第527話 わかっていても打てない
「おう、高橋。元気そうだな」
原谷さんと話していると、黒沢選手がやってきた。
「あ、お久しぶりです」
さすが黒沢選手は人格者。
原谷さんと違って、人の事をバカバカ言わない。
「しかしこないだのヒーローインタビューはたまげたな。
まさかあんな場で、大リーグ挑戦を宣言するとは…。
で、どうするんだ?」
大恩ある黒沢さんに黙っているわけにはいかない。
僕はジャックGMとの約束を話した。
「そうか、タイトルか…。
でも今のお前なら可能性はある。
正直言って、お前は俺が思っていた以上の選手になりつつある」
「ありがとうございます。
そう言ってい頂けると、嬉しいです」
「やはりバカは強いな。
時にはバカでないとできないこともある。
俺にはそんな風に大リーグ挑戦するなんて、思いもつかなかった。
期待しているぞ」
黒沢選手はそう言って、僕の肩をポント叩いて去っていった。
黒沢さんにまでバカと言われた…。
「もしタイトル取らなかったら、トレードか…。
どうだ。その時は静岡オーシャンズに帰ってこないか?」
「それは僕の意思ではどうにもならないですからね。
取り敢えず今は大リーグ挑戦の事しか考えていません」
「まあ、そうだな。
そうだ。今日はお前への餞として、全打席ツーストライクとなったら、ど真ん中のストレートを要求してやるよ」
「その手は桑名の焼き蛤。
前も似たような事を言って、僕を騙そうとしましたよね。
ていうか原谷さん、スタメンなんですか?」
「おう。
今シーズンは打撃も調子が良いからな」
原谷さんは今シーズンはここまで打率.250、ホームラン3本となかなかの数字を残している。
静岡オーシャンズの正捕手は、重本選手だが、ピッチャーとの相性によっては原谷さんがスタメン出場する機会もある。
「まあお互い頑張りましょう。
それでは明後日」
そう言って、僕らは別れた。
明後日はデーゲームであり、その翌日は移動日なので、試合終了後、原谷さん、三田村、谷口と食事する約束をしたのだ。
今日のスタメンは以下の通り。
1 高橋(ショート)
2 湯川(セカンド)
3 谷口(レフト)
4 ダンカン(ファースト)
5 下山(センター)
6 道岡(サード)
7 キング(ライト)
8 武田(キャッチャー)
9 稲本(ピッチャー)
代わり映えのしない打線と思うかもしれないが、強いチームはメンバーが固定されているものだ。
シーズン中のスタメンの組み合わせ数と、チームの順位には反相関関係があるというデータもある。
例えばここ2シーズン最下位に低迷している某チームは…。
以下、自主規制…。
静岡オーシャンズの先発は、鄭(てい)投手である。
台湾出身で160km/hを越える威力のあるストレートを投げ込んでくる右腕だ。
持ち球にはスライダーもあり、右バッターの僕としては打ちにくいことこの上ない。
さらにツーシーム、チェンジアップも使ってくる。
前回の登板では、東京チャリオッツ相手に完封勝利を上げており、乗りに乗っているらしい。
試合が始まり、初回のバッターボックスに入った。
マウンドに立つ、鄭投手は精悍な顔つきをしている。
濃い眉に鋭い目つき。
小顔で顔だちも整っており、女性人気も高いそうだ。
そういうピッチャーを打ち崩して、歪ませたい。
そんな事を考えながら、爽やかにバットを構えた。
初球。
内角へのツーシーム。
手がでなかった。
ストライクワン。
2球目。
スライダー。
見送ったが、ギリギリに決まった。
これでノーボール、ツーストライク。
3球目。
ど真ん中へのストレート。
本当に投げてきた。
これはもらった。
思い切り振り抜いた。
だがボールは原谷さんのミットの中。
例えコースがわかっていても、160km/h越えの球なんて、そう簡単には打てない。
僕はキャッチャーマスクの下でほくそ笑んでいるであろう、原谷さんに背を向けて、スゴスゴとベンチに帰った。
続く湯川選手も三振し、打席には谷口が向かった。
谷口は今シーズン、.280〜290の打率をずっとキープしており、ホームランもここまで7本打っている。
ここ数年、札幌ホワイトベアーズの3番は道岡選手の打順だったが、今シーズンはここまで打率.240台とあって、最近は谷口が3番に入ることが増えている。
そして今日も期待に答え、鄭投手のストレートを打ち返し、ツーベースヒットを放った。
続くダンカン選手がタイムリーヒットを放ち、谷口は先制のホームインをした。
ベンチで拍手していると、原谷捕手の悔しそうな顔が目に入った。
谷口とダンカン選手のおかげで、溜飲が下がった。
次の打席は僕も打ってやる。
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