第70話 それいけ、静岡オーシャンズ

「よお、久し振り。何か色々と大変だったみたいだな」

 飯島さんは僕を見つけると、手を上げて近づいてきた。

 1年ぶりに見る飯島さんは、血色も良く、ちょっとふっくらしたようにも見えた。


 今日は杉澤さんがドラフト同期皆に声をかけて、僕の送別会を開いてくれたのだ。

 飯島さんにも声をかけたところ、わざわざ静岡まで来てくれたのだ。

 僕と飯島さんは駅前で待ち合わせていた。

 

「はい。激動の1年でした」

 振り返ると、オープン戦でのホームスチールから始まり、プロ初ヒット、初タイムリー(記録の修正の結果だが)、そしてまさかの人的補償での移籍。

 この1年間で本当に色々あった。

 

「飯島さんは今は何されているんですか」

「おう、俺は退団時は野球以外の事をやろうと思っていたが、元いた社会人野球のチームから、コーチとして声がかかってな。

 正社員として働きながら、野球部コーチをやっているよ。

 やはり俺は野球からは離れられないようだな」

 元いたチームから声がかかったのも飯島さんの人徳だろう。

 

「新しいチームにはもう行ったのか?」

「はい、先日ご挨拶に行き、記者会見もやりました。

 単独での会見は初めてだったので、めっちゃ緊張しましたよ」

 そう、泉州ブラックスの事務所に行くと、大勢のマスコミの方がいて、僕は新しいユニホームを着て、記者会見をやった。

 ドラフト指名時は、山崎、平井と一緒だったし、入団会見は7人もいたので、単独での会見は初めてだった。

 人的補償ということで、マスコミの関心も高かったようで、プロに入って一番目立ったかもしれない。

 

 背番号は58。

 チームからは27、32、36を提示されたが、僕は58にこだわった。

 真新しいユニホームに身を包むと、不思議と嬉しさ、やる気がこみ上げてきた。

 泉州ブラックスのユニホームは黒を基調としており、スタイリッシュである。

 胸にはチームキャラクターの黒鷲のワッペンが縫い付けられている。

 

 僕と飯島さんは会場の店に向かった。

 杉澤さんは今や押しも押されもせぬ、静岡オーシャンズのエースであり、静岡では有名人だ。

 もし静岡の街中にいると、ファンに囲まれてしまう。

 だからちょっと奥まったところにある料亭を予約してくれたのだ。

 ちなみに費用も杉澤さんが全てもってくれるとのことだ。

 本当にありがたい。


 店に着くと、女将が会場に案内してくれた。

 中に入るともう既に全員同じ来ていた。

 杉澤さん、竹下さん、原谷さん、谷口、三田村、そして僕と飯島さんの7人だ。

 

「しかし、黒沢さんがうちのチームを選ぶとはな。

 てっきり東京チャリオッツで決まりと思っていたけどな」と杉澤さん。

「あれくらいになると金よりも、夢なんだろうな。

 スギからすると、打線もバックも強化されたから投げやすいだろ」と竹下さん。

「そうですね。隆には悪いが、黒沢さんの加入で、うちのレギュラー内野陣はどこのチームにも負けない布陣になる」

 確かにファースト清水選手、セカンド黒沢選手、ショート新井選手、サード戸松選手の内野陣は、打撃でも守備でも12球団屈指のメンバーとなった。

 この中に割って入るのは至難の業だろう。

 

「そういう意味では隆は良かったと思うぞ。

 泉州ブラックスはメンバーが固定されていた分、控えの層が薄い。

 だからこのまま静岡オーシャンズにいるよりも、一軍出場のチャンスは多いんじゃないか」と杉澤さんが僕の方を向いて言った。

「はい。ブラックスの朝比奈監督からもそのように言われました。

 後、足にも期待していると」


「住むところは?寮か?」と原谷さん。ちなみに原谷さんは12月一杯で寮を出て、1人暮らしを始める。

「はい、中を見せて貰いましたけど、新しくて立派でした。

 和歌山県にありますけど、二軍球場も隣接しているし、一軍本拠地からも近いので良い環境だと思います」

 

「彼女の家からも近いんだろう」と三田村が嫌らしい笑みを浮かべて言った。

「ああ、例の熊のぬいぐるみの彼女か」と飯島さん。

「はい、こいつまだ毎週ユニホームを着せ替えてるんですよ」

「おい、来年のプロ野球選手名鑑には、変なこと書かせるなよな」

 ある出版社の選手名鑑だけ、いつも僕の趣味の欄に変なことが書かれている。

 どうやら三田村がその出版社の記者と懇意にしており、けしかけているようだ。

「大丈夫だ。来年は本当の事を書いて貰う」

「何と書かせるんだ」

「趣味は、彼女とお医者さんごっこをすること」

「今すぐ電話して直させろ」

 

 最後に皆で静岡オーシャンズの球団歌、「それいけ、静岡オーシャンズ」を肩を組んで歌った。


「煌めく朝日と太平洋

 我らが集うはオーシャンズ

 歴史を胸にいざ進め


 鋭い魔球が打者を切る

 輝く打球が宙(そら)を跳ぶ


 ダイヤのような堅守を誇り

 疾風(はやて)のように塁を駆る


 進め、我らのオーシャンズ

 オーシャン、オーシャン、オーシャンズ

 それいけ、静岡オーシャンズ」

 

 よし、来年からは新しいチームだ。

 心機一転頑張ろう。

 


 

 

 

  

 

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