人事も尽くしてないのに“天才”を授かってしまった僕に出来ること

「頼もう!」


 いつだか新聞部の部室のドアを開けた時の小太郎のように威勢よく、僕はテニスコートへの扉を開け放った。


「神乃ヶ原天! 天才です! 僕、天才ですけどあなた達を見下すつもりはありません。嫌味に感じることもあるかもしれないけれど、それでも構わないのなら入部を希望します!」


 そして、いつかの神原のように胸を反らして、傲岸不遜とばかりに、僕は練習前のウォームアップをしていた部員達に言い放った。


「…………」


「…………」


 誰も状況が理解出来ないようで、テニスコートは一瞬の静寂に包まれた。そりゃそうだ。


「おお! 神乃ヶ原くん! 来てくれたんだね! 入部って、本気かい?」


 爽やかな笑みを浮かべながら、僕に歩み寄って来たのは、男子テニス部の部長だった。


「どうもどうも」


 ざわつく男子部員達。若干黄色い声を上げる女子部員達を完全に無視して、僕は呑気な声を部長に返した。


「いやあ、まさか勧誘してみたものの、本当に来てくれるとは思っていなかったよ!」


 爽やかな笑みが若干引きつっているのが分かる。


 そうだろうな。お前は本当は自分より女子の前で目立つヤツは疎ましいと思っているんだからな。


 そして粉をかけようとしたハナにフラレて、その腹いせに、自分の恋人がやっかみでハナを虐げていても、見て見ぬフリを決め込むようなヤツだもんな……!


「いやぁ、色々悩んだんですけど、ちょっと興味出てきまして!」


 僕は部長以上の爽やかスマイルを顔に貼りつけてハツラツと返事をした。


「随分騒がしいのね。ほら、ウォームアップ! サボらない!」


 色めき立つ女子部員達を一括してから、こちらに歩み寄ってくるのは、女子部長だ。


「キミのような才能のある子が来て、部が盛り上がるのはいいことだけど、あまり騒がしいのは関心できないわね」


「すみません」


 ……嫉妬から部員に八つ当たりをするような女が、よく言った。


 ……うーん、殴りたいなこいつら。


 僕は湧き上がるイライラを笑顔に変換しつつ、声を低くして、こう呟いた。


「入部していいんですけど、一つ条件があるんですよね」


『……は?』


 聞き違えたのかと疑うような表情をする二人。


「僕、天才なんで。どうしても自分より下手な人に教わる気にも、従う気にもなれないんですよ」


「ちょ……神乃ヶ原くん? だっけ? 何を――」


「ここみたいな年上だから偉い。部長だから偉いみたいな生産性のないシステムが大嫌いでして。だから、僕と勝負して先輩らが勝ったら入部します。ね? いいでしょ?」


「…………」


「…………」


「…………」


「イイワケねーだろ!」


「入りたくないなら勝手に消えなさいよ!」


 よーしよしよし。あっという間に貼りついた笑顔を引っぺがしてやったぞ。 


「大体キミ、ジャージ着てるだけで手ぶらだし、ラケットとかは?」


「持ってません。誰か貸して下さい」


 ビキビキ。


 ……と、男子部長の顔面に血管が浮かび上がる。


 僕は吹き出しそうになるのを必死に堪えていた。


「そもそもあなた、テニスやったことあるの?」


「いいえ。ルールも知りません」


『ふざけんなっ!』


 笑顔を引っぺがすなんてレベルを通り越して、怒り始めた二人が怒鳴る。


 いやあ、人を笑顔にするのはとても大変なのに、どうして怒らせるのはこんなに簡単なんだろうね。


「……でも、あんたらより百倍強いと思うよ?」


『……っ』


 うへぇ、キレてるキレてる。あの時の柔道ゴリラみてぇ。


「あ、分かりました! じゃあハンデあげます! ダブルス? でしたっけ? 二対二で戦うヤツ。男部長さんと女部長さん対……僕と一年で一番練習してない人! それで負けたら入部しますし、もう二度と先輩達に意見なんてしません!」


「いや、やらないよ」


「……え?」


「部員達に悪影響がありそうなヤツなんていらない。帰りたまえ」


「そ、そうよそうよ」


 あらら。想定内だけど、やっぱこうなるか。ちょっと煽り過ぎて、もしかしたらマジで強いのかもという恐れまで引き出してしまったかもしれないな。


「え……? 何そのもっともらしい建前。え……!? もしかして、もしかして先輩――ビビってんスか?」


『……あ!?』


「こんな、ラケット握ったこともない、ルールも知らない生意気な一年坊主に、ビビってらっしゃるんですか!?」


 僕がそう言った時だった。


「えぇっ!? あの爽やかで部員の信望も厚い男子テニス部の部長と、厳しくも美しい女子テニス部の部長が、ラケット握ったこともない、ルールも知らない生意気な一年坊主に、ビビってらっしゃる!?」


 テニスコートのフェンス前に立っていた速見先輩が叫んだ。


「何だお前は!?」


「ボクは通りすがりの新聞部部長! 速見白瀬! つい最近女としてのさがに目覚めし者だッ!」


 余計なこと言わなくていいんですよ……先輩!


