第588話 盗塁王、取りたいか?
この回もマウンドには車谷投手が上がっている。
車谷投手は、150km/hを超えるストレートに加え、カットボール、ツーシーム、カーブ、チェンジアップ、スプリットを操る。
一言でいうと、打ちづらい嫌なピッチャーだ。
第1打席はたまたま低めのツーシームを捉えたが、この打席は甘い球は投げてこないだろう。
初球。
外角へのストレート。
判定はストライク。
打ってもファーストかセカンドへのゴロとなるのが、関の山だ。
ちなみに関の山とは三重県の…。
(同じ話を何度もしないでくたさい。記憶力がないんですか? 作者より)
2球目。
真ん中へのストレート。
いや、スプリットだ。
途中までストレートの軌道で来て、ホームベース手前で落ちる。
とても厄介な球だ。
途中でバットを止めたが、ハーフスイングを取られてしまった。
うーん、追い込まれた。
ここからはカット打法に切り替えないと…。
3球目。
外角へのカーブ。
意表をつかれ、手がでなかった。
判定はボール。
危ない、危ない。
僕はあたかもボールと見極めたというように平静を装っていたが、正直、ストライクと判定されても仕方がない球だった。
一球、緩い球を見せられたので、次は速い球か。
つまりストレートかスプリット。
意表をついて、チェンジアップもありうるし、カーブも無くはない。
カットボール、ツーシームも頭に入れておく必要がある。
さあどうするかな。
僕は狙い球を絞った。
こういう場面は割り切りが大事なのだ。
4球目。
ストレート。
いや、カットボールだ。
予想が当たった。
僕はピッチャー返しを意識して、打ち返した。
打球はライナーでピッチャーの頭を越えて、センターに飛んでいる。
よしこれはヒットだ。
…そう思った瞬間、センターの中道選手が何と前にダイビングしてきた。
もし後ろに逸らしたら、ランニングホームランまであり得る、大胆なプレーだ。
どうなったんだ?
大歓声が上がった。
京阪ジャガーズファンからの歓声だ。
中道選手は打球がフィールドに落ちる寸前にグラブに収めていた。
チッ、ヒット1本損した…。
さっき僕は中道選手のヒット性の当たりをアウトにしているので、やり返された、と言うのかもしれない。
そしてその裏、ワンアウト二塁、三塁で中道選手の打順を迎えた。
ピッチャーゴロや、強いサードゴロならホームでアウトを狙うし、緩いゴロなら一塁セーフとなる可能性がある。
中道選手はややバットを短くもっており、軽打を強く意識しているようだ。
ホームへの送球を意識して、僕は少し前に出た。
さあ、こっちに打ってこい。
そしてツーボール、ワンストライクからの4球目。
叩きつけるような打球がショートに飛んできた。
僕はとっさにホームを見た。
まだ間に合う。
ホームに送球した。
クロスプレーになる。
どうだ、判定は?
アウト。
これでツーアウト一、三塁。
一塁ランナーの中道選手にとって、盗塁の大チャンスだ。
僕ら内野陣はマウンドに集まった。
「高橋、盗塁王取りたいか?」
武田捕手が僕に聞いてきた。
「はい、取りたいです」
僕ははっきりと答えた。
「わかった。取らせてやる」
普段、武田捕手は寡黙な方である。
その武田捕手がここまでハッキリと言い切ることは珍しい。
「ありがとうございます」
「その替り、お前もしっかりとベースカバー入れよ」
「はい」
「ということだ。
青村もクイックと牽制、頼むぞ」
「おう、任せとけ」
武田捕手と青村投手は同学年だ。
これまで幾多の試合でバッテリーを組んできたが、青村投手が今シーズンオフに大リーグに挑戦するのはほぼ確定なので、これがバッテリーを組む最後の試合となるだろう。
輪がほどけ、僕らは定位置に戻った。
中道選手は大きくリードを取っている。
ここは単独スチールもディレイドスチールもありうる。
青村投手はセットポジションに入り、振り返って一塁ランナーの中道選手の様子を伺っている。
そして矢のような牽制球を投げた。
中道選手はさすがに帰塁するのも上手い。
盗塁するには足の速さはもちろんのこと、帰塁の上手さも重要ポイントなのだ。
というのも帰塁が下手なら、大きくリードは取れず、また思い切ったスタートは切れない。
僕はプロ2年目の静岡オーシャンズ時代、チームのシーズン最終戦で、牽制球アウトになり、シーズンを終わらせた事がある。
その悔しさは今も忘れておらず、牽制アウトにだけはならないように技術を磨いてきた。
そしてそれが結果として、今シーズンの盗塁増産につながっている。
牽制球を3球挟み、青村投手はバッターの木崎選手に初球を投げた。
そして予想通り、中道選手はスタートを切った。
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