第92話 今季最終戦
「ところで北岡さん、僕がセーフティーバント決めた後、マウンドで何か言っていましたよね。
何と言っていたのですか?」
「ああ、あの時か。
こんにゃろー。後で覚えてろよ、と言ったんだ。
だから次の打席、初球シュートを内角に投げただろう。
俺、コントロール良いだろう。
ちゃんと当てないように投げたぜ。」
やっぱりそうか。
あの場面で、「後で奢ってやる」と言うわけないか。
それにしても当てないように内角ギリギリにシュートを投げるとは凄い技術だ。
引退した三田村なら当てようとしなくても当たってしまったのに。
「いやあ、高橋のお陰で打点がついたな。感謝、感謝」と高台さん。
そりゃそうだろう。
空振り2回と浅いライトフライで打点がついたのだ。
高台さんにしてはラッキーだったはずだ。
「しかしこの肉、うまいっすね。さすが松坂牛。」と杉田投手。
プロ初先発で炎上したら、普通は数日は落ち込むのではないか。
僕なら二、三日はずっと練習場に籠もるだろう。
凄いメンタルだ。
「今日は勝ち投手となった北岡の奢りだ。好きなだけ食え」
「おい、俺とお前のワリカンだろ」
「お前は敗戦で傷ついている俺から、金を巻き上げようというのか」
「人一倍食っといて、どこが傷ついているんだ。
まあ、いいや。その替わり、次の対戦の時、打つなよ。
と言っても、どうせ打とうとしても打てないか。ハハハ」というように、宴は和やかに終わった。
言葉には出さなかったが、北岡さん、高台さんは落ち込んでいるであろう、杉田投手を激励するためにこの宴を設けたのだろう。
ホテルへの帰り、僕と杉田投手は同じタクシーで帰ったのだが、さっきまで饒舌だった杉田投手は無口になり、ずっと額に手を置いて外を見ていた。
よく見たら、杉田投手は涙を流していた。
そうか。
明るく振る舞っていたが、折角のチャンスを逃して、悔しく無いわけはない。
僕は見なかった振りをして、反対側の窓を見つつ、寝たふりをした。
9月も終わり、ペナントレースも最終盤となった。
残り1試合となった時点で、泉州ブラックスは静岡オーシャンズに1ゲーム差をつけた3位に付けていた。
静岡オーシャンズは黒沢選手の加入で打線は厚みを増したが、投手陣があまり良くなかった。
エースの杉澤投手は昨年は13勝8敗と貯金を5つ作ったが、今シーズンは、ここまで9勝10敗と一つ負け越しており、あまり調子が良くなかった。
チーム最終戦に登板し、3年連続の二桁勝利を狙うようだ。
泉州ブラックスは、静岡オーシャンズが東京チャリオッツとの最終戦に負けるか、中京パールスとの最終戦に勝つか引き分けると、クライマックスシリーズへの出場が決まる。
そんな大事な試合で、僕はスタメン出場……、するはずもなく、今日もベンチ警備を命じられた。
まあ一日ベンチで座っているだけで、6万円も貰える。
ありがたや、ありがたや……、とは全く思わない。
僕は野球選手だ。
試合に出て、ナンボだ。
今日のセカンドのスタメンは、トーマス。
昨年の不調が嘘のように打ちまくり、打率.310、ホームラン22本と黒沢選手の抜けた穴をしっかりと埋めていた。
僕はここまで29試合に出場し、15打数4安打、打率.267、ホームラン1本、打点3、盗塁6(盗塁死2)であり、出場試合数は昨年の9試合から3倍以上に増加していた。
最終戦に出場すれば、キリ良く30試合になるのにな、と思って時々、朝比奈監督の方を見た。
試合は6回を終えて、1対1の同点だった。
7回の表、ワンアウトからトーマスが四球で出塁した時、僕の視線に気づいたのか、朝比奈監督が溜息をつきながら言った。
「しょうがない、高橋、行け」
待ってました。
僕はスライディンググローブを手にはめて、喜び勇んでベンチを飛び出した。
やった、これで一軍出場、30試合だ。
バッターは4番の岡村選手とあってベンチのサインは「好きに打て」だった。
岡村選手は打点王を黒沢選手と争っており、一つ差で負けている。
ここは打点を稼ぎたいところだろう。
中京パールスの投手は38歳のベテランの今井投手。
プロ2年目、僕が代走で出て、牽制球で刺された相手だ。(作者注:第28話)
二度と同じ轍は踏まない。
僕は1塁上で屈伸をしながら、気合を入れた。
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