第31話

朋樹の体が窓へと落ちてきた瞬間、あたしの脳裏は真っ白になっていた。



「朋樹……」



震える声で朋樹の名前を呼ぶ。



でも、その返事はもう聞く事もできない。



無意識の状態でよろよろと立ち上がり、朋樹の落ちて来た窓へと近づいていく。



「愛奈……」



穂香があたしを呼んでも聞こえなかった。



あたしは窓にへばりついた朋樹に手を伸ばす。



窓の向こうの朋樹はもう見る影もなく、ただの赤い塊となってしまっていた。



「うそだよね……」



誰にも聞こえないような小さな声でつぶやく。



「朋樹……」



目の前に内臓や肉片が飛び散っているのに、気持ち悪さなんて感じなかった。



ただ、好きだった人がいなくなってしまったという悲しい気持ちで一杯だった。



たった数時間一緒にいただけの口の悪い男だったけれど、会った瞬間からなぜだか懐かしい気持ちになっていた。



あたしは窓に触れて、その向こうにいる朋樹をなでた。



その、瞬間。



真っ赤な血の中から不意に母親の顔が現れたのだ。



目は吊り上がり、真っ赤な口紅をしている母親があたしを睨んでいる。



体中の体温が奪われていくのを感じる。



「い……いやぁぁぁぁ!!」

あたしは悲鳴をあげ、その場にうずくまった。


目を閉じていたも母親の顔が浮かんできて、体はいやおうなしに震え始める。



「愛奈!!」



母親の怒鳴り声が耳元で聞こえてくる。



「この、出来損ないのクズが! どうしてお前はあたしのいう事がきけないんだ!?」



ここにいるはずのない母親が、あたしの頭を踏みつけてくる。


あたしの額は床にこすれて傷つき、ジワジワと血が滲んでくる。



あたしはこれを、毎日毎日やられていた。



中学を卒業してからは学校にも行かせてもらえず、働くことも許されず、暗く狭い部屋に閉じ込められていた。



その中で少しでも物音を立てようものなら、隣の部屋にいた母親が飛んできたんだ。



そして、あたしに罵声を浴びせかけた。



いつからだろう、こんなことになってしまったのは?



小学校低学年の時まではまだ幸せな日々を送っていた。



みんなと変わらない幸せな家族だった。



でも……あたしが4年生になった頃、父親が外に女を作って出て行ってしまったのだ。



それがキッカケで、すべての幸せは崩壊していった。



母親はいつからか、父親が家を出たのはあたしのせいだと言うようになった。



あたしはそれを否定したけれど、否定すればひどく殴られた。



翌日は頬が腫れあがり、学校に行けなくなるくらいにだ。



あたしはそれが怖くて、離婚したのは自分のせいだと自分から言うようになった。



その度に母親は憎々しい顔をあたしに向け、あたしを狭い部屋に閉じ込めていた。



電気もつけられない。



窓も閉めることが許されない。



そんな部屋の中、小学生だったあたしは、膝をかかえてずっと我慢をしていた。



恐る恐る顔を上げると、そこにはあたしを見下ろす母親がいた。



母親は濃い化粧をして、派手な服を着ている。



男の人に捨てられないためには着飾るしかないの。



口癖のように、そう言っていた。



「お前のせいで離婚したんだ!」



母親はそう怒鳴り、あたしの頬をぶつ。



「ごめんなさい! ごめんなさい!」



あたしは何度も謝り、泣き叫んだ。



「お前がいなければこんなことにはならなかった!!」



「ごめんなさい! 怒らないで! お母さん!!」



あたしはそう言い、自分で自分の体を抱きしめた。



こうする以外あたしを助けてくれる人なんていないから。



あたしは母親に暴力を振るわれえるたび、自分の体を抱きしめて来た。



大丈夫。



大丈夫だからね。



自分自身に、そう言い聞かせてきたんだ。



「お前は死ぬまでこの部屋に入ってろ!!」



そう言うと、母親はあたしを更に狭い部屋へと押し込んだ。



部屋の上についている小さな窓は開け放たれ、そこから雪が入って来る。



あぁ、今は冬なんだ……。



テレビはもちろん、カレンダーを見る事もないあたしは外の風で四季を感じていた。



真っ暗で狭い部屋の中、あたしは膝を抱えて震えていたんだ。



「寒い……寒いよ……お願いお母さん、窓を閉めて……」



小さな声で呟き、震えても誰にも声は届かなかった。

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