第32話「随分とお楽しみだったようね?」
夏実は両手で自分の顔を押さえ、椅子に座ってパタパタと足を動かしていた。
スカートなのにそんなことをするものだから、正面に座る秋人にはモロにスカートの中が見えてしまった。
「な、夏実、落ち着けよ……」
秋人が声をかけると、夏実はソッと顔から手を放す。
「い、今のはなし」
「な、何がだ……?」
「何も見なかったことにして……」
どうやら夏実は、悶えている姿を見なかったことにしろ、と言っているようだ。
「ま、まぁ、うん……」
なかったことにしても、どうにもならないのだが――秋人は、余計なツッコミは入れなかった。
「あ、秋人、喉乾いてない……?」
「そ、そういえば、喉乾いたな……」
緊張したことと、揉めたことで、秋人の喉は乾いてしまっていた。
おそらく、夏実も同じなのだろう。
「ドリンク、取ってきてあげる……」
「えっ、でも……ドリンクは、まかないに入ってないぞ……?」
「わ、私の奢り。ちょっと待ってて」
「あっ、ちょっ――い、行ってしまった……」
夏実を呼び止めようとした秋人だったが、夏実は逃げるようにして部屋を出て行ってしまったため、制止する間もなかった。
それにより、秋人は頭を抱えてしまう。
数分経つと、夏実は両手にコップを持って休憩室に入ってきた。
「お、おまたせ……」
「うん、ありがとう……」
秋人は、夏実からコップを受け取り、テーブルの上に置いた。
そして、視線を夏実に戻す。
「なぁ、誰かに会ったか……?」
「えっ? そりゃあ、店長とか先輩たちに会ったけど……。だって、店長には言わないといけないし、厨房で注いできたから……」
どうしてそんなことを聞くんだろう。
そんなことを思いながら、夏実は首を縦に振った。
「何も言われなかったのか?」
「うん、特に……あれ……? 休憩時間、まだ終わってないよね……?」
秋人が何を言いたいのかわからず、夏実は時計を気にしてしまう。
休憩時間は、まだ十五分ほど残っているようだった。
「何かまずかった……?」
「いや、うん……いいんだ」
秋人は諦めたように、コップに入っている紅茶を飲んだ。
済んでしまったことは、今更何を言ってももう遅い。
ただ、待ってるのは――母親達に弄られる未来だろう。
「な、なんだか、怖いんだけど……」
「いや、うん。とりあえず、今は体を休めておこう。今日初めてなんだから、休める時にはしっかり休んでおいたほうがいい」
秋人は、あくまで誤魔化すことにしたようだ。
そんな秋人の態度を不思議そうに見る夏実だったが、聞いても秋人が嫌がると思い、紅茶にミルクを入れ始めた。
そして、シロップをたっぷりといれ、ご機嫌な様子でストローを吸い始める。
「んっ、おいしい」
甘さ強めのミルクティーを呑んだ夏実は、満足そうに頬を緩める。
メイドのコスプレをした美少女が、満面の笑みを浮かべながらミルクティーを飲む姿は、中々に絵になっていた。
そのため、目の前で見ている秋人は、なんだか役得のような気分になる。
「秋人のほうはおいしい?」
夏実は指でストローを摘まみながら、小首を傾げて秋人を見てきた。
「うん、おいしいよ」
「そっかそっか。それ、私が淹れたんだよね」
夏実はとても嬉しそうに笑みを浮かべる。
褒めてもらえて嬉しかったらしい。
「あれ? いつの間に紅茶の淹れ方を覚えたんだ?」
秋人はフロアのことしか教えた覚えがなく、夏実が紅茶の淹れ方を知っていることに驚いてしまった。
「さっき、店長が教えてくれたの。ちょうど料理の注文が途絶えたらしくて」
「あの人は……そんな暇があるのなら、ケーキを補充すればいいのに……」
店長はパティシエ経験があり、ケーキを作ることができる。
だから、このお店は秋人の母親が作るケーキを提供していた。
「さすがに、そんなに早くは作れないでしょ……」
「まぁ、いつも朝早くから出勤して作ってるしな。料理できる人とか、コーヒー淹れられる人とかは他にもいるんだから、ケーキ作りに集中したらいいのに……とは思うけど、自分でも料理とかをやりたいらしい」
そのおかげで夕方にケーキ不足になることが時々あるのだけど、母親はその点を改善するつもりはないらしい。
「せめて、後一人ケーキを作れる人がいればいいんだけどな……」
「秋人ってさ、経営者目線で見れて凄いね」
「えっ?」
気が付けば夏実が優しい笑顔で見つめてきており、秋人はキョトンとした表情を浮かべた。
「マニュアル書もそうだけど、高校生なのにお店のことしっかりと考えられてるのが、凄いなぁって思った」
「――っ」
そう夏実に言われた秋人は、顔がとても熱くなる。
バクバクと鼓動する心臓は痛く、そしてうるさかった。
「あっ、そろそろ戻らないと、怒られちゃうね」
休憩時間が残り五分ということに気が付き、夏実は慌ててミルクティーを飲んでしまう。
秋人も、体の熱を下げるかのようにして一気に飲み、席を立った。
「コップは俺のほうで片付けておくよ」
「えっ、いいのに。私のほうで片付けるよ」
秋人が手を差し出すと、逆に夏実が秋人のコップに手を伸ばしてきた。
しかし、秋人はコップを渡さず、困ったように笑みを浮かべた。
「着替えてこなくていいの?」
「えっ……?」
「そのままの格好で出るのは、ちょっとまずいかな」
秋人の言葉を聞いた夏実は、ゆっくりと視線を自分の体へと向ける。
そして、自分が今どういう格好なのかを思い出した。
「わ、私、メイド服のままだった……!」
「そうだね」
「き、着替えてくる……! 悪いけど、コップよろしく……!」
夏実は時間がないというのもあり、顔を真っ赤にしたまま部屋を出ていった。
秋人は困ったように笑い、コップを洗った後は厨房に向かったのだけど――。
「随分と、お楽しみだったようね?」
ニヤニヤとしてご機嫌な様子の店長が待っていたのは、言うまでもないだろう。
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