第165話 また夏が来た
2軍に降格して、1ヶ月近くたち、季節は7月になった。
泉州ブラックスはまだ東京チャリオッツと2ゲーム差の2位につけており、12年振りの優勝に向けて、好調を維持している。
僕は蚊帳の外にいるが、いつかチャンスは来る。
そう信じて研鑽を積むしかない。
1軍に昇格した泉選手は、その後も.292と安定した数字を残している。
最近ではトーマス・ローリー選手はスタメンを外れ、代打での出場が増えていた。
「タカハシ。ヒサシブリ」
ある朝、2軍の練習場に入ると後ろから声をかけられた。
振り向くと、トーマス・ローリー選手だった。
「おお、トーマス。久し振り。
なぜここに?」
「ワタシ、ニグンオチシタネ。
ボスガ、スコシリフレッシュシテコイ、イッテタネ」
トーマス・ローリー選手は日本に来て四年目となり、彼自身の勤勉さもあって、日常会話くらいは通訳無しでもできるようになっていた。
とは言っても、僕が話す言葉はさすがに分からないので、通訳を介しながら、ベンチに座って少し話をした。
「タカハシ、イナクナッテサミシカッタネ。
イズミ、ゼッコウチョー。ワタシ、オイヤラレタヨ」
トーマスの日本語の上達ぶりには舌を巻く。
「ワタシ、コトシデサイゴカナ」
通訳を介して聞くと、トーマスは来年は35歳を迎える。
それなりに大リーグと日本で稼いだので、引退後は故郷のカリフォルニア州で農場をやろうと考えているそうだ。
「ワタシ、インタイシタラ、タカハシ、チャンスネ」
確かにトーマスがいなくなれば、セカンドのポジションはポッカリと空く。
今は泉選手が好調だが、まだ1シーズン完走したことは無く、今の調子を維持するのは至難の業であろう。
セカンドの候補は、僕の他、打撃力のある泉選手、守備の上手い瀬谷選手、バランスの取れた若手の石川選手がいるが、いずれも帯に短し、たすきに長しである。
もっともこれまでの経験上、プロ野球チームは空いた穴をそのままにはしておかない……。
ちなみにトーマス・ローリー選手の替わりに昇格したのは、瀬谷選手だった。
1軍の二遊間は、当面の間は泉選手、伊勢原選手、額賀選手、瀬谷選手で回していくのだろう。
僕は降格以来、好調を維持しているが、なかなかお呼びがかからない。
だが前向きに捉えている。
というのも、1軍に定着していると、なかなかまとまった練習時間を確保するのが難しく、どうしても試合に向けた調整になってしまう。
2軍は移動時間も1軍に比べて短く、試合数も少ない。
だから自分の練習をみっちりできる。
僕は今シーズン1軍にいて、レギュラーへの壁を感じていた。
戦力になっていたとしても、レギュラーを掴むにはまだ殻を何枚か破る必要があると考えていた。
それはやはり打撃だろう。
今回の2軍降格は守備そしてバントの失敗に端を発しているのは確かだが、それはきっかけに過ぎない。
例えあのまま1軍に残っていたとしても、あれ以上スタメンの機会が増えたとも思えない。
なぜ守備に不安があっても、泉選手が使われるのか。
それは野球は点を取るスポーツだからだ。
泉選手が守備に不安があると言っても、それはプロの一流選手や守備力のある選手との比較であって、プロとしての水準レベルの守備力はある。
例え僕と比べて10回に1回程度エラーが多いとしても、泉選手が僕よりもホームランを1本でも多く打てるのであれば、そっちを使うだろう。
それは自明の理だ。
だから僕がレギュラーを掴むには、やはり打撃力を向上させる必要があるのだ。
そして、今季はそのきっかけを掴みつつあると感じている。
一方でそれを一過性のものでなく、自分のものにするには多くの時間が必要なのだ。
僕は今がその時と考え、来たるときに備え、今日も牙を研ぐ。
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