第463話 サインの行方
「さあ、5回裏、ノーアウト満塁でバッターは谷口。
カウントはスリーボール、ワンストライク。
マウンド上には、京阪ジャガーズの先発3本柱の1人、宗一投手。
点差は4対3。
札幌ホワイトベアーズにとって、一打同点、もしくは逆転の大チャンスです」
僕は一塁ベース上から、ライト上にある放送局向けのブースを見上げた。
きっと今、中継ではこんな事を話しているだろう。
圧倒的にバッター有利の場面だが、谷口の表情は引き締まり、まるで獰猛類が獲物を狙う目である。
5球目。
内角高目へのストレート。
谷口は三塁側にファールとした。
見送ればボールだったかもしれない。
だが思わず手が出てしまった。
これでスリーボール、ツーストライク。
一気に勝負は五分五分になった。
6球目。
セオリーなら、外角低めでの勝負。
そしてそれは当然、谷口の頭の中にも入っているだろう。
そして宗投手の6球目が投じられた。
内角低目へのスプリット。
高さといい、コースといい、素晴らしい球だった。
この球を打てるとしたら、それはこの球を狙っていた場合だけだろう。
「カキーン」
谷口の打った打球は、ライナーで、あっという間にレフトスタンドに飛び込んだ。
静岡オーシャンズ入団当初に僕が憧れた、まるでロケット弾のような打球。
経験豊富な宗投手もマウンド上に膝をつき、呆然とセンター方向を見つめている。
7対4。
谷口のグランドスラムにより、一気に試合をひっくり返した。
谷口は今日2ホームラン、6打点だ。
こういうのを「確変」というのかもしれない。
まあすぐに終わるだろうが。
大歓声の中、谷口はあまり表情を変えず、淡々とダイヤモンドを一周して、ホームに戻ってきた。
相手投手へのリスペクトを忘れない、その姿勢もさすがである。
「ありがとうございました」
谷口がベンチに戻ると、鈴鳴投手は最敬礼で迎えた。
そしてその目は赤くなっていた。
きっと5回の2失点がよほど悔しかったのだろう。
そして、谷口のホームランがよほど嬉しかったのだろう。
一球の怖さ。
そしてプロのレベル。
今日の登板でそれを学んだ事だろう。
恐らく鈴鳴投手は、明日、2軍に落ちるだろうが、これを是非、今後の糧にして欲しい。
宗投手はここでマウンドを降り、替わって南崎投手が登板した。
京阪ジャガーズは、強力なブルペン陣を誇り、劣勢の時でも出てくるピッチャーは、他チームのセットアッパー級である。
替わった南崎投手に対し、続く道岡選手からのクリーンアップトリオはいずれも三振に倒れた。
5回を終わって、7対4。
点差は3点あるが、相手は首位、京阪ジャガーズ。
まだまだ試合はわからない。
6回表からは、札幌ホワイトベアーズは勝ちパターンの継投に入る。
おなじみのKLDSである。
余談だが、札幌ホワイトベアーズでは胸にKLDSと書いたTシャツを販売している。
最初、担当者が綴りをKRDSで発注して、大目玉を食らったとか食らわないとか。
これも全て作者がルーカス投手の頭文字をRと誤認したことに端を発する。
是非、猛省して頂きたい。
点差が3点あると、投げるピッチャーも気が楽らしい。
6回表に登板した、毎度おなじみの札幌ホワイトベアーズの寅さんこと、鬼頭投手はわずか8球で、京阪ジャガーズ打線を退けた。
そして7回はルーカス投手、8回は大東投手と繋ぎ、9回は新藤投手が危なげなく試合を締めた。
試合は終わってみたら、9対4で札幌ホワイトベアーズの勝利に終わり、京阪ジャガーズと同率ながら首位に立った。
(札幌ホワイトベアーズは、武田捕手の極めて珍しいホームランなどで、更に2点を追加した。
ちなみに僕は今日はノーヒットに終わった)
勝ち投手は鈴鳴投手。
プロ初勝利を挙げた。
だが、ヒーローインタビューは辞退したようで、谷口だけが受けていた。
ちなみに谷口のヒーローインタビューは、面白くもなんとも無いので省略する。
僕を見習って、もう少し話術を磨く必要があるだろう。
僕はロッカールームに向かう廊下で、鈴鳴投手を見つけ、声をかけた。
「鈴鳴、ほら色紙貰っといたぞ」
鈴鳴投手はそれを見て、とても嬉しそうな顔をした。
だがきっぱりとこう言った。
「ありがとうございます。
でも今は受け取れません。
高橋さん、取っておいて頂けますか。
僕が自分の力でちゃんと勝ち星を掴み取った時に、それを頂きます」
「そうか。わかった。
その時まで預かっておこう」
「ありがとうございます」
鈴鳴投手は頭を下げ、ロッカールームに入っていった。
僕は改めて透明のビニールに包まれた、その色紙を見た。
そこにはサインに加えて、綺麗な字で「鈴鳴投手、プロ初勝利おめでとうございます」と書かれていた。
広報の新川さんが気を効かせて、書いてもらっていたのだろう。
(もし負けたら、どうするつもりだったのだろう…)
でも、それで良いかもしれないな。
これはいつか、先発で自分の力で勝ち星を挙げた時に渡してやろう。
きっとそれは遠い未来ではないだろう。
僕はその色紙を大事に紙袋に入れ、ロッカールームにしまった。
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