第589話 神様がくれたチャンス?

 投球は外角に逸れた。

 青村投手も盗塁を予想していたのだろう。


 僕はセカンドベースに入り、武田捕手の矢のような送球が来た。

 捕球すると同時に、ちょうどランナーにタッチできるような低さ。

 素晴らしい送球だ。

 余裕でアウト。


 中道選手のスタートは決して悪くなかった。

 だが投球が外角に逸れ、投げやすい体勢になったこと、武田捕手から素晴らしい送球が来たこと、そしてショートが守備の名手であること。

 これらが重なり、結果として余裕で盗塁を刺した。


 中道選手は天を仰ぎ、そそくさとベンチに帰っていった。

 はっきり言って、快感である。


 この回も青村投手が後続を抑え、4回表の京阪ジャガーズのマウンドには、加藤投手が上がった。

 車谷投手は調整のため、当初から3回までの予定だったのだろう。


 そして試合は早くも6回表を迎えた。

 点差は1対0で札幌ホワイトベアーズがリードのまま。

 青村投手が京阪ジャガーズ打線を完璧に抑えている。

 この回は僕からの打順だ。

 

「おい、高橋」

 麻生バッティングコーチから声をかけられた。

「言うまでもないが、ここはホームランはいらないからな。

 ヒットでいいぞ」


 そう言われても、ヒットだってそんなに簡単には打てない。

 人の気も知らないで。

 コーチという稼業も気楽なものだ。

 そんな風に心の中で悪態をつきながら、僕は打席に向かった。


 内野手の守備位置を見ると、明らかにセーフティバントを警戒しているし、外野手もかなり前に来ている。

 長打を打たれるよりも一塁に出塁することを警戒しているようだ。

 シーズン終盤のタイトル争い時期ならではの珍しい光景である。


 外野の頭を越しても、一塁で止まれば良いじゃないか?

 プロとして、そんな事はできない。

 格好つけるわけじゃないが、僕は記録のために野球をやっているわけではなく、ファンの皆様に勝利を届けるためにやっているのだ。

(充分に格好つけていると思います。作者より)


 加藤投手の初球。

 僕は外野の頭を越すことを狙って、フルスイングした。

 ストレートと思ったが、ツーシームだったようで微妙に変化した。


 こすったようなボテボテの打球が、ピッチャーとキャッチャー、そしてサードのちょうど間に転がった。


 ピッチャーの加藤投手が素手で拾って、一塁に送球してきた。

 僕は懸命に一塁を駆け抜けた。

 どうだ、判定は?


 セーフ。

 審判が両手を横に広げた。

 京阪ジャガーズベンチはすかさずリクエストをした。


 確かに微妙なタイミングだった。

 外野の大型ビジョンに先ほどのリプレー映像が流れている。

 うん、セーフだ。

 僕は確信していた。

 タイミングは同時に見える。

 つまり、判定を覆すほどではないだろう。


 そして審判団が結構、早くでてきた。

 僕は固唾を飲んで、責任審判を見つめた。


 責任審判はゆっくりとホームベースに向かって、歩いている。

 球場内の視線が、彼に注がれており、まるでそれを楽しむかのようだ。

 焦らすね、この野郎。


 そしておもむろに両手を広げた。

 そりゃそうだろう。

 もしこれだけ焦らしてアウトになったら、彼の自宅に匿名の不幸の手紙が毎日届くところだった。

 良かったですね。


 というわけで僕は無事に一塁に出塁した。

 ご都合主義と言われようが、必死にやった結果である。

 文句があれば作者まで、ムンクの叫びを見たければ、ノルウェーのオスロまで。


 ということで、僕は一塁ベース上に立った。

 これは神様がくれたチャンス。

 君が盗塁王を獲りなさい、ということだ。

 きっと。多分。恐らく。

 

 

 

 

 

 

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