第10話 僕のファン第一号

 秋季キャンプ(僕ら6人にとっては地獄の谷津キャンプ)が終わり、チームの公式行事はファン感謝デーと納会を残すのみであり、ほとんどオフとなった。

 一流選手であれば、一年間戦い抜いた体のオーバーホールをするために、温泉とか海外のリゾート地とか行くのだろうが、僕はそんな立場ではない。そもそもお金も無い。

 だから僕は球団の寮に居座って、自主練習を続けていた。

 寮は快適だ。三食、栄養士が考えたバランスの良い食事を食べられる。きれいな風呂にも入れる。


 いつものように午前中の自主練習を終え、昼食を食べに寮に戻ろうとした時のことであった。

「あのー、高橋選手ですか?」

 三十代くらいの女性に、寮の前で声をかけられた。

 あまり化粧気はなく、地味な服装だが、清楚な雰囲気の小柄な可愛らしい女性であった。

 プロ野球選手としてユニフォームを着て歩いていると、時々ファンに声をかけられたり、サインを求められる事がある。

「よぉ、兄ちゃんサインくれるか。」というように。

 そして色紙にサインすると、

「ところで兄ちゃん、何て選手なんや。」と言われる事も日常茶飯事である。

 そういう人は別に僕のサインが欲しいのではなく、単にプロ野球選手のサインが欲しいのだろう。

 稀に僕を知った上で、僕のサインを欲しがる人もいるが、その場合も新入団選手のサインや、静岡オーシャンズの選手のサインを集めている人であり、僕のサインが是非欲しい、ということで求められる事は滅多に無い。

 

「その節はお世話になりました。」

 どの節だろう。あまり人にお世話した記憶は無い。

 多くの人にお世話にはなっているが。

 ただこの女性にはどこかで会った記憶がある。

 そんなに遠くない時期。つまりここ一年位の間。

「すみません、どこかでお会いした記憶はあるのですが、ちょっとはっきり覚えていなくて。」

 僕は率直に答えた。

 その女性は微笑み、「そうだと思います。半年前の事ですから。」

 半年前、半年前。

 やはり思い出せない。

「四月に息子がユニフォームにサインをして頂きました。」

 それを聞いて、思い出した。

 そうだ。確かに半年くらい前、僕の背番号が入った子供用のユニフォームを着た、小学校低学年くらいの男の子にサインをした。

 球団のグッズショップでは一応僕の背番号のユニフォームも売っている。

 売れ行きは超芳しくないらしく、まだ三枚しか売れていないそうだ。

 だから僕のユニフォームを着ているファンにその時、初めて会った。

 サインをするとその子はとても喜んでくれ、僕もとても嬉しかったことを覚えている。

 小柄な少年でなぜか鼻にチューブを付けていた。

 確かに近くにこの女性がいた。

この女性はその子のお母さんか。

「思い出しました。僕のファン第一号の方のお母さんですね。」

 その女性の顔はぱっと明るくなった。

「そうです。思い出して頂けて、嬉しいです。」

「すみません。すぐに思い出せずに。あの子は今日は来ていないんですか?」と聞いた。

 するとその女性の顔は急に曇り、哀しそうな顔に変わった。

 そして目から涙が流れ、ハンカチで拭きだした。

 僕は彼女が落ち着くまで、じっと待っていた。

「すみません…。泣かないつもりだったんですけど…。あの子は先日亡くなりました…。」

 亡くなった?

