第21話

体がしびれる感覚に耐えきれず椅子に座った時、不意に車両のつなぎ目の音もなくスッと開いたのだ。


それはあまりに突然の出来事で、全員が唖然として声を出す事もできなかった。



引いても押しても開かず、傷さえつかなかったドアがすべて開き、前の車両の暗闇が目の前に存在している。



「あ……」



旺太が何かいいかけたけれど、それは声にならずに飲み込まれた。



闇の向こうにはアナウンスをしていた誰かがいるはずだ。



助けてもらうなら、今しかない。



そう思うのに、誰の足も動かなかった。



それは暗闇に消えて行った澪と優志の末路を知っているからだ。



同じような闇が広がっている車両へと移動する勇気は、誰も持っていなかった。



やがて、足元にヒヤリと冷たい冷気が流れ込んできてあたしは身震いをした。



「穂香……!」



愛奈があたしの横へ来てギュッと体を抱きしめる。



「大丈夫だよ……たぶん」



あたしは愛奈の体を抱きしめ返した。



恐怖で声が震えてしまって、とても大丈夫とは思えない。



足元に広がっていた冷気は徐々上へ上へと移動してきて、やがて体全体を包み込んできた。



みんなの吐く息が白くなる。



冬はもう終わったと言うのにこの寒さ。



「今度は何があるんだよ……」



朋樹が呟き、後ずさりをする。



「お、俺はもうたくさんだぞ! こんな異様な空間、もういたくない!!」



朋樹が叫び、車両の奥へと走る。



まるでそれを追いかけるように、暗闇の中から男が1人姿を見せた。



何も見えない闇の中だと言うのに、その男の姿だけはクッキリと浮かんで見える。



黒いスーツを着たその人は、間違いなくホームで会ったあの車掌さんだ。



「なんで……見えるのよ……」



愛奈が震えながら呟く。



あたしは強く首を振った。



寒さと恐怖で体は震え、とても隣の車両を見ていることはできなかった。



あれだけ開けようとしていたドアだけれど、今は早く閉まってほしいと願っている。



しかし、その思いは届かない。



闇の中ボンヤリと浮かぶ車掌さんは、ゆっくり、ゆっくりとこちらへ歩いてきているのだ。



それはまるで動く歩道に乗っているように、スーッと滑るように近づいてくる。



人間らしさのない動きに、ゾクゾクと背筋が寒くなる。



そして……足音もなく、車掌さんはこちらの車両へと移動してきた。



凍り付くほどの寒さが車両に流れ込み、あたしは愛奈を抱きしめるてに力を込めた。



車掌さんの足元をみてみるが、長いスーツに隠れて見えない。



足が存在しているのかどうかもわからない、不気味さだ。



あたしたちは一言も声を発せないまま車掌さんは車両の中央まで移動し、そして止まった。



シンと静まりかえる車内。



この異様な状況で、誰もが車掌さんの存在を見つめていた。



その時だった。



車掌さんは、体を一切動かさず首から上だけをグルリと回転させて車内を見回したのだ。



「うわぁぁぁ!」



朋樹が悲鳴を上げる。



愛奈は小さく叫び声をあげ、あたしの胸に顔をうずめた。



あたしは……その光景から目をそらす事ができなかった。



車掌さんはその場に立ったまま、ゆっくりと首だけを回転させ始めたのだ。



そして、「残り30。残り30」と、呟く。



それはまるで不気味なオルゴールのよう。



「《残り30》って一体なんなんだよ!」



そう叫んだのは車掌さんの後ろにいた旺太だった。



旺太は青い顔をしながらも、ジッと車掌さんを睨み付けている。



すると次の瞬間、ギュルンッ! と音を出し、首を一回転させて旺太へと顔を向けた車掌さん。



その動きに旺太は一瞬たじろいたが、それでも目をそらさずにジッと睨み付けている。




「1人はイジメ。1人は助け。1人は虐待。1人は喧嘩。1人は事故。1人は病気」



マイクを通したように車内に響くその声で、車掌さんは繰り返す。



「1人はイジメ。1人は助け。1人は虐待。1人は喧嘩。1人は事故。1人は病気」



「な……なんなんだよ……」



さすがに旺太もひるんでいる。



しかし車掌さんはそのお経のような言葉をやめない。



「1人はイジメ。1人は助け。1人は虐待。1人は喧嘩。1人は事故。1人は病気。1人はイジメ。1人は助け。1人は虐待。1人は喧嘩。1人は事故。1人は病気。1人はイジメ。1人は助け。1人は虐待。1人は喧嘩。1人は事故。1人は病気」


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