第127話 退寮について

 寮の食事はボリューム満点で、しかも美味しい。

 例えば今日の夕食は、ヒレカツにさば味噌、野菜サラダ、味噌汁にご飯、漬物、デザートは杏仁豆腐。

 栄養士が監修しているとのことで、栄養バランスも優れており、寮にいる間は食の面では何も心配しなくて良い。


 風呂は練習や試合終了後、いつでも入れるし、練習着やユニフォームも所定の場所に置いておけば、翌日には洗濯して綺麗に畳まれて、僕のロッカーに置いてある。

 

 寮費は徴収されるが、全部合わせても5万円程度であり、年俸が安かった1年目でさえ、家に仕送りしても多少の貯金はできた。

 つまり寮にいれば衣食住の心配なく、野球に打ち込めるのだ。


 その快適な寮を僕は12月末までに出なければならない。

 僕は高校時代も寮だったので、一人暮らしの経験が無い。

 さて、どこに住んだら良いだろうか。

 住宅情報誌を買ってきたが、よくわからない。

 そして僕には前々から考えていることもあった。

 

「俺、今度、寮を出ることになったんだ」

 僕らはUSJに来ていた。

 この日は12月の平日とあって、待ち時間が少なく、朝から多くのアトラクションを楽しむことができた。

 15時頃、少し疲れたのでレストランでお茶を飲みながら、休憩していた。

 

「そうなんだ。どうして?」

 彼女は受け取ったばかりの紙コップに入った熱いカフェラテを両手で持ち、かじかんだ手を温めていた。


「チームの規定で、寮は5年目までとなっているんだ」

「ふーん。じゃあどこに住むの?」

「年俸も上がったし、一軍の球場に通いやすいところを探そうかと思っているんだ。

 免許を持っていないから、電車で通うことになるし」

「へえ、どんな部屋を借りるの?」

「どんな部屋が良いと思う?」

「広さは?」

「どれくらいの広さが良いと思う?」

「一人で住むならあまり広くなくても良いかもね」

「一人で住むならね。

 場所はどこがいいかな」

「地下鉄の駅から近い方が便利で良いかしら」

「どこの駅がよいかな」

「さあ、球場から交通の便がいい駅はどこかしら?」

「少しくらい離れていても良いかな」

「条件は?」

「そうだね。君の職場にも行きやすい駅がいいかな」

「私の職場?、なぜ?」

「……」

「え。もしかして……」

「……」

「ねぇ、はっきり言ってよ」

 彼女は紙コップをテーブルに置いた。

 

「……」

「……」

「あのさ……」

「うん」

「その……」

「うん……」

「一緒にさ……」

「うん……」

「住まないか」

「……、それってどういうこと?」

「……」

「ねえ、はっきり言ってよ」

「…………、結婚して欲しい」

 

 彼女は目を見開いて、両手で口を覆った。

 そして少しして彼女の両目から涙が少し溢れた。

「そういうこと……」

「ダメかな……」

「ダメな訳ないでしょ……」

 彼女の両目から一粒ずつ涙がこぼれ落ちた。

 

「俺、まだ一軍半だから、そんな贅沢な暮らしはさせてあげられない」

「私がそんな事、望んでいると思う?」

「思わないけど、よくプロ野球選手って、年俸高いと皆思っているじゃん」

「別に私は隆がプロ野球選手だから、好きになったわけじゃないよ」

 彼女は涙を拭きながら、少し怒ったように続けた。

 

「例え隆が、泉州ブラックスを戦力外になって、トライアウトでどこのチームも取ってくれなくて、野球をやめて、一般企業でも使い物にならなくて、無職になっても、私は支えていくわ」

 うーん、例えがあまり良くないんじゃないかな。

 

「ありがとう。まず、君のご両親にご挨拶に行かないとね。

 それから新居を探そう。

 どこに住んだら良いか、よく分からないけどね」

「じゃあ、私が考えても良い?」

「うん、考えてくれる?」

 ということで、新居探しは彼女に任せることにした。

 しっかり者の彼女だ。

 きっと良いところを選んでくれるだろう。


 翌週、僕は彼女のご両親に挨拶に行くことになった。

 高校時代から長い間、付きあっているが、彼女の自宅に行くのは初めてだ。

 彼女のお父さんは京阪ジャガーズの大ファンだと聞いていたが、泉州ブラックスの選手である僕が行って追い返されないだろうか?

 

 僕はデパートの地下で、あらかじめ彼女から聞いていた、ご両親の好きなお菓子を手土産に買い、彼女と最寄り駅で待ち合わせた。

 

「大丈夫かな」

 僕は彼女の家へ向かう途中で聞いた。

「何が?」

「いや、君のお父さんとは初対面なのに、いきなり娘さんと結婚させて下さい、なんて言って」

 僕は彼女のお母さんとは何度か会ったことがあり、一緒に食事したこともあったが、お父さんとはお会いするのは初めてだった。

 

「さあ、うちのパパは怖いから、二、三発は殴られるのを覚悟しておいてね。

 昔、暴走族で総長やっていたそうだから」

 マジか。

 これまでそんな話は聞いたことがなかった。

 

 「いらっしゃい」

 彼女に最寄り駅まで迎えに来てもらって、玄関を開けたら、彼女のご両親が待っていた。

 見たところ、彼女のお父さんは、ダンディーで温和そうに見えるが……。

 

 

 


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