第29話「お腹ペコペコ」

「――じゃあ、うまくやりなさいよね」


 冬貴と春奈を席に案内した夏実は、とてもいい笑顔で冬貴に耳打ちをした。

 そして、戻る前に冬貴の顔を覗き込んでニコッと笑い、パシッと勢いよく背中を叩く。

 背中に走った痛みにより冬貴は眉を顰めるが、夏実はニコニコの笑顔でその場を離れた。


「なんで、冬貴の背中を叩いたんだ?」


 夏実の行動を見ていた秋人は、夏実にそのことを尋ねてみる。

 すると、夏実は笑顔で首を左右に振った。


「別に、なんでもないよ」

「……なんだか、ご機嫌だな?」

「えっ、そうかな?」


 夏実が笑顔なので秋人はそう尋ねたのだが、夏実は不思議そうにキョトンとする。

 だから、これ以上は聞いても無駄だということが今までの付き合いからわかった秋人は、溜息を吐いて首を左右に振った。


「いや、いい。それよりも、折角来てくれた二人には悪いけど、業務中はあまり雑談しに行かないようにな」

「うん、他のお客様の手前、よくないもんね」


「あぁ、それがわかってるならいいよ。もう少ししたらお店も落ち着くから、そしたら昼休憩に入ろうか」

「わかった。でも、もうおなかペコペコだよ……」


 夏実はそう言うと、お腹を押さえて縋るような表情を浮かべる。

 朝からずっと働いていて、お客様の人数も多いので未だに夏実と秋人は休憩に入れていないのだ。


「休憩に行ってもいいよって言ったのに、行かなかったのは夏実じゃんか」

「だって、他のみんなが働いている時に、一人だけお昼に行くのも悪いじゃん……」

「こういう忙しい時は、一人ずつ交代で行ったりするもんなんだよ」


「でも、新人が一番最初はだめでしょ……?」

「いや、寧ろ新人だからこそ――まぁ、いっか。もう終わった話だし」


 本当は、慣れていない新人だからこそ早めに休憩に入れたいのだけど、もう終わった話をしたところで意味はない。

 そう考えた秋人は、これ以上余計だと思い話すことをやめた。

 それよりも、冬貴たちが来てくれたおかげか、夏実の表情から強張りがなくなったことに安堵する。


「さぁ、夏実。休憩までもうひと頑張りしようか」

「うん……!」


 この後、夏実は冬貴たちの注文を取りに行き、秋人は他のお客様の対応をしていく。

 夏実は緊張が解けているおかげでミスをすることはなく、秋人はホッと胸を撫でおろしていた。

 そして冬貴たちが帰った後は、店長の配慮により秋人と夏実は二人して休憩に入るのだった。


 ――なお、冬貴は家に帰るまでロクに春奈と話すことができず、夏実から白い目を向けられていた、というのはここだけの話だ。

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