第124話 契約成立
8回の裏の攻撃は、2番の金沢選手からという好打順であったが、三者凡退に終わった。
9回の表は、我らが抑えの切り札、平塚投手が登板し、三者凡退に抑えた。
0対0のスコアレスで迎えた、9回の裏。
打順は5番のブランドン選手からである。
僕は泉選手の代わりに入ったので、7番であり、この回打順が回る。
僕としてはノーアウト二、三塁で打席を回して欲しい。
そうなれば外野フライや、当たりによっては内野ゴロでもサヨナラ打になるかもしれない。
そしたらまたヒーローインタビューだ、とご都合主義的な事を考えていた。
するとフォアボール二つのノーアウト一、二塁で僕に打順が回ってきた。
「違うんだよな」
僕は勝手な事を考えた。
何故ならば……。
釜谷打撃コーチが僕に耳打ちした。
「分かっていると思うが、送りバントだ。
死んでも決めろよ。
失敗したら俺が殺してやる」
一般社会ではこの発言は立派なパワハラだと思うが、体育会系の言語では、「がんばってね」と同義語である。
そうノーアウト一、二塁では僕のような選手にはバントを命じられるのだ。
「サヨナラ勝ちのお膳立てしますから、バントが成功したら奢ってくださいよ」
僕はネクストバッターズサークルの8番の高台選手に言った。
「おう、分かった。お前がバントを成功させて、俺がサヨナラ打を打ったら何でも好きなものを食わしてやる。」
「本当ですね。約束しましたよ」
無事に契約も成立したので、僕は気合を入れて打席に向かった。
本当は自分で決めたいが、チームの勝利のためだ。仕方ない。
ランナー一二塁というのは、バントが難しいシチュエーションである。
良いところに転がさないと、例えばキャッチャーやピッチャーの取りやすいところに転がすと、三塁に投げられてフォースアウトになってしまう。
この場面は相手もバントをしてくると予想して、内野手がダッシュしてくる。
しかも相手ピッチャーは抑えの切り札、村上投手である。
難易度が高いバントになる。
僕は最初からバントの構えをした。
初球、いきなり村上投手の代名詞であるフォークが来た。
凄い落差だ。
だが僕だってプロ。
伊達にこれまで5年間、来る日も来る日もバント練習をしてきたわけではない。
僕は膝を曲げ、体勢を低くし、うまくピッチャーとファーストの間に転がした。
捕球した村上投手は三塁を見たが送球はせず、一塁に投げた。
これでワンアウト二塁、三塁。
「ナイスバント」
ベンチに帰ると、まるでホームランでも打ったように出迎えられた。
チームに貢献できて嬉しい。
僕は役割を果たせた事に安堵して、ベンチに座った。
後は頼みますよ、高台さん。
サヨナラ勝ちを決めて、高級焼き肉を奢ってくださいね。
高台選手は打撃が得意ではなく、しかもピッチャーは球界を代表する抑えの切り札、村上投手である。
村上投手のフォークは分かっていても打てないと言われている。
非力な高台選手としては、とにかく転がすしかないだろう。
初球。
内角へのストレート。
見送ったが、ストライク。
2球目。
同じく内角へのツーシーム。
これも見送ってストライク。
簡単に追い込まれた。
ああ、高級焼き肉が遠くなっていく。
この次の山形選手とは約束していない。
3球目。
村上投手は1球外すか、それともフォークで三振を取りに来るか。
村上投手の高台選手に対する3球目は決め球のフォークだった。
フォークは打ち頃のところからストンと落ちるから、打者としてはストライクと見分けがつかず振ってしまう。
もしフォークを全て見極めることができたら、そのほとんどはボールだろう。
そして落ちないフォーク。
それはいわゆる棒球である。
高台選手も非力とは言え、プロ。
村上投手の落ちなかったフォークを捉えた打球は大きな孤を描いて、センターのバックスクリーンへ飛び込んだ。
一瞬の静寂の後の大歓声。
まさかの高台選手のサヨナラホームランだ。
打った本人も呆然としていたが、やがて走り出した。
チームメイト全員でホームベース付近でサヨナラ勝ちの立役者を出迎えた。
高台選手はこれまで見たことが無いような笑顔で、手荒い祝福を受け入れていた。
そして僕には高級焼き肉が待っている。
ヒーローインタビューが終わり、高台選手がロッカールームに引き上げてくるのを僕は待っていた。
「おう、高橋。どうした」
「ご馳走様です」
「何が?」
「約束しましたよね。
僕がバントを成功させて、高台選手がサヨナラ打を打ったら、何でも好きなものを奢ってくれるって。高級焼き肉でお願いします」
高台選手はにやりと笑って、信じられない事を言った。
「でも俺が打ったのはホームランだから、ランナーが進んでいようといまいと、もっと言うとランナーがいなくてもサヨナラ打だ。
だから今日の勝利にお前のバントは関係ない」
僕は絶句した。
こんなひどいことがあっていいのか。
僕が雨に濡れた子猫のような、悲しそうな顔をすると、高台選手は言った。
「冗談だ。お前がランナーを進めてくれたおかげで、楽な気持ちでバッターボックスに入れたし、村上投手の失投も生まれたと思う。
今日の勝ちにお前の貢献は大きかった。
約束どおり、高級焼き肉でも何でも好きなものを奢ってやる」
「何だ。冗談は顔だけにしてくださいよ」
「やっぱ、やめた。お前は寮に帰ってカップラーメンでもすすってろ。
おい、富岡。高橋の替わりに高級焼き肉行くか?」
「はい、ありがとうございます。喜んでお供させて頂きます」
というようなやり取りもあったが、高台選手は僕と富岡選手に無事、高級焼き肉をご馳走してくれた。
まだまだ負けられない試合が続く。
明日からも頑張ろう。
ちなみに泉選手は打撲ということで、大事には至らなかった。
本当によかった。
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