深夜ライブ

杜右腕【と・うわん】

第1話 ライブハウス「クルアハン」

 池袋の片隅。

 繁華街を抜けた場末の雑居ビルの地下にひっそりとある、知る人ぞ知るライブハウス「クルアハン」。50人も入れば満員になる狭いホールの片隅にあるバーカウンターで、代表の平坂ひらさか征生ゆきおは、ドリップコーヒーを淹れていた。

「ただで貸せって言われてもねえ」

 カウンターの椅子に掛ける二人の若者に淹れたてのコーヒーを出し、自分もカウンター内のスツールに腰掛けた。

 元々広くない上に、バーカウンター部分以外の明かりを全て落としているので、まるで狭い密室のような空間に、コーヒーの香りが広がる。

「営業終了後の夜中、一日だけで良いんです! お願いします!」

 カウンターに手を突いて頭を下げるのは、若手お笑いコンビ「スティックス」の一人、枝村えだむら翔太しょうた。ひょろりと背が高く馬面な彼が何度も何度も繰り返し頭を下げる様子は、まるでその昔流行した平和の鳥のようであった。その隣で相方の薪田まきた慎吾しんごも、ずんぐりむっくりな身体を縮めるように頭を下げている。

 平坂は、一つ大きな溜め息を吐くと、右手で頭を掻いた。

「で、誰に聞いた?」

 一見繋がらない会話のようだが、二人には通じたようで、薪田が顔を上げた。

「先輩の……タイザンズの熊野さんです」

 タイサンズは以前クルアハンでバイトしていたこともあり、良く知っている。今はテレビで引っ張りだこの人気コンビだ。あいつらが教えたと云うことは、きっとこの二人にそれだけの才能を見出だしたのだろう。

「なら、全部知ってるわけだ」

 平坂は髭に覆われた口元を歪めて、また一つ大きな溜め息を吐くと、スマートフォンのカレンダーをチェックし、

「次は今週の木曜日か。じゃ、この日の午前一時に裏口に来い」

 と云って、話を切り上げた。


 水曜日の深夜。

 クルアハンでは音楽に限らず様々なライブが開催されるが、この日の晩に開催された新人作家のトークライブは予想以上に客の入りが良く、片付けに手間取っていつの間にか日付が変わっていた。

 1時になって裏口を開けると、そこにはスティックスの二人が所在無げに立っていた。

「入れ」

 平坂は、周囲に人がいないのを確認すると、ぶっきらぼうに二人を招き入れた。

「分かっているだろうが、時間は2時から1時間。それ以上は絶対にダメだ。俺が帰ったら内側から鍵を掛けろ。合鍵を預けていくから、2時になったら鍵を締めて帰れ。鍵はドアの郵便受けから中に落としといてくれればいい」

「はい、ありがとうございます!」

 揃って頭を下げる二人に、平坂は渋い顔で指を突き付けた。

「良いか? 予定したネタが終わったらすぐ帰れよ? アンコールには間違っても応えるんじゃないぞ!?」

 そう言い置いて、平坂はスクーターに跨ると深夜の街に消えていった。


 深夜2時。

 闇に包まれたスタジオの中、唯一スポットライトに照らされた舞台で、スティックスの二人は深夜の単独ライブを始めた。

 始めこそ緊張して硬くなっていたものの、やがていつもの調子を取り戻し、快調にネタをこなしていく。

 それにつれて、真っ暗なホールからパラパラと笑い声が上がり始めた。

 枝村と薪田は目と目でお互いの興奮を伝えあい、二人の息はピタリと合って、アドリブも面白いようにはまり、ホールの笑い声はさざ波のように全体に広がっていく。

 一時間は飛ぶように過ぎ、いよいよ最後のネタ。ホールの笑い声が前から後ろへ大波のように伝わる感じは、二人を陶酔させた。

 そしてオチの瞬間、スタジオ全体が爆発するような笑い声に包まれた。

 これほどに自分たちのネタが受けた感動と、この先に待つ輝く未来予想に頬を上気させながら頭を下げ、袖に下がろうとしたそのとき、闇に包まれたホールの中央付近からアンコールの声が上がった。

 やがてその声はスタジオ全体に響く大合唱となる。

 足を止めた枝村の袖を薪田が引き、早く舞台をはけるように促す。

 だが枝村が指を一本立てた。目が、もう一ネタと訴えている。確かにまだネタはあるし、ホールからは熱狂的なアンコールが聞こえてくる。薪田だってこの快感を手放したくはない。

 一瞬、平坂の渋い顔が脳裏に浮かんだが、すぐにそれを振り払い、二人は大きく頷き合うと、再び舞台中央に向かった。



 朝、スタジオの裏口を開けた平坂は、そこに鍵が落ちていないのを見て、深く溜め息を吐いた。

 中に入ると、舞台中央付近に鍵が落ちてる。

「やっぱり連れて行かれたか……」


 クルアハンには年に何度か、深夜に人ならぬ者が集まる日があり、その者たちにネタを見せ、爆笑を勝ち取ったお笑い芸人は、必ず人気が上がると言われている。

 だが、人は足るを知らなければならない。それが例え客からの反応と云う形無きものであっても、求め過ぎ、その快感に流されると道を誤る。


 クルアハンで深夜にライブを行う者は、アンコールに応えてはいけない。

 欲深き者は身を滅ぼし、魔に魅入られ——。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

深夜ライブ 杜右腕【と・うわん】 @to_uwan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