「いやあコレはスクープだなぁ! 顧問の留守を預かる両部長が、逃げるなんて! 次回の校内新聞のネタはコレだな! 副部長! 風間くん!」


「そうですね」


「違いないですね!」


「いや誰だよ!」


 いい加減ガチギレ気味の男部長が怒鳴る。


「私は新聞部の副部長。最近イケボの囁き声検索にハマって寝不足気味の女、です」


「俺は新聞部期待のホープ、風間小太郎! 愛と友情に生きる男っス!」


 副部長と小太郎がカメラをパシャパシャやりながら自己紹介をする。


「いやぁどうやらタイミング悪く通りかかった新聞部によって、このままでは先輩達がビビって逃げたことが校内中に知れ渡ってしまいますねぇ。何か申し訳ない」


 僕がニヤつきながらそう言うと、男テニ部長が胸倉を掴んできた。


 僕が返し技でぶん投げそうになるのを苦労して堪えていると――新たな声が上がった。


「な、なんだか面白そうな催しをしているようですわぁっ! 皆さん、こちらにいらして見てくださいまし!」


 ……演技下手か。


 今更言うまでもないことだが、この声は神原だ。こちらに駆けてくる金髪の少女と、その後ろにゾロゾロと続く大勢の野次馬に囲まれて、テニスコート周りのフェンスはあっという間に人だかりと喧騒に包まれた。


「な、何だこりゃあ……」


「わ、私は新聞部の期待の星、神原天乃! 天才ですわ!」


 とうとう聞かれてもいないのに、神原が自分から名乗り出した。腰に手を当て豊満な胸を反らすいつものポーズ付きでだ。


 ……さて、舞台は整ったかな?


 速見先輩。


 副部長さん。


 小太郎。


 神原。


 ……ありがとう。


 僕は小さく親指を立てる。


 あ、バカ。そんな全員で返してきたら仕込みだってバレるだろ。まぁもうバレてるか、ふふ。


「……上等だよ。ナメやがって。負けたら土下座してもらう。そんで、さっき言った通り、ウチの奴隷として入部してもらうからな」


 もう本性丸出しの男部長がこちらを睨む。


 僕はそれを無視して歩き出した。


「じゃあ、勝負といきましょうか? えーと、僕の相棒は誰にしようかな? そっちが男子と女子のペアだからこっちもそうした方がいいよなぁ……」


 なんてことを言いながら、僕はもう決めていた。僕の視線の先であり、歩く先には――


「テンちゃん……」


 ――怒ったような顔で僕を睨む、明井花がいた。


「……キミに決めた。僕と一緒に戦って欲しい。いいかな?」


「テンちゃん……誰が助けてって、頼んだの? こんなことして、あたしが喜ぶと思ったの?」


 色々と察したのか、ハナは彼女の現状を知った僕が、彼女を助ける為にこんな芝居がかったことをしたのだと、気がついているみたいだ。


「そんな怖い顔すんなよ……ハナ」


「ふざけないで。こっちは真面目に話して――」


「この間ケンカした時も思ったけど……僕、ハナの怒った顔……結構好きみたいだ」


「――は、はぁ?」


 ハナが顔を真っ赤にする。


「大体、人のこと言えるのかよ? 中学の時、僕が来なくなった学校で、僕の為にお節介焼いてたくせに」


「……え、どうして――」


「今回僕に助けを求めなかったのだって、居場所を無くして、誰も味方がいないっていう、昔の僕と同じ境遇に立たされて、僕の辛さを勝手に分かっていたつもりになっていた自分が許せなくて、助けを求めることが出来なくなっちゃったんだよね?」


「……なんで、分かるの?」


「分かるよ。ハナだもん」


 既に涙ぐんでいるハナに対して、僕は微笑みかけた。


「ごめんねテンちゃん。あたし――」


「でもねハナ、それは違うよ」


「――?」


「どんなに孤独だろうと、世界中が敵で溢れていようと、僕にはすがれる人がいた。何があってもこの人だけは僕を信頼してくれると確信できる支えがあった。それがキミなんだよ、ハナ」


「テンちゃん……」


「僕も、何があってもハナを信じているし、支えになりたいと思ってるんだ。だから、素直に頼って欲しかったな。僕は天才だけどニブいみたいだし」


「……ごめんなさい」


「まぁ、頼られなくても勝手に助けるんだけど――」


 僕はそこで一度言葉を切り、大きく息を吐き、言い直した。


「いや、違うな。むしろこっちが謝ることになりそうだ。コレから僕は、好きな人にされた仕打ちを許せない、自分の怒りを理由にあの人達を叩き潰すんだから」


「…………」


「…………」


「……え?」


「ハナ、好きだよ。キミが大好きだ」

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