第598話 恩師の言葉

「…というわけなんです」

「ほう、そうか」

「で、どう思います」

「そうだな…。うーん」


 僕は山城さんを訪ねていた。

 山城さんは高校野球の監督をやっており、そのチームを甲子園に連れていくなど、その筋では今や名監督と言われている。

 高校のグラウンドの隅のベンチに座って、僕らは話していた。


「で、お前はどうしたいんだ?」

「いやー、それがわからないから、困っているんです。

 もし自分でどうしたいかわかっていたら、わざわざ山城さんに会いになんて来ませんよ。

 ヒマじゃないんですから」

「お前、それが恩師に言う言葉か。

 お前はもう一度高校時代に戻って、その根性を叩き直した方がいいんじゃないか」

 そう言って山城さんは大きくタメ息をついた。


「俺がかって、外野コンバートの話があっても断われ、と言ったのは、若いうちからいろいろなポジションをやるとどれも中途半端になってしまうという意味だ。

 だが今のお前は曲がりなりにも、リーグを代表するショートストップになった。

 だからプレーの幅を広げるために、外野に挑戦するのも悪くないと思う。

 ましてや大リーグに挑戦するなら、引き出しが多い方が良いだろう」

「そうですか、ありがとうございます」


「ところでお前は本気で大リーグに行きたいのか?」

「はい、フロリダで自主トレして、いつかこの青空の下でプレーしてみたいと思いました」

「そうか。

 すごく単純な動機に聞こえるが、お前の野球人生はお前だけのものだ。

 後悔しないようにやれば良い」

 そう言って山城さんは天を見上げた。

 

「そうだな。

 俺はプロで14年間飯を食ったが、レギュラーには届かなかった。

 だから大リーグ挑戦なんて、夢にも思わなかった。

 だから正直なところ、俺はお前が羨ましく思うよ。

 でもこのまま日本に残っていたほうが、金は稼げるんじゃないか。

 もしポスティングして、万が一、億が一、入札があったとしても、恐らくマイナー契約だろう」

 

「はい、それは覚悟しています。

 でも金か夢なら、僕は夢を選びます」

「なるほどな。

 まあお前のしたいようにすれば良い。

 俺は陰ながら応援しているよ」

「はい、ありがとうございます」

 

「今年も自主トレはフロリダでやるのか?

 年始はスケジュール空けといているからな」

「はい、そのつもりです。

 近くなったら、航空券のチケットをお送りします」


 「しかしお前とも長い付き合いになってきたな。

 最初出会った時は、一軍に昇格できず3年くらいでクビになると思っていたんだけどな」

「そうですね。

 僕自身、周りの方の実力を見て、こりゃダメだと思いました」

 

「だがあの夜、金を払うから、俺にノックしてくれ、と言ってきたことに驚いたよ。

 今までそんな事を言ってきたバカはいなかった。

 でもな、プロとして生きていくためには、自分への投資を怠ってはいけない。

 唯一の商品が自分の身体なんだから。

 お前はバカだけど、その大事な事に若くして気づいていた。

 だから野球の才能が乏しくても、レギュラーにまでなれたんだろう」

 「はい、僕も山城さんとの特訓で、プロとして生きていく自信がつきました」

 

「そう言えば覚えているか、俺はお前に1,469万円の貸しがあること」

「あれ?、1,257万円じゃありませんでしたっけ?」

 

「バカ。世の中には利子というものがあるんだ。

 お前が大リーグで活躍して、何十億円も稼ぐようになったら返せ」

「それは無理ですね」

「そりゃ、そうだな。ハハハハハ」

 山城さんは愉快そうに笑った。

 

「さて、そろそろ俺も練習に戻らなくてはな。

 どこぞの悩めるプロ野球選手と違って、未来ある若者を預かっているからな。

 それじゃまたな」

 そう言って、山城さんは歩き出した。

 

「はい、次はフロリダで会いましょう」

 山城さんは僕に背を向けたまま、軽く手を挙げた。


 山城さんと話したことで、自分の頭の中が少し整理された。

 まだ自分がどうしたいかわからない。

 時間はある。

 もう少しじっくりと考えよう。

 僕は立ち上がり、最寄り駅に向かいながらそう思った。

 


 

 

 

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