第23話 プロとしての矜持
5回の表は下位打線、七番今中選手からの攻撃だ。
ワンエンドツーからの高めのボール球に手を出した打球は、フラフラとセカンドの後方に上がった。
セカンドは外国人のトーマス・ローリー選手である。
我が静岡オーシャンズの本拠地、駿河オーシャンスタジアムは風の影響を強く受けることで有名である。
トーマス・ローリー選手は懸命に下がったが、グラブに当てて落球してしまった。
スコアボードにはエラーのランプが灯った。
これでノーアウト二塁である。
思いがけずピンチを迎えた。
次は非力な八番捕手の高台選手だが、点差が開いていることもあり、バントはせず、ヒッティングの構えをした。
ツーボール、ツーストライクからの5球目はファールとなり、勝負の6球目、今度はサード後方にフラフラと打球が上がった。
打ち取ったと思った。
だが、無情にもボールはサードとショートとレフトの真ん中に落ちた。
いわゆるテキサスヒットである。
これでノーアウト一、三塁。
大ピンチだ。
津田沼ピッチングコーチが出てきたが、点差が開いていることもあり、続投のようだ。
次の9番山形選手は、ノーボール、ツーストライクからの4球目をショート後方へ打ち上げた。
さすがにこれは捕れる。
ショートの新井選手が難なくボールを掴んだ。
これでワンアウト一、三塁となり、打者は嫌らしい一番打者の岸選手だ。
フルカウントからファールで粘られ、7球目だった。
真ん中に入ったスライダーをジャストミートされた。
やばい、と思ったが打球はセンターの真正面だった。
これでは三塁ランナーは動けない。
よし、これでツーアウト。
あと一人打ち取れば、5回を投げきったことになり、勝ち投手の権利を持ったまま降板できる。
次は二番打者の額賀選手である。
このバッターも粘っこい打撃をするし、ツボに填まれば長打力もある。
やはり粘られ、9球目でフォアボールとなった。
これでツーアウトフルベースである。大ピンチだ。
そして迎える打者は強打者の黒沢選手。
広角に打て、しかも長打力もある。足も速く、守備も肩も水準以上である。
いわゆる5ツールプレイヤーというのか。
僕は将来的には黒沢選手のような選手になりたい。
今の僕はまだ守備と走塁がそこそこで、それ以外は絶賛修行中の1ツールプレイヤーだ。(守備0.5、走塁0.5と計算)
マウンドに内野手が集まった。
ここでピッチングコーチが出てきたら交代だが、出てこなかった。
点差もあることから、飯島投手にチャンスを与えたのだろう。
さて大ピンチで強打者を迎えた飯島投手だが、表情はこれまでと変わらず、淡々としているように見えた。
さすが経験豊富な投手だ。
飯島投手は初球は、外角低めへのスライダー。
ギリギリの所に決まった。
ストライクワン。
このボールがストライクかボールかでは、天と地くらいの差がある。
次のボールは、内角高めへのカーブ。
ここでこのような球を投げられるのは、凄い度胸だ。
だがコースは僅かに外れ、ボール。
これでワンエンドワン。
3球目は外角低めへのストレート。
黒沢選手は見送り、ボールのコール。
ツーエンドワンである。
四球を出すと押し出しで1点失うのは勿論のこと、次はホームランバッターの岡村選手、更にその次は既に2本のホームランを打たれているブランドン選手とあって、何としてもここでこの回を終わらせたい。
次のボールは真ん中高め目へのストレート。
黒沢選手は強振したが、ファースト後方へのファール。
これで追い込んだ。
ツーボール、ツーストライク。
そして5球目だった。
外角低めへのスライダー。
ストライクゾーンギリギリのボールに、黒沢選手は踏み込んで来た。
バットが上手くボールの下に入った。
打球はレフトに飛んだ。
レフトの西谷選手は俊足である。懸命に打球を追った。
取ってくれ。
僕らは祈った。
だが打球は西谷選手の懸命に伸ばしたグラブの上を越した。
球場、そしてテレビ前の僕らの間でも悲鳴が上がった。
そしてクッションボールの処理に戸惑っている内に、走者が全員ホームに帰ってきた。
打った黒沢選手は三塁を狙ったが、中継プレイでアウトになり、5回の表が終了した。
これで9対6。
飯島投手は勝ち投手の権利を手にしたが、5回6失点、打たれたヒット6本、四球1つである。
エラーも絡んでいるので、自責点は3点だが、これをチームはどう評価するだろうか。
「うーん、厳しいな。」と原谷さん。
四人とも黙ってしまった。
数字以上に打たれた印象だ。
ところどころ良いボールもあったが、味方の好捕や、打球が野手の真正目に飛ぶ幸運にも助けられて、何とか6失点で済んだという印象だ。
結局、飯島投手は5回で降板し、試合は11対8で静岡オーシャンズが勝利した。
勝ち投手は飯島投手。
勝利の後、テレビ画面に映った飯島投手は険しい顔つきをしていた。
恐らく今日の投球内容がどうだったか、一番飯島投手自身が分かっているだろう。
翌日、飯島さんは一軍登録を抹消された。
そして午後、2軍の練習場に飯島さんは姿を現した。
そして僕らの姿を認めると近づいてきた。
何て声をかけたら良いのだろう。
飯島さんが近くに来たとき、三田村が口を開いた。
「飯島さん、お疲れ様でした。」
「おう、お前ら。テレビ見てくれていたか?」
「はい。見てました。」と原谷さん。
「やっぱり一軍選手は凄いな。全部の球をジャストミートされた気がしたよ。」
僕らは黙って話を聞いていた。
「まあ、でも2勝目を上げられたのは良かったよ。プロでの良い思い出になった。」
僕らはハッとした。
飯島さんは今年で辞める気なのか。
飯島さんはそんな空気を察したのか、「いやいや、俺からは辞めないよ。俺が辞めるのは球団から、戦力外通告を受けたときだ。
その瞬間までは俺は必死に投げ続けるさ。
例え次回の登板が無くても。」
そしてその言葉どおり、その日から飯島さんは練習を再開した。
でも僕らには分かっていた。
飯島さんは僕らの前では悔しさを押し殺し、気丈に振る舞ったのだ。
そして次回の登板があるか分からないが、一生懸命練習することで、僕らにプロとしての矜持を伝えようとしてくれているのではないか。
僕は飯島さんの練習する背中を見て、そう思った。
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