第26話「二人きりの時なら着てあげる……」

「――さて、今日はお客様の前に出てもらうわけだけど……」


 秋人は、そこで言葉を区切り、夏実に視線を向けた。


「大丈夫か……?」


 現在秋人の目に映るのは、見ていて可哀想なほどに震えている夏実だった。

 夏実は喫茶店を訪れた時からこの様子で、明らかに緊張してしまっている。


「だ、だいじょび……」

「うん、大丈夫じゃないな」


 頷いた夏実に対し、秋人は困ったような笑顔を向けた。

 そして頬をポリポリと指で掻き、どうするべきか思考を巡らせる。

 夏実はその間おとなしく秋人の顔を見上げているが、特に何も言葉は発していない。

 というよりも、雑談する余裕もないのだろう。

 そうしていると、秋人が夏実の頭に優しく手を置いた。


「な、ななな!?」


 急に頭に手を置かれた夏実は、顔を真っ赤にして秋人の顔を見つめる。

 口はパクパクと動いているが、以降の言葉は出てこない様子だ。

 そんな夏実を見つめながら、若干照れくさそうに秋人は口を開いた。


「何かあってもフォローするから、夏実は練習通りにやればいいよ」


 秋人はそう励ましながら、優しく頭を撫でた。

 それがよかったのか、夏実は途端にだらしない笑みを浮かべてしまう。


「――ねぇ、結局秋人君と新海さんって、付き合ってるの?」

「なんか付き合ってるようにしか見えないよね?」


 秋人たちのやりとりを見ていたアルバイトの女子大生たちは、コソコソと秋人たちについて話しているのだが、肝心の秋人たちはそのことに気が付かない。

 そうしていると、彼女たちの後ろに秋人の母親――店長が、現れた。


「ほらほら、みんな着替えずに何を話してるの?」


 現在誰一人として制服に着替えていないので、店長は手をパンパンと合わせて、注意をした。

 もちろん、怒っているというよりも、仕方がなさそう、という感じだが。


「あっ、夏実ちゃんはちょっと待ってくれる?」


 他の女子大生たちが更衣室に向かったので、夏実も付いて行こうとしたのだが、なぜか店長に呼び止められてしまう。


「どうかされましたか?」

「夏実ちゃんにはね、特別に衣装を用意しているの」

「特別衣装……?」


 夏実と店長のやりとりになんか嫌な予感がした秋人は、訝しげに夏実たちを見つめる。

 店長はそんな秋人のことは気にせず、洋服らしきものを鞄から取り出した。

 そして――。


「じゃっじゃーん! これ、夏実ちゃん専用の衣装です!」


 そう言って店長が見せつけるように掲げた洋服は――メイド服、だった。

 それも、全身にフリフリが付いた、ミニスカートものだ。


「母さん……!」


 秋人は、店長からメイド服を取り上げようとする。

 しかし、店長は見事な体捌きで、なんなくと秋人の手を躱した。


「いいじゃない、これ絶対に夏実ちゃんに似合うもの!」

「この喫茶店はそういったお店じゃないだろ! 落ち着いたメイド服ならまだしも、そんなきわどいのは駄目だ!」


 夏実にこんなものは着させられない。

 そう思った秋人は、懸命に服を掴もうとする。

 だけど、やはり店長は捕まらない。


「あんたが着るんじゃないからいいでしょ!」

「そういう問題じゃないだろ!」


 二人の小競り合いはそのまま数分間続いた。


「……歳は、取りたくないわ……」


 決着後、店長は肩で息をし、恨めしそうに秋人の顔を見る。

 秋人の腕には既にメイド服があった。

 疲れた店長の速度が落ちてきたところで、秋人はなんとか奪い取ったのだ。


「夏実、普通のウェイトレスの服を着ておいで」


 恨めしそうに見る母親を横目に、秋人は何事もなかったかのように夏実を見た。

 夏実は二人の競り合いを見ていたので、困ったように笑いながら頷く。


「付き合ってもないのに、あんた独占欲が強すぎるんじゃない?」

「関係ないだろ!?」


 ボソッと耳打ちをしてきた店長の言葉に、秋人は顔を赤くしながら怒ってしまう。

 すると、店長は肩をすくめながら、今度は夏実の傍に寄って行った。


「まぁあれ、元々夏実ちゃんへのプレゼント用なんだけどね」

「えっ……?」


 秋人に聞こえない声で囁かれた内容に、夏実は驚いて店長の顔を見る。

 店長は片目でウィンクをし、嬉しそうに続けて口を開いた。


「お店の経費じゃなくて私のお金で出してるから、遠慮しなくていいからね」

「で、ですが、そんなものを頂くわけには……」

「でも、もらってくれないと、この服倉庫で埃を被ってしまうわよ? それこそ、お金がもったいなくない?」

「そ、そうですけど……」


 夏実はどうしても、ミニスカートの裾の短さが気になってしまう。

 あれでは、見えてはいけないものまで見えてしまうのではないか。

 例えそれが見えないギリギリを攻めていたとしても、足のほとんどが見られてしまう。


 そんな思いがあるから、夏実は受け取りたくなかった。


「別に、あれでお店に出ろって言ってるんじゃないのよ? プライベートで使ってくれたらいいから」

「プ、プライベート!?」


 夏実は思わず、秋人のほうを見てしまう。

 秋人は秋人で店長を怪しんで見ていたので、バッチリと目が合ってしまった。

 それにより、夏実はモジモジと体を揺すり、恥ずかしそうに顔を伏せる。

 顔を真っ赤にしてしまっている夏実の耳に、店長はゆっくりと口を近付けた。


「いいのよ、好きに使っちゃって。事前に言ってくれたら、私留守にしておくから」

「て、店長……! 冗談はやめてください……!」


 まるで悪魔の誘惑かのように囁かれた言葉に対し、夏実は全身を真っ赤にして首を横に振った。

 そんな夏実のことを、店長は愛おしそうに見ながら、ポンポンッと頭を叩く。


「まっ、後は若い二人に任せるわ」


 店長はそれだけ言うと、本当に部屋から出ていってしまった。


「母さん――店長に、何を言われたんだ?」


 ニマニマとして出て行った店長のことが気になり、秋人は夏実に尋ねてみる。

 夏実は秋人に向かって指を伸ばし、顔を赤くしたまま口を開いた。


「そのメイド服、私にくれるらしい……」

「えっ……これ、もらっても困るだろ?」

「でも、倉庫にしまってると……結局、お金の無駄になるから……」

「だけど、どこで着るんだ……?」


 着る場所がないから、結局意味ないのではないか。

 そう思って秋人は言ったのだが、夏実は恥ずかしそうに秋人の手からメイド服を受け取った。


 そして、そのメイド服で口を隠しながら、上目遣いで秋人を見つめる。


「その……二人きりの時なら、これ……着てあげる……」

「えっ!?」


 夏実が顔を真っ赤にしたまま意味深なことを言ってきたので、秋人の顔は一瞬で真っ赤になってしまう。

 すると、夏実は慌てたように指を突き付けてきた。


「か、勘違いしないでよね……! 着るところなかったら服が可哀想だから、着て見せてあげるってことだから……!」

「いや、それは……」


 夏実の様子からはどう見ても照れ隠しにしか見えず、秋人は何を言ったらいいのかわからなくなってしまった。

 しかし――。


「二人とも、そろそろ着替えないとまた怒られちゃうよ?」


 着替えを終えた女子大生たちが戻ってきたので、秋人と夏実の意味深なやりとりは中途半端に終わってしまい、秋人はモヤモヤを抱いてしまうのだった。

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