第215話 蚊帳の外
ピッチャーは同じく新人の北条投手に変わった。
昨秋のドラフトで2位指名された社会人野球出身の右腕だ。
サイドハンドからのシンカーが持ち味ということだ。
一度火がつくと、泉州ブラックス打線は止まらない。
7番の本郷選手もレフト前ヒットで出塁し、8番の高台選手もライト前に落とした。
そして9番の山形選手がフォアボールを選び、ワンアウト満塁で再び僕の打席を迎えた。
1イニングで2回も打席に立つのは珍しい。
ここまで僕だけ乗り遅れている。
気合を入れて打席に立った。
そしてワンボールワンストライクからの3球目。
内角へのシンカーをうまく捉えた。
鋭いライナー性の打球が三遊間に飛んだ。
よし。
そう思った瞬間、サードの角選手が横っ飛びで掴んだ。
そして起き上がるやいなや、セカンドに投げた。
ダブルプレー。
折角いい当たりを打ったのに…。ぴえん。
僕はトボトボとベンチに戻った。
試合はその後も泉州ブラックス打線の勢いは止まらず、14対1で圧勝した。
泉州ブラックス打線は今季最多の20安打。
惜しくも先発全員安打はならなかったが、7人がマルチ安打以上を記録した。
試合が終了し、勝利の歓喜の輪の中、僕は気配を消していた。
「おいタコ橋。どこ行くんだ」
さっさと着替えを済まし、ロッカールームをそっと出ようとしたら、児島投手に捕まってしまった。
「いえ、あのお疲れ様でした」
児島投手は7回を3安打無失点に抑え、勝利投手になっていた。
そして僕は何と6打数無安打だった…。
いわゆる6タコ。
ベンチがお祭り騒ぎの中で僕だけが蚊帳の外だった…。
良い当たりもあった。
だがことごとく野手の正面をついてしまうのだ。
これは不運ではない。
僕の打撃の何かが狂っていて、相手ピッチャーの術中にはまってしまっているのだ。
ホームであれば早く球場に入り、特打をするという事もできるが、アウェーではなかなかそうもいかない。
「タコ橋、飲みに行くぞ」
「え、あの、でも…」
「今日は今日で明日は明日だ。
それとも俺と飲みに行きたくないのか?」
「いえ、滅相もありません。
是非お供させて下さい」
ということでほとんど強引に児島投手にタクシーに乗せられた。
「今日はついていなかったな。あの高台ですら4安打を打ったのに。あの高台ですら」
「悪かったですね。3年ぶりの猛打賞で」
タクシーには高台捕手も同乗していた。
高台捕手は捕手としての能力は優れているが、打撃はあまり得意ではなく、猛打賞自体が3年振りで4安打となると、高校時代まで遡るそうだ。
(つまりプロでは初めて)
「羨ましいです。
あとホームランとスリーベースとツーベースを打てば、サイクルヒットでしたね」
「タコ橋、お前喧嘩売っているのか?
悪かったな。全部シングルヒットで」
高台捕手は4安打全てがシングルヒットだった。
当たり損ないの内野フライが野手の間に落ちたり、平凡な内野ゴロが内野安打になったり、ラッキーなヒットもあった。
「どんな当たりでもヒットはヒットだからな」
「羨ましいです。これで打率も急降下です…」
今シーズンの成績は71打数19安打となり、打率も.292から.268に下がってしまった。
もしここから3割に乗せるには、9打数5安打が必要だ。
「まあ今日の事は忘れて、明日ガンバレ」と児島投手。
「はい…」
僕は力なく答えた。
タクシーはとても高そうな寿司屋の前で停まった。
入り口では和服姿の女将が出迎えてくれ、部屋までの廊下からはちょっとした枯山水の庭園が見え、部屋の窓からは竹の鹿威しが見えた。
「タコ橋、好きなだけタコ食っていいからな」と児島投手。
「そうだ。飽きるだけタコ食えば明日は打てるさ。
つまり3タコや4タコを食らわないで済む」と高台さん。
それが言いたくて、わざわざ寿司屋まで連れてきたのか…。
この夜、高級なお寿司をご馳走になり、良い気分転換になった。
若い時(今もまだ25歳だが)なら、とにかく練習し、余計な事を考えないように体力的に自分を追い込むことが不調脱却のための唯一の薬だった。(少なくともそう思っていた)
しかしプロとして、ある程度経験を積んだ今は、長いシーズンを乗り切るためには体力を無駄に消耗させず、うまくメンタルを切替えすることが重要だと思う。
よし明日からまた頑張ろう。
ちなみに寿司屋の後、二次会、三次会ということで夜中の3時まで付き合わされた。
やばい、二日酔いになるかも…。
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作者より
皆様のお陰で夢の100万PV(自分にとっては)を達成できました。
ありがとうございます。
記念(?)に近況ノートに「エスコンフィールド観戦記」を書いてみましたので、暇な方は読んでください。
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