 どういうことだ。

 あの時、「僕のファン第一号だね」と言ったら、とても嬉しそうにしていた。

 あの子が亡くなったというのか。

「あの子は生まれつき病気で、長くは生きられないと言われていました。

 あの子は主人の影響で物心がついた時から、静岡オーシャンズのファンで、とにかく静岡オーシャンズの試合をテレビで見たり、グッズを集めるのが好きでした。

 病室も静岡オーシャンズのグッズだらけだったんです。」

 そこでお母さんかは、一枚の写真を見せてくれた。

 それは病室の写真で、確かに静岡オーシャンズの旗とか、マスコットキャラクターのぬいぐるみだとか、写真とか沢山飾られていた。

 僕がサインしたユニフォームを着て、ベッドに座った子供が上半身だけを起こして、ピースをしていた。

 母親は話を続けた。

 「今年の1月、病室でファンブックを熱心に見ていたあの子が、急に顔を上げて私にこう言いました。

「ねえ、おかあさん。今年、背番号58の選手が入ったんだって。高橋隆介選手っていうんだよ。」って。

 私はあの子が差し出したファンブックを覗き込みました。

 あの子にとって、58という番号は特別な意味があったんです。

 あの子は5月8日生まれだったんです。

 だけどここ数年、静岡オーシャンズで背番号58を付ける選手がいなくて残念に思っていたところ、今年から高橋選手が付けることになって、息子はとても親近感を感じていました。

 だから新入団選手のグッズが売り出されてすぐに、主人が高橋選手のグッズを買い集めてきました。

 そして息子の求めで、高橋選手に関する高校時代の雑誌や新聞記事を集めてきたら、息子はそればっかり何度も読んでいました。」

 確かに山崎や平井のお陰で、僕の母校は、マスコミに取り上げられる事が多かった。

「そして、今年の四月。お医者さんから、少しであればという条件で外出の許可を貰ったんです。

 あの子にどこへ行きたいかを尋ねたら、何よりも高橋選手に会いたいとの事でした。

 だからあの日、息子とここに来たんです。」

 思い出した。あの日もこんな風に突然、声をかけられた。

 僕は僕のユニフォームを着ているのを見て、とても嬉しくなってユニフォームにサインをした他、手に持っていたバットにもサインをして渡した。

 するとその子は飛び上がらんばかりに喜んでくれた。

「あの子は亡くなる直前まで、頂いたバットを抱きしめて寝ていました。

 そして、あの子が亡くなった時、サインして頂いたユニフォームを着せてやり、そして高橋選手には申し訳ないと思ったのですが、棺にバットを入れてやりました。

 あの子はベッドの上でいつもスケッチブックに絵を書いていましたが、その中にはこんな絵が残っていました。」と言って、スケッチブックから切り取った一枚の絵を見せてくれた。

 それは色鉛筆で描いた絵で、青いユニフォームを着た選手がボールを打った場面だった。

 よく見ると、背番号のところに58と書いてあった。

「あの子が高橋選手の活躍を想像して、書いたみたいです。」

 残念ながら実際には二軍でもまだこんなシーンは無い。ボテボテのゴロで必死に走って内野安打としたシーンなら何度かあるが。

「そこで不躾なお願いで恐縮ですが、この絵を貰ってやってくれませんか。きっとあの子は高橋選手に渡すことを夢見て書いたんだと思います。」

「僕なんかが頂いていいんですか。息子さんの大事な形見じゃないんですか。」

「もしご迷惑でなかったら、是非貰ってやってください。

 そして記憶の片隅で結構ですので、あの子の事を覚えておいてやって頂けないでしょうか。」

「もちろんです。だって僕に取って、プロ野球選手になってのファン第一号です。絶対に忘れません。」

 僕は絵を受け取り、大事にバッグにしまった。

「ありがとうございます。あの子はきっと天国で高橋選手の活躍を祈っておりますわ。頑張って下さいね。」

 そう言って、頭を下げ礼をして、彼女は去って行った。

 その後ろ姿を見ながら僕は誓った。

 決して忘れるものか。

 僕の大事なファン一号だ。

 プロに入るまでは、基本的に僕自身だけのために野球をやっていた。

 だけどプロ野球選手としての僕には、僕の活躍を励みにしている人がきっといる。

 今はとてもとても少ないだろうけど。

 そしてその人数は僕が活躍すればするほど増えていくだろう。

 プロ野球選手は夢を与える職業なのだ。

 僕は改めてプロとしての責任のようなものを感じた。

 

 

 



 

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