第33話「失言」

「――本当に、今日はありがとうね」


 夕方になり、アルバイトを終えた夏実は背伸びをしながら秋人にお礼を言ってきた。

 秋人も上がりで、今は二人してお店を出たところだ。


「無事終わってよかったな」

「うん! 休憩後はミスなかったし、私やればできた!」


 よほどミスがなくなったことが嬉しかったようで、夏実は嬉しそうに秋人の顔を見上げてくる。


「じゃあ、これからは自信持ってやれるな」

「うん、緊張もしないと思う! これも全部、秋人のおかげだね!」

「なんで俺のおかげなんだ?」


 家を目指して帰りながら、秋人は不思議そうに尋ねる。

 すると、夏実は手で髪を耳にかけながら、照れたように頬を赤くして、上目遣いで見つめてきた。


「だって、秋人がフォローをしてくれたおかげじゃん……。私一人だと、午前で帰されてたかもしれないもん……」

「そ、そっか」


 夏実が急にしおらしくなるものだから、秋人は頬を指で掻きながら視線を逸らした。

 その頬は、ほんのりと赤く染まっている。


「まぁでも、夏実が頑張ったからだと思うよ。それに、愛想よくやってくれたおかげで、お客さんたちにも気に入ってもらえたようだし」


 夏実が相手をした主婦たちは、皆笑顔だった。

 注文ミスをした時だって、怒っているお客は一人もいない。

 夏実が新人で、緊張していることを理解してもらえていたからだ。


 しかし、それだけならお客によっては怒られていただろう。

 それなのに夏実が怒られなかったのは、愛想よく振る舞うように努めていたおかげだった。


「正直うちの売りは、母さんのケーキや料理、そしてコーヒーなどのドリンクだけでなく、店員の愛想の良さなんだ」

「それ、全部が売りって言ってない?」

「まぁ、話は最後まで聞いて」


 気になった夏実がツッコミを入れたことで、秋人は困ったように笑いながら話を続ける。


「だから、夏実はちゃんと戦力になってくれたと思うよ。お客さんに愛想よく接して気に入られる子が居てくれるのは、凄く助かるから」

「そ、そっか……」


 戦力になったと言われたことで、夏実は更に赤く顔を染めて俯いてしまう。

 緩みそうになる頬を全力で我慢するものの、ニヤケは止められないようだ。

 それだけ、秋人に褒められたことが嬉しかった。


「あ、秋人もさ、頼りになるよね……」

「なんだよ、急に……」

「うぅん、急じゃないよ。前から思ってたことだし……。秋人って普段は冬貴と馬鹿してるけど、困った時は凄く頼りになると思ってる。私も春奈ちゃんも、一年生の時何度も助けてもらったし……」


 夏実の頭に過るのは、街中でナンパに遭った時のことや、面倒くさい先輩に絡まれた時のことなどだ。

 その時はいつも、秋人が助けてくれていた。

 だから夏実は、秋人のことを頼りになると思っている。


「別に、困ってたら助けるのが普通だし……」


 普段褒められないだけに、夏実から褒められた秋人は居心地悪そうにしていた。

 首元に右手を添え、夏実から視線を逸らしている。


「それが出来る人って、実はそういないんだよ? 関わりたくない、とか、怖い、とかで、見て見ぬふりをする人が多いもん。だから、困ってる人がいたら手を差し伸べられる秋人は、素敵だと思うよ」


 きっと、激しい緊張から抜けたことで気が抜けていた上に、秋人から褒められたことで口が軽くなっていたのだろう。

 秋人のことを褒めていた夏実は、思わぬ失言・・をしてしまった。


「な、夏実、それって……」

「えっ? どうしたの?」


 顔を赤く染めている秋人が驚いて夏実の顔を見るが、夏実はキョトンとした表情で秋人の顔を見た。

 どうやら自分が言ったことに気が付いていないようだ。

 だから秋人はそれ以上言えなくなってしまい、モヤモヤとしたものを抱えながら視線を逸らしてしまう。


「いや、なんでもない……」

「えぇ……絶対なんかある時の言い方じゃん、それ……」


 一年生の時から付き合いがあるだけに、秋人が誤魔化していることが夏実にはわかってしまう。

 だから、不満そうに小さく頬を膨らませて秋人の顔を見上げていた。


「まぁ、気にするなよ。それよりも、今日は駅まで送っていくから」

「えっ、どんな風の吹き回し?」

「別に、今日は春奈ちゃんもいないんだから、送ったほうがいいだろ?」

「でも、まだ夕方だよ?」


 暗くなっているのなら秋人が心配して付いてくるのはわかるけれど、まだ太陽も出ているので、夏実は不思議らしい。

 秋人は少し困ったように頬を掻き、視線を彷徨わせながら口を開く。


「まぁ、たまにはいいじゃないか……」

「そっか、ありがとう」


 駅まで一緒に居られることになり、夏実は嬉しそうにお礼を言った。

 それにより、秋人は照れくさそうに視線を逸らす。


「「…………」」


 それから駅を目指す二人の間には、沈黙の時間が流れた。

 秋人は照れくさくて何も言えなくなっており、夏実は夏実で、秋人が黙り込んだことで中々口を開けずにいた。

 だけど、このままではもったいないと思い、夏実はゆっくりと口を開く。


「秋人ってさ、幼馴染みの女の子との思い出がないって言ってたじゃん?」

「いや、思い出がないんじゃなくて、二人だけの思い出がないって感じだぞ?」

「そうだったね。でも、本当にないの? よく遊んでいたんでしょ?」


 夏実は顔色を窺うかのように秋人の顔を見つめてくる。

 どうして夏実がこんな質問をしてきたのかわからず、秋人は不思議そうに夏実を見つめた。

 しかし、夏実が強い意志を瞳に秘めていたことで、ゆっくりと口を開く。


「正直、思い出がないってわけじゃないんだ。凄く強い思い出が、一つある」

「そ、それは何……!?」


 秋人が自分のことを思い出す手掛かりになるかもしれない。

 そう思った夏実は思わず喰いついてしまった。


「な、なんでそんなにがっつくんだよ……」


 当然、夏実がどうしてこんな態度になるかわからない秋人は、怪訝な様子で夏実を見る。


「あっ……いや、別に……」


 夏実は内心(しまった……)と思いつつも、髪を指で弄りながら誤魔化した。


「…………」


 秋人は気まずそうな夏実のことを見つめる。

 しかし、夏実は何も言わないので、仕方なさそうに口を開いた。

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