第4話「目のやり場に困るのはやりすぎです」

「――ねぇ、秋人」


 お昼休みの一件から一時間が経った頃、国語の授業中に夏実が話しかけてきた。

 顔色は普通に戻っており、どうやらやっと冷静になったらしい。


「どうした?」


 秋人は、若い女性教師が黒板を向いたタイミングを狙い、夏実に返事をする。

 すると、夏実は机を寄せてきた。


「教科書、見せて」

「えっ?」


「だから、教科書見せて。今日忘れちゃったの」


 小首を傾げながら、ニコッと微笑みかけてくる夏実。

 教科書を忘れたことに対して悪気はなさそうで、むしろどこか嬉しそうだ。


「今まで教科書忘れたことないよな?」


 秋人は夏実の様子を警戒しながら、今日だけ忘れていることを指摘する。

 しかし、夏実は落ち着いた様子で首を横に振った。


「忘れちゃったんだから仕方ないじゃない」

「まぁ、それは……」


 確かに、今忘れてしまったのなら過去がどうであれ関係はない。

 さすがに警戒をしすぎたか、と思った秋人は夏実に教科書を見せることにした。


「――紅葉君、新海さん、何をしているのですか?」


 当然、急に机をくっつけていれば先生には指摘をされてしまう。

 先生はジッと秋人と夏実を見つめ、無言で答えるように促してきていた。


「あっ、すみません。夏――新海さんが教科書を忘れたらしいんで、見せていいですか?」

「新海さんが? 珍しいですね、かまいませんよ。教科書がないと困りますからね」


 先生は優しい笑みを浮かべて頷くと、黒板へと再度向き直した。

 今授業をしてくれているのは生徒の中でも有名な優しい先生のため、この程度で叱られることはないのだ。


「これで見える?」


 秋人は教科書を夏実の机の上に置き、夏実に見やすさを確認する。

 すると、夏実は笑みを浮かべて頷いた。


「うん、見える。ありがと」

「どういたしまして」


 そうして、授業に集中し始めた二人。

 秋人は先生が黒板に書く言葉をノートへと書き写していく。

 夏実も、同じくノートへと書き写していたが――。


「ふぅ……今日、あっついなぁ……」


 夏休み前の暑い時期だからか、夏実は胸元のボタンを外してパタパタと襟元をはたき始めた。

 それにより、秋人は思わず目を奪われてしまう。


「ちょっ、何して……!」

「何って、暑いから扇いでいるんだよ?」

「お前、人の目を気にしろよ……! 見えちゃうだろ……!」

「何が?」


 声をなるべく殺し、周りに聞こえないようにした秋人の忠告に対し、夏実は不思議そうに首を傾げる。

 まるで、秋人が何を言いたいのかわかっていない、という態度だ。


「だから、それは、その……!」


 秋人は言葉にしていいのかどうかわからず、曖昧な言葉を発しながら思考を巡らせる。

 そんな秋人を見て、夏実はニヤッと笑みを浮かべて顔を近付けてきた。


「な、なんだよ……?」

「ん~? なんか、慌てふためいてるな~って思って」

「夏実、面白がってるだろ……!」


 手で耳に髪をかけながら、夏実が上目遣いに顔を覗き込んできたので、秋人は顔を赤くしながら夏実に怒る。

 もう少し夏海が前傾になってしまえば、見えてはいけない部分が見えてしまいそうだ。


「面白がるようなこと、あるかな?」


 しかし、夏実は引くどころか肩を秋人の肩に当ててきた。


「ちょっ!? だから、からかうなって……!」

「からかってないよ。肩が当たってるだけじゃん」

「当ててくることがおかしいだろ……!」


 恋人でもないのに肩をくっつけてくる理由なんてない。

 そう思った秋人だが、指摘を受けた夏実は困ったように首を傾げた。


「ごめんね。でも、こうしないと見づらいの」


 どうやら夏実は、見づらかったから肩がぶつかるほどに近付いてしまった、と言いたいらしい。


「いや、さっき大丈夫って言ったじゃん……」

「さっきは我慢してたの。でも、やっぱり見づらいから諦めて」

「じゃあ……」


 夏実が見づらいというのなら仕方ない。

 そう思った秋人は夏実から距離を取ることにしたが、秋人が離れた距離分を夏実は詰めてきた。


「おい……!」


 現在二人の体勢は、秋人が壁ぎりぎりまで寄っており、夏実が秋人の机との境界線を乗り越えて押し寄ってきている感じだ。

 さすがのこれには秋人も怒る。


 しかし、夏実は不思議そうに首を傾げた。


「なんで逃げるの?」


 どうして秋人が逃げるのかわからない。

 そう言いたげな表情だ。


「恥ずかしいからだろ……!」


 秋人は思春期真っただ中。

 ワイワイと騒ぐタイプだから勘違いされやすいが、女性慣れはあまりしていなかった。

 だから、毎回夏実にからかわれて苦労しているのだ。

 今回だって、秋人は夏実に体をくっつけられて緊張してしまっていた。


「恥ずかしいと思うから恥ずかしいんだよ。受け入れれば大丈夫」

「そんな無茶苦茶な理屈は聞いてない……! てか、今授業中――」

「――二人とも、何をしているのでしょうか?」


 秋人が授業中だということを指摘しようとすると、いつのまにか夏実と秋人の背後に先生が立っていた。

 先生から発せられた声はとても優しいのだけど、なぜか二人は言いようのないプレッシャーを感じてしまう。


「授業を聞かずに、随分と楽しそうですね?」

「い、いえ、あの、これは……」

「言い訳、お聞きしましょうか?」


 ニコッと笑みを浮かべながら小首を傾げる先生。

 優しくて包容力のある笑顔だが、やはり謎のプレッシャーを感じてしまう。

 秋人と夏実はお互い視線を合わせ、コクリと頷いた。


 そして――

「「すみませんでした……!」」

 ――と、勢いよく頭を下げることで、どうにか許してもらえないか試みた。


「全く……学校は勉強をしにくるところですからね? 大目に見るのは今回限りですから」

「はい、すみません……」


 先生に苦言を言われ、秋人はもう一度頭を下げた。

 それを見た先生は溜息を吐きながら踵を返すが、何かを思い出したかのように視線を夏実に戻す。

 そして、ゆっくりと口を開いた。


「新海さん、甘える時は人目がないところでしなさいね」

「甘え――!?」

「仲がいいのは結構ですが、目のやり場に困るのはやりすぎです」


 先生はそう言うと、自身の胸元を指でさす仕草をした。

 それにより、夏実は自身の胸元に視線を移し――自分がどういう状態なのかを、理解した。


「~~~~~っ!」


 胸元を開けている姿をクラスメイトたちに見られた夏実は、顔を真っ赤にして机に突っ伏すのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る