第29話 それぞれの秋
二年目のシーズンが終わった。
僕の成績は、一軍では2試合出場、1打数ノーヒットの打率.000、守備機会1、盗塁0、盗塁死1だった。
(二軍では、56試合打率.222、ホームラン0、打点13、盗塁16)
課題は山積みだが、一軍の舞台を経験できたことは良かった。
一軍の待遇は二軍とはまるで違う。
ホテルのランクも違うし、試合前の食事(ビュッフェ形式)の種類や質も違う。
金銭面でも一軍に登録されていると、一軍最低保証年俸1,600万円と僕の年俸450万円の差額1,150万円を150日で割った金額が登録日数分支給される。
つまり僕の場合は、一日に約7.7万円支給される。
僕は結局6日間登録されていたから、40万円以上の臨時収入だ。
そういう点でも一軍を経験できたことは良かった。
モチベーションアップになる。
さてシーズン最終戦も終わり、僕は、宮崎フェニックスリーグへの参加メンバーに選ばれた。
それは10月中に開催される若手主体のリーグで、日本国内の独立リーグの選抜チームも参加する。
宮崎への出発前夜、一ヶ月近く遠征となるので、僕は寮で荷造りをしていた。
すると23:00頃、コンコンとドアが叩かれた。
三田村ではないな。三田村であればノックなどせず、いきなりドアノブをガチャガチャと回す。
だから最近は部屋に鍵をかける癖がついた。
「今開けますね。」僕はドアを開けた。
そこにいたのは飯島投手だった。
「よお、ちょっといいか。」
「どうしたんです。こんな時間に珍しいですね。」
「おお、ちょっと話があってな。」
「そうですか。どうぞ、散らかっていますが、入ってください。」
と僕はベッドサイドの椅子を勧めた。
最近は三田村の専用席になりつつあるが、三田村は背が高いのでもっと足の高い椅子を買えと言われている。
何でお前のために椅子を買わなきゃならんのだ。
せめて自分で買って持ってこい。
飯島投手は椅子に座って、缶コーヒーを差し出した。
「ありがとうございます。」と受け取り、プルタブを開けて口をつけた。無糖だった。
「宮崎フェニックスリーグへの準備か。」
「はい、約一ヶ月なので、どうしても荷物が多くなってしまうんですよね。」
「熊のぬいぐるみは持って行くんだな。」
「ええ、一応。」
荷物にはなるが、持って行かないと彼女に怒られる。
毎日1回、熊のぬいぐるみとの写真を送ることになっているのだ。
「ところで話ってなんですか?」
「あ、ああ」と飯島さんが話しかけた時、三田村が入ってきた。
相変わらず間の悪い奴だ。
飯島さんが入ってきた時に鍵を閉めるのを忘れていた。
「隆、これ俺の代わりに持って行け。」
三田村は部屋に入ってくるなり、僕に長さ20㎝くらいのぬいぐるみを差し出した。
静岡オーシャンズのチームマスコットのイルカがユニフォームを着ており、何故か三田村の背番号が刺繍されている。
「やだよ。荷物になる。」
「折角特注で作って貰ったんだから、俺の代わりだと思って持って行ってくれ。」
気持ち悪いことを言うな。
三田村は春先の手術からのリハビリを終え、最近ようやく短いキャッチボールはできるようになったばかりだ。
だから今回は二軍施設で調整となっている。
「こんなものをわざわざ特注で作らせたのか。」
僕は嘆息し、グッズを作っている会社に同情した。
背番号が無ければ、可愛いぬいぐるみだが、三田村の背番号が入っているので、タダでも欲しがる人はいないだろう。
全部、お前が買い取ったんだろうな。
「あれ?、飯島さん、珍しいですね。どうしたんですか。」そこで初めて三田村は飯島さんの存在に気づいた。
「おお、丁度いい。お前も聞いてくれ。」
飯島投手はおもむろに用件を切り出した。
「実は明日、球団事務所に呼ばれた。」
「え?」
「はい?」
このタイミングで球団事務所に呼ばれるということはもしかして…。
「戦力外だろう。」
飯島投手は缶コーヒーを飲み干した。
「正直、覚悟は出来ていた。年齢的にもな。」
「トレードかもしれませんよ。」
