だからこそ、マイルズ本人にはレイオールを教えたという実感はあまりなく、その気持ちのままマークの家庭教師となったため、彼自身にレイオールの家庭教師だったという印象があまりなかったのだ。
そんな話を聞かされたマークが思うことといえば、自分の兄の大きさとそんな兄の弟として生まれてきたことに対する感謝のみだ。それに加え、レイオールがマイルズに話した“弟に将来自分の右腕として活躍してほしい”ということもマイルズの口から伝えられており、すでにマークの中ではレイオールの補佐をする人間として生きていくという固定概念が芽生えていたのであった。
「……お手洗いに行ってまいります」
そこからは二人のレイオールがいかに素晴らしい人物かという談義が始まってしまい、居たたまれなくなったレイオールはトイレを理由にその場を後にする他なかった。
唯一彼の心境を察したガゼルが、苦笑いを浮かべつつ彼を送り出してくれたが、できることなら二人を諫めて欲しかったと内心で恨めしい声を上げていたことは本人以外はあずかり知らぬことだろう。
そんなこんなで、口実とはいえ一応夜会はまだまだ続くということもあり、本当にトイレに行くためお手洗いに向かっていたレイオールの耳に嫌なものが聞こえてきた。
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