第514話 ボーイズ・ビー・アンビシャス
「お前、気でも狂ったのか?」
チームバスに乗りこむと、チームメートから口々にそのように声をかけられた。
将来の希望を言っただけで、こんなに大騒ぎになるとは思わなかった。
「なあ俺、何か変なことを言ったか?」
谷口の後ろの座席に座り、僕は聞いた。
谷口が振り返って答えた。
「当たり前だろ。
誰でも驚くに決まっているだろう」
「そうか?、だって目標は大きくもった方が良いだろう。
お前は大リーグに挑戦したいと思わないのか?」
「思わないこともないけど、普通、ヒーローインタビューの場で口に出さないだろう。
しかも今シーズンオフって、唐突すぎるだろ」
そうなのか。
まあいいや。
僕だって、今シーズンいきなりポスティングを認めてもらえるとは思っていない。
あくまでも将来の希望を言っただけだ。
ホテルの部屋に戻ると、石山マネージャーから電話があり、明日の9時に京阪球場近くのホテルに来るように言われた。
思っていたよりも大騒ぎになっているようだ。
翌朝、指定されたホテルに向かうと、その部屋の前で球団職員の美園さんが待ち構えていた。
「おはようございます」
「おう、おはよう。
とりあえず中に入れ、本部長とGMが中で待っている」
「はい」
僕はノックして、中に入った。
部屋の中は二十畳くらいの広さで、真ん中に応接セットがあり、ジャックGMと北野球団本部長が並んで座っていた。
「失礼します」
座るように勧められ、僕は二人の前のソファーに腰掛けた。
ジャックGMは過去に選手として、札幌ホワイトベアーズに在籍経験があり、引退後、大リーグのマイナーリーグでコーチ、監督の経験を積み、やがて大リーグのGM補佐の役職からヘッドハンティングされ、札幌ホワイトベアーズのGM職についた。
超合理主義者として知られており、例え実績があっても年俸に見合わなくなった選手は、容赦なく戦力外にすると言われている。
「悪かったね。試合前に」
北野球団本部長が口を開いた。
「いえ」
「来てもらったのは他でもない。
昨日のヒーローインタビューでの件だ」
「はい」
「あれは本気か?」
「はい」
「そうか…」
北野球団本部長は何か考えているようで、黙り込んだ。
ジャックGMはまだ一言も発していない。
厳しい顔をして、腕組みをして黙っている。
しばしの沈黙が場を包んだ。
昨日ヒーローインタビューを聞いていた方には、思いつきに聞こえたかもしれないが、最初に黒澤さんに招待されて、フロリダで自主トレした時から、ずっと頭にはあったのだ。
プロ入り10年目を迎えたとはいえ、自分で言うのも何だが、規定打席に一回到達した程度の選手である。
大リーグ挑戦なんて、口に出すのもおこがましいのはわかっている。
でも心の中に秘めているだけでは、何も進まない。
「奥さんは同意しているのですか?」
北野本部長が口を開いた。
「はい、同意しています」
実は昨シーズン終了後のある時、ふと結衣には聞いてみたのだ。
将来、大リーグに挑戦することについてどう思うか。
すると答えは意外なものだった。
「え、大リーグ?
良いんじゃない。
私、一度アメリカに住んでみたかったの」
「でも僕が大リーグに挑戦しても、多分マイナー契約だから、年俸は下がるよ」
「大丈夫よ。
多少の蓄えはあるから、2、3年は余裕で暮らしていけるわ。
それに引退しても、アメリカでの経験は、セカンドキャリアに生かせるんじゃないかしら」
思いがけない結衣からの前向きな言葉が、大リーグ挑戦を決意する後押しとなったのは確かだ。
長い沈黙が場を包んだ。
「カクゴワアリマスカ」
ジャックGMがようやく口を開いた。
覚悟?
覚悟とはどういうことだろう?
「あのー、覚悟とはどういうことでしょうか」
「ニドト、ニホンキュウカイニ、モドラナイカクゴデス」
「はい、あります」
僕は即答した。
また長い沈黙が場を包んだ。
少なくとも僕には、かなり長い時間に感じた。
「タイトルヲヒトツ、トッテクダサイ」
長い沈黙の後、ジャックGMが言った。
「ソウシタラ、アナタノポスティングヲミトメマショウ」
「タイトルですか?」
「はい、首位打者、盗塁王、最高出塁率どれでも良いです。
ホームラン王、打点王でも良いけど、それらは高橋選手の特長から考えづらいから…」
北野本部長が言った。
タイトルか。
首位打者、盗塁王、最高出塁率。
どれもハードルはかなり、いや、とても、もとい、ものすごく高い。
でも確かに日本球界でそれくらいの成績を残せないようでは、大リーグ挑戦など冗談にもならない。
「はい、わかりました。頑張ります」
「モシ、タイトルヲトレナカッタラ、ワガチームワ、アナタヲトレードニダシマス」
え?、僕は驚いた。
つまり来シーズン、札幌ホワイトベアーズに残る可能性がないということだ。
「ソレクライノカクゴワアリマスネ」
ジャックGMの視線は厳しく、そして鋭かった。
「はい、わかりました」
「これで話は終わりです。
今シーズンはまだ始まったばかりです。
高橋選手の覚悟、我々も期待して見させて頂きます」
最後に北野本部長が言った。
「はい、全力を尽くします」
一礼して僕は立ち上がった。
するとジャックGMも立ち上がった。
「ワタシ、ボーイズビーアンビシャストイウ、コトバ、トテモスキ。
ワカモノヨ、ヤシンヲモテ。
ワタシ、オウエンスル。ガンバッテ。」
それまでの厳しい表情を緩め、ジャックGMは僕に握手を求めてきた。
でもボーイズ・ビー・アンビシャスの日本語訳は、「少年よ、大志を抱け」じゃなかったっけ。
僕とジャックGMは固く握手した。
「頑張って下さい。私も応援しています」
次に北野本部長とも固く握手した。
二人の僕を応援する、という気持ちがとても良く伝わった。
本当にありがたいと思う。
一度口にしたからには、覚悟を持って、残りシーズンに臨もう。
僕は今一度、北野本部長とジャックGMに深く礼をして、退室した。
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