第38話 オープン戦今季初出場
東京なら三月中旬を過ぎれば、そろそろ桜の季節だが、札幌はまだ雪が残っていた。
気温もまだ寒く、外を歩くにはコートが必要だ。
初めて北海道に来たので、用意をしていなかった。迂闊だった。
もっとも札幌ホワイトベアーズの本拠地のどさんこスタジアムはドーム式であり、空調も効いているので、球場の中にさえ入ってしまえば、快適だ。
初めて来たが、12球団の本拠地では一番新しく、天然芝で選手に取って、プレーし易い良い球場だと思う。
もっとも一軍はリーグが異なるため、この球場でプレーするのは交流戦と日本シリーズくらいだ。
(二軍は同じリーグだが、二軍の本拠地は北海道では無く、茨城県にある)
一軍に合流して早速、君津監督を初め、一軍の首脳陣に挨拶し、また各選手にも挨拶して回った。
同期入団選手で、一軍に残っているのは、杉澤投手、竹下外野手、そして谷口の3人である。
特に谷口はオープン戦10試合で既に3本のホームランを打ち、初の開幕一軍に向け、順調に調整していた。
「よお、やっと来たか。遅かったな。」と竹下さん。
「もう落ちないように頑張れよ」と杉澤さん。
「旅行か?」と谷口。
首絞めてやろうか。次二軍に落ちるときは、お前も道連れにしてやるからな。
僕も高卒とは言え、既に三年目である。
ドラフト下位入団ということを考えると、そろそろ一軍で爪痕を残さないと、今シーズン後に戦力外とになる可能性もある。
プロに入って痛感したのは、誰もが一つはこれだけは誰にも負けないというものを持っている、ということだ。
僕にとっては、それは足だろう。
少なくとも一塁から二塁に走る速さだけは誰にも負けないようにしなくてはならない。
そのためには速さだけでなく、リードの仕方、牽制球時の帰塁、スライディングなど、技術も磨かなければならない。
後は守備だ。
守備は飯田さんといういいお手本がいる。
飯田さんに追いつけ、追い越せという意識でやらないと、いつまでたっても一軍定着は覚束ない。
この日の試合、セカンドは飯田さんだった。
シーズンに入れば、打撃で勝る外国人のトーマス・ローリー選手がレギュラーになるのだろうが。
そして試合は2対6とビハインドの場面で8回の表を迎えた。
先頭打者は7番の飯田さん。
今日は3打数ノーヒットだ。
ここで代打にトーマス・ローリー選手が送られた。
すると市川ヘッドコーチが僕の方に来て、「高橋。トーマスが出塁したら代走だ。
もし出塁しなくても、次の回からセカンドだ。準備しとけ。」と言った。
待ってました。
そしてトーマス・ローリー選手はヒットを打った。
ようやく、僕の出番がやってきた。
いつでも行けるように、5回くらいから準備をしていた。
僕の脳裏には、昨シーズン最終戦の事が浮かんでいた。
盗塁のサインが出ていたが、牽制球でアウトになってしまった。
それ以来、ビデオで色んな投手の牽制球を研究をしたり、練習試合でもあえてリードを大きくして、牽制球受けて帰塁の練習をしたりして、この日に備えてきた。
盗塁を狙って、牽制球でアウトになるくらいなら、盗塁しない方がまだマシだ。
僕は勇んで一塁に向かった。
「一塁ランナー、トーマスに変わりまして、高橋隆。背番号58。」
球場アナウンスが流れた。
ノーアウトのランナーだが、4点も負けている。
ここはランナーを溜めて、上位打線に繋いで行きたいところである。
よって盗塁のサインは…。
でた…。しかも初球から。
相手は札幌ホワイトベアーズの中継ぎエースの大東投手である。
球界でもクイックと牽制球が上手くて有名である。
そしてキャッチャーはこれまた球界屈指の強肩、武田捕手。
「マジかよ…。」
僕は心の中で思った。
だが練習の成果を試す良い機会ではある。
しかもサインプレーなので、失敗しても僕のせいじゃないさ。
そう思うと気分が楽になった。
打者は8番ショートの勝山さん。バントなどの小技には定評がある。
僕はリードを大きく取った。
案の定、牽制球が飛んできた。
セーフ。
集中力を切らさないことが大切だ。
次もリードを同じくらい大きく取った。
また牽制球が来た。
セーフ。
帰塁に意識が行っていると重心を二塁側に、盗塁に意識が行っていると、一塁側にそれぞれ置いてしまう。
逆と思うかもしれないが、どうしても踏ん張る方の足に重心が行ってしまうのだ。
経験豊富な良いピッチャーやキャッチャーはそれを見て、牽制球や投球のタイミングを見定めるそうだ。
だから僕はなるべく両足に等しく体重がかかるように、意識している。
大東投手はセットポジションに入り、もう一度僕の方を見て、バッターの勝山さんに投球した。
それと同時に僕はスタートした。
絶好のタイミングでスタートを切れたと思った。
ところが武田捕手は捕球するとほぼ同時(少なくとも僕にはそう感じた)に、二塁に投げてきた。
僕は二塁手前からスライディングをした。
送球は測ったように、二塁ベース上のショートのグラブに吸い込まれた。
そしてタッチに来た。
僕の足が速いか、タッチが速いか。
僕は二塁審判を仰ぎ見た。
迷っているのか、少しの間があった。
「セーフ」
僕は安堵した。
これ以上無いくらいの絶好のスタートを切り、途中もうまく加速し、スライディングも綺麗に決まったと思った。
これでもギリギリセーフなのか。
やはりプロは恐ろしくレベルが高い。
いずれにせよ経験豊富なバッテリーから盗塁を決めたことは自信になる。
僕は二塁上から、再びベンチを見た。
またしても盗塁のサインが出た。
嘘でしょう?
僕はサインを間違えているのでは無いだろうか。
三塁コーチャーに確認の合図を送ると、間違いなく盗塁のサインのようだ。
マジか…。
僕はまたリードをした。
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