第595話 やらないで後悔するよりは…

 「明日何の話だろうか。

 ポスティング申請の手続きについてかな」

 蕎麦屋に入り、僕は天ぷら蕎麦、谷口は山菜蕎麦を注文した。


 「まあ今後の身の振り方についてじゃねぇの。

 一応タイトルを獲得したのは事実だし、意思確認だろ。

 無謀な大リーグ挑戦って正気か、っていうことだろう」

「無謀は余計だ」

「じゃあ無鉄砲か。

 お前、これまでも大リーグ挑戦した日本の内野手は苦戦してきたのは知っているだろう」

「え?、そうなの」


 谷口は大きくため息をついた。

「お前、そんな事も知らないで、大リーグ挑戦しようと思ったのか?」

「ああ、悪いか?」

「良いか、悪いかで言ったら、極悪非道の部類に入るぞ。

 そんなんで良く大リーグ挑戦しようと思ったな」


 谷口は大きくため息をついた。

「そもそも何で大リーグ挑戦しようと思ったんだ?」

「いやぁ、フロリダでの自主トレを経験して、是非こんなところでプレーしてみたいと思ったからだ」

「え、それだけか?」

「それだけだよ。悪いか」


 谷口は天を仰いだ。

「呆れた。心底呆れた。

 お前、そんな動機で大リーグで成功すると思っているのか。

 そもそも勝算はあるのか」

「バカだな。

 勝算もなく、大リーグ挑戦するわけないだろう」

 

「ほう、その勝算というものをお聞かせ願おうか」

「いいか耳をかっぽじって、じっくりと聞け。

 俺は足が速いだろう?」

「まあ、日本球界では速い方だろう」

 

「そして守備が上手いだろう」

「まあ、日本球界ではマシな方だろう」

 

「結構肩も強いだろう」

「日本球界では普通レベルだろ」

 

「バッティングも良いだろう」

「日本でも非力な方だけどな」

 

「そして人気もあるだろう」

「子供とおっさんにはな」

 

「君ね、いちいち揚げ足を取るのをやめてもらえるかな」

「揚げ足じゃなくて事実だろう。

 いいか、アメリカにはな、肩が強くてパワーがあって、足が速い選手がゴロゴロしているんだぞ。

 しかもそんな身体能力に優れた選手でも、ほとんどがメジャーに上がれずに消えていく。

 お前はそんな過酷な世界に飛び込もうとしているんだ」

 

「おい、脅かすなよ」

「全く脅かしちゃいねぇよ。

 淡々と事実を述べているだけだ。

 一度マイナーリーグの試合見てみろ。

 スピードとパワーに優れた選手が数多くいるから…」

 そう言って、谷口はタブレットで、マイナーリーグのプレーの動画を見せてくれた。

 

「そ、それじゃ、俺のメジャー挑戦は厳しいじゃないか…」

 谷口は再び大きくため息をついた。

「俺は本当に呆れたよ。

 てっきり少しは調べた上で、言っているものだと思っていた。

 ある意味、お前らしいな。

 まあ、でも一つだけお前が誰にも負けないことがある。

 それは何だと思う?」


「うーん、顔か?」

「大バカ野郎。

 お前が誰にも負けないところは、そのバカさ加減だ。

 普通ならあまりの実力差に臆するだろうが、お前くらいのバカなら何も感じないだろう。

 冷静にお前の実力を評価すると、とても大リーグで成功するとは思えないが、もしかしたらバカだから何かやってくれるかもしれない、という期待が無いわけでもない」

 

「お前な、人にバカって言っちゃいけないって、小学校時代に習わなかったか?」

「良いんだよ。

 お前に対しては褒め言葉なんだから…」


 「お待ち遠様」

 そんな事を話していると、店員が蕎麦を持ってきた。


 「まあ、そういうことだ。

 明日、どんな話になるかは知らないが、少しはアメリカの野球について勉強しておけ」

 そう言って谷口は自分の蕎麦に、七味唐がらしをふりかけた。


 うーん、アメリカの野球って、そんなにレベルが高いのか…。

 正直なところ、僕は憧れだけで、大リーグ挑戦という言葉が口を出てしまった。


 でもまあ、いいや。

 やらないで後悔するよりも、やって後悔しよう。

 僕はそう開き直って、海老天を口に運んだ。


 

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