第562話 オールスター第一戦後のあれこれ
「知っているか?
こういうのを拉致と言うのだぞ」
タクシーの中で、中道選手が愚痴っていた。
「まあまあ折角、北海道に来たのですから、美味しい寿司を食べて帰って下さいよ」
「俺はジンギスカンと味噌ラーメンを食べたかった…」
「知っていますか?
札幌にはシメパフェというのもあるんですよ。
飲んた後に締めにラーメンじゃなくて、パフェを食べるんです。
なあ、谷口」
僕は中道選手の愚痴を聞き流し、谷口に話を振った。
「いや、俺は甘いものはあまり好きじゃない…。
ていうか、家に帰りたい…」
「俺はジンギスカンを食べて、締めにラーメンを食べたい…」
タクシーの後部座席に、中道選手と谷口、助手席に僕が乗っている。
2人とも折角オールスターで賞を取ったのに、なぜかタクシーの中の雰囲気が暗い。
「ていうか、こんな遅くに寿司屋がやっているのか?」
「はい、大丈夫です。
さっき予約しておきました」
ちなみに僕らのタクシーの前後には、鬼頭投手などを乗せたタクシーが5台程一緒に来ている。
まるで犯人の護送か、要人警備みたいである。
皆でシーリーグの第一試合勝利の祝勝会をするのだ。
中道選手のMVPの賞金で。
ヒーローインタビューの後、ホテルにこっそり帰ろうとして、タクシーに乗り込んた中道選手の身柄を僕と鬼頭投手で確保したのだ。
更には逃げようとした谷口も、ルーカス投手が捕まえた。
「まあオールスターの賞金なんて、泡銭みたいなもんです。
パーっとつかいましょうよ。なあ、谷口」
「嫌だ…。
俺は子どもの学費として貯金する…」
「だめだぞ。
そんな夢の無いことじゃ。
プロ野球選手は夢を与える存在。
賞金なんてパーツと使わないと」
「そう言えば、お前も2年前のオールスターでMVPを取らなかったっけ?
あの時の賞金はどうしたんだ?」
「え?、あ、ああ。
あの時は確かコロナ禍の真っ最中で、外食禁止だったから、素直にホテルに帰ったよ。
そもそも賞金は奥さんに没収されたし…」
あの時は僕は追手をかいくぐり、スタッフに紛れて、球場の裏口から逃亡した。
一億円以上の年俸を貰っている中道選手と違って、あの頃の僕の年俸は3,750万円だった。
そんな家計に取って、300万円の臨時収入は大きい。
ちなみに少しは分前を貰えると期待したが、ヒーローインタビュー時の失言により、全額奥さんに没収され、高橋家の定期預金の一つとなった。
夢も希望もない話で恐縮だが…。
「さあ、着きましたよ」
この店はススキノの外れにあり、夜遅くまでやっているので、試合終了後に寿司をつまみたくなった、札幌ホワイトベアーズ選手の御用達の店である。
もっとも値段も相応にするので、僕は自費ではとても来れない。
この店の良いところは他にもあり、20人以上が優に入ることができる個室も完備されているのだ。
「さあ、行きましょう。
いゃあ、お腹空いた」
僕らは中道選手と谷口を取り囲むように店に入った。
普通の店なら、プロ野球選手が大勢来ると驚かれるが、ここは従業員が慣れているので、居心地が良い。
札幌でコンサートをやったアーチストとか、芸能人もお忍びで来るそうであり、店舗の中に入ると、数多くの有名人のサインが並んでいた。
ちなみに僕のサインも隅の方に飾ってある。
もし、札幌に旅行で来る機会があったら、是非行ってみてください。
普段は同じリーグでしのぎを削る選手たちだが、オールスターの間だけはチームメート。
僕と中道選手も盗塁王を激しく争うライバルであるが、今日と明日だけは同じチームの仲間だ。
普段なかなか話せないような方々と話せるのも、オールスターの良いところである。
「ところで高橋、今シーズンオフに大リーグに挑戦するって、正気か?」
仙台ブルーリーブスの片倉選手に聞かれた。
すでに何杯か飲んだのか、顔が赤くなっている。
「おう、俺もそれ聞きたい。
本当のところどうなんだ?」と川崎ライツの与田選手。
もっとも与田選手はフロリダの自主トレ仲間なので、気心は知れている。
「はい、まあ球団から付けられた条件を達成できればですが…」
「何だ、条件って」と聞いてきたのは熊本ファイアーズの伊集院選手。
「すみません。ちょっとここでは言えません」
幾ら僕でも、球団との話を言うわけにはいかない。
それくらいの分別はある。
「そうか。まあガンバレよ。
お前の大リーグ挑戦は多くの人に夢を与えるからな。
それを忘れるなよ」
「ありがとうございます。
みんな期待してくれているんですか?」
僕は少し嬉しく思った。
「そりゃそうだ。
隆レベルで大リーグで成功できるなら、俺も行けるかもしれない、って皆思うだろ」と谷口。
君は少し黙っててくれないかな?
「まあそういうことだ。せいぜい頑張ってくれ」というように、皆さんから理由のわからない激励を受けた。
まあ、がんばりますよ。
来年どこのチームに所属しているかはわかりませんが…。
そう思った。
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