見えない相手

箕田 はる

見えない相手

 芸能界が甘くないことぐらい分かっていた。

 だからこそ、何でもやってやるという気概を持って、俺はお笑いの道に足を踏み入れていた。

 相方が実家に帰ると言い出して解散した時も、ピンじゃやっていけないだろと周りに見放された時も――

 それでも俺は、芸人をやめるつもりはなかった。

 もともと少ない収入を補う為に、アルバイトも掛け持ちしたし、前座も選り好みすることはしない。

 だけど、スベりにスベっていた俺は、気付ば前座の仕事も減っていた。

「今からでも遅くない。相方見つけろ」

 飲みの席で、先輩が俺に言った。

「俺が面白くないのは、俺が一番分かっています。誰も組んではくれませんよ」

 やけっぱちに俺は、ジョッキを煽る。

「いいか、路線が間違ってたら電車は走らない。それと同じで、お前が面白くないんじゃなくて、やり方が悪いだけだ」

 酔っているのか、元から少し頭が弱いのか。よく分からない喩えで、先輩が指摘してくる。

「ボケだけじゃなくて、ツッコミもやってみろ」

「やってみろって言われても……一人じゃあ無理ですよ」

「良いから、エアーだよエアー。隣に誰かいるつもりでさぁ」

 無茶振りはいつものことで、俺はあからさまな溜息を吐いてから考えた。

 誰かいると想像しながら漫才をする。今までしたことがない俺は、ふと、本当は居ることにすれば良いんじゃないかと思いつく。

 俺は一度佇まいを直し、それから一つ咳払いをした。

「いやー、実は新しい相方が出来ましてねぇ。えっ? 見えないって? 当然ですよ。だって、相方は幽霊なんですから」

 突拍子もない話なのに、先輩は笑顔でうんうんと頷く。

「こいつ、ずっとお笑い芸人になりたくて必死で努力してたらしいんですけど、事故にあって志半ばで挫折。だから俺が、こいつを誘ったってわけなんです」

 それから俺は、大袈裟な身振りで耳に手を当てて横に体を傾ける。もちろん、そこには誰もいない。だけどいるフリをして、俺は演技を続ける。

「えっ? 自己紹介したいって。どうぞどうぞ――って……動きで表現してもみえないつーの」

 俺はおーいー、おーいと大手を振ってから、すかさずツッコミを入れる。何もない隣の空間に向かって、手の甲を振った。

「いいね、いいね。最高だよ。それでいってみろよ」

 先輩は手を叩いて爆笑している。

 俺にはあまり面白いとは思えない。それでも後がない俺には、不謹慎だとか面白くないとか、言ってる場合じゃなかったのだ。



「最近、調子良いじゃないか」

 先輩の言葉に、俺は「ええ、おかげさまで」と気恥ずかしさを堪えながら頭を下げる。

 いつもの居酒屋で俺は、久しぶりに先輩と相対していた。

 先輩の助言を元に始めた相方が幽霊という設定。まさかウケるとは思っていなかったが、何故かヒットしてしまっていた。

 どんな幽霊が相方なのか、俺が本当に見えているのかといった憶測が、視聴者の好奇心を刺激しているようだった。

 中には不謹慎だとか、呪われるんじゃないのかと言ってくる人もいたが、そんなの想定内のこと。

 それ以上に、観客の笑顔や仕事が増えたことの方が重要なことだった。

「良かった。俺は心配してたんだよ」

 しんみりとした口調の先輩に、俺は「らしくないですよ」とぶっきらぼうに返す。

 俺は今までの横暴も許せるぐらいに、この先輩に感謝していた。

「ありがとうございます。俺がこうして持ち直せたのも、先輩のお陰ですから」

 優しい目で見てくる先輩に、俺は照れながらも告げる。何だかんだありながらも、俺はこの先輩を尊敬していたのかもしれない。

「おう。島永じゃねぇーか」

 突然、横から声をかけられ、驚いてそちらを向く。見知った同期の姿に、跳ねた肩を下ろす。

「最近、調子いいじゃねーか。幽霊ネタだっけ? 話題になってるよな」

「ああ……まぁな」

「まぁーあんまり、のめり込み過ぎんなよ」

 心配しているといった表情で、俺を見下ろす。嫉妬だと分かっているだけに、俺は苦笑で返した。

「さっきから、誰かと話してっけど、まさか相方か? プロ意識が高いのは良いけど、周りから見たら気味がわりぃかんな」

「はぁ? 何言ってんだ? 先輩だよ。お前もお世話になっただろ」

 俺は同期の無作法に呆れながら、向かいに座る先輩の方を向いた。

 だけどそこには、さっきまでいたはずの先輩の姿はない。

「お前なぁ……あんなネタしてるから、変なもんまで見えるようになってんじゃないのか?」

 呆然としている横で、同期が呆れたように言う。でも確かに今まで一緒に飲んでいたはずだ。

「いや……そんなはずは……だって」

 お前だって知ってる先輩で……と言おうとしたところで、その先輩というのが誰だったか思い出せない。

「まぁ、ほどほどにしとけよ」

 哀れむ目で同期が俺の肩を叩き、立ち去っていく。

 手のつけられていない向かいのジョッキを俺は、ただ呆然と見つめた。 

 

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