「自分の実力は自分が一番分かっているさ。
悔しいが、俺の今の力ではプロでは通用しない。」
「でも…、まだ二年目ですし。」
「いや、俺は年齢的にも即戦力になることを期待されての入団だ。だから正直、覚悟していた。」
「…」
僕も三田村も沈黙した。
何と言えば良いか、言葉が浮かばなかったのだ。
「8月に一軍で登板した際に、俺の球が一軍では通じないことが、はっきりと思い知らされた。」
飯島さんはそこで言葉を切って、窓の外を見た。
そして視線を戻し、話を続けた。
「投げる球、投げる球、ほとんど全てバットの芯で捉えられた。
飛んだ方向が良かったり、あまりに絶好球過ぎて見逃してもらえたり、という幸運にも助けられた。
正直、5回で6失点で済んだことすら、奇跡だったと思うよ。しかも勝ちまでついたし。」
僕らはやはり何も言えず、黙ってしまった。
「だから俺は例えクビにならなくても、年齢的にも今年で辞めるつもりだった。
来年は30歳だしな。」
僕は二軍に降格してからも、変わらず一生懸命練習していた飯島さんの姿を思い出した。
「俺は最後の最後までプロ野球選手として、全力を尽くそうと思っていた。
例えもう一軍に上がれなくても、金を貰って野球をやらせてもらっている以上、当たり前の事だがな。」
「これからどうするんですか。」
ようやく僕は口を開いた。
「そうだな。野球は目一杯楽しんだから、違うことをするかな。
5歳で野球を始めたから、約25年か。
楽しいことばかりだったな。
高校、大学ではあまり活躍できなかったが、社会人野球、アメリカのマイナーリーグ、日本の独立リーグ、そしてプロ野球を経験できた。いい野球人生だったよ。」
僕らはやはり何も言えず、黙っていた。
飯島さんは続けた。
「悲しむことはないさ。
職業としての野球は終わりだが、明日からは趣味としての野球は続ける。
しかも間違いなく、一般の人よりはうまい。
俺は俺の野球をこれからも楽しむよ。
愉快なチームメートと過ごしたこの二年間は、俺にとって何よりも宝物だ。」
三田村が口を開いた。
「でも、あれだけがんばったのに…。」
飯島さんは僕らのような若手に混じって、誰よりも負けないくらい質、量共に練習をしていた。
「努力は必ずしも報われなかったかもしれない。
でも俺は努力したことを後悔はしない。
自分が最大限やりきったか。
結果はそれを肯定しない。
だが、これだけは言える。
お前らのお陰で、最後に良い形で野球人生を締めくくることができたよ。
俺の野球での夢はここで終わりだ。
明日からは別の夢を見つけるさ。
そんな顔をするなよ。
俺の新しい門出だぜ。
笑って送り出してくれよ。」
僕と三田村は自然と涙を流していた。
「お前ら。本当にありがとな。
楽しかったぜ。
これからはお前らの活躍を新聞やテレビで見させてもらう。」
そして飯島さんは僕の方を向いた。
「隆。一軍デビューおめでとう。お前は時間はかかるかも知れないが、きっといい選手になる。俺が保証する。」
今度は三田村の方を見て言った。
「そしてミム。お前は天賦の才能を持っている。
正直、お前の才能が羨ましかった。
焦らず肩を治して、またあのストレートを投げてくれ。」
飯島さんは僕と三田村と握手をした。
分厚い大きな手だった。
「じゃあな。隆、フェニックスリーグ頑張れよ。
ミム。明日の散歩寝坊するなよ。今朝もサボっただろう。」と言いながら、飯島さんは部屋を出て行った。
僕はそれを呆然と見送りながら、三田村の持ってきたぬいぐるみをゴミ箱に捨てようとした。
「おい。捨てるな。」
三田村はそれをひったくって、部屋を出て行った。
きっと三田村もこれ以上、人に涙を見せたくなかったのだろう。
同じ投手として、僕よりも飯島さんと過ごした時間は長いはずだ。
僕は窓の外の月を見た。
僕だってこのままでは、いつ戦力外になってもおかしくない。
頑張らねば。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます