第574話 例え負け試合でも

 4回裏。

 この回先頭バッターの道岡選手が二塁打で出塁し、4番のダンカン選手のライトフライで三塁に進んだ。


 そして5番の谷口は8球粘り、9球目をライトに打ち上げた。

 犠牲フライになり、1点を返した。

 でもここはヒットが欲しい場面であり、犠牲フライではちょっとね…。

 

「お前、計算できるか?

 例え1点ずつ返しても、負けちゃうんだぞ。

 ここは最低ヒットだろう。

 相変わらず空気を読めないな」

 僕はネチネチと谷口に嫌味を言った。

 谷口は無言で試合を見ている。


 4回を終えて点差は11対3。

 まだまだ差はあるが、2回以降は札幌ホワイトベアーズペースになってきた。


 何しろ2回以降、仙台ブルーリーブスは1人のランナーも出せていない。

 それに対して、札幌ホワイトベアーズ打線は、相手エースの岩城投手から3点を奪った。


 そして5回表も篠宮投手は気合の入った投球で、一球一球、丁寧に投じ、三者凡退に抑えた。

 5回裏は7番のブランドン選手からの打順なので、篠宮投手に打順が回る。


「篠宮、良くやった。お疲れ様」

 矢作ピッチングコーチが、篠宮投手に声をかけた。

 篠宮投手はキョトンとしている。

 

「え?、まだ行きますよ」

「でも4回も投げて、疲れただろう。よくやった」

「いえいえ、大丈夫です。

 お願いです。投げさせて下さい」

「そうは言ってもだな…。

 矢作ピッチングコーチは困ったように、大平監督の方を見た。

 大平監督は小さく頷いた。

 

「わかった。

 この試合、お前に託す。

 行けるところまで行ってくれ」

「ありがとうございます」

 篠宮投手は嬉しそうに、ヘルメットを被った。


 篠宮投手の気合が乗り移ったのか、ブランドン選手、上杉捕手が連続でヒットを放ち、ノーアウト一二塁のチャンスを作った。


 そしてバッターボックスには、篠宮投手が立った。

 点差はあるが、ここは送りバントのサインが出て、篠宮投手はきっちりと決めた。

 つまりワンアウト二、三塁の場面で僕に打順が回ってきた。

 

 バッターボックスに向かおうとして、ベンチを見ると谷口と目があった。

「さっき偉そうな事を言ってくれたからには、お前はここでヒットを打つんだよな。コラ」

 谷口の目はそう言っているようであった。


 ハイハイ、わかっていますよ。

 もしここでヒットを打てば、4回途中5失点。

 点差があるとは言え、岩城投手をノックアウトできるかもしれない。


 さっきホームランを打っているので、岩城投手も初球、慎重に外角へのボール球で入ってきた。


 そして2球目も外角低めへのツーシーム。

 ストライクゾーンギリギリだったが、見送った。

 打っても内野ゴロだ。

 これでワンボール、ワンストライク。


 3球目。

 外角へのカーブ。

 意表をつかれ、ストライクゾーンに決まり、追い込まれた。

 

 徹底的に外角勝負か。

 それとも一球、内角に投げてくるか。

 うーん、迷う。


 僕はタイムを取り、一度バッターボックスを出て、素振りをした。

 どちらかに絞らないと…。


 4球目。

 外角高めへのストレート。

 ボールくさかったが、ファールで逃げた。

 とことん外角勝負か?


 5球目。

 ストレートか。

 いや、球速が遅い。

 チェンジアップだ。

 僕は体勢を崩されながらも、何とかバットに当てた。

 

 打球は緩いゴロとなり、一、二塁間に転がっている。

 僕は一塁アウトになったが、三塁ランナーがホームインし、1点をかえした。


 最低限の仕事はしたんじゃないかな…。

 気配を殺すようにベンチに戻り、谷口と離れた場所に座った。

 

「あれ?、何で君、ここにいるのかな?

 もしかして、君もヒットを打てなかったのかな?

 まさかね。嘘だよね」

 わざわざ谷口が近づいてきて、隣に座った。

 こういう口調を慇懃無礼と言うのだろう。


「良いんだよ。

 1点ずつ返していけば…」

「あれ?、でも1点ずつ返しても残り4イニングで4点だから負けちゃうよね。

 もしかして計算できないのかな?」


 いつもにも増して谷口の口調は嫌味っぽい。

 さっきの仕返しのようだ。

 チッ、陰険な性格だ…。

 

 何はともあれ、これでツーアウト三塁になり、チャンスは続く。

 次のバッターの湯川選手がセンター前にポトリと落とし、もう1点を追加した。

 これで11対5。

 恐らく次の回は、岩城投手は変わるだろう。

 少しは見られる試合になってきたのではないだろうか。 

 

 

 

 

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