少年はそれを自覚した
彼女との会話で分かったことがある。
人は……引き摺る。
喜びだろうが、悲しみだろうが。
勿論喜びを忘れないことは、大切な思い出になるし、自信にもなる。
だが、痛みや悲しみを忘れないことは戒めにはなるが、必要以上の枷にもなってしまうのだ。
「……ハナが?」
僕は「告げ口になってしまうようで心苦しいが」と前置きし、語り始めた音無さんにそう聞き返した。
「……はい」
聞けばハナは、中学校から僕がいなくなったあとでも、僕の為に戦っていたというのだ。
音無さんのところにきて、二度と僕を傷つけないで欲しいと文句を言い、僕をかばうような発言をしたそうだ。
「……『そんな簡単に傷つくと思わなかったんでしょう。あなたも、テンちゃんを他の人とは違う天才としてしか見ていなかったんだ』って」
「……あいつ」
その後も彼女は僕を悪く言うようなヤツは決して許さなかったし、僕のいないところでも、僕を守ろうと戦い続けていた。
「……中学生の時のハナの方が、今の僕より大人なのか……コレはへこむな」
……僕はテニス部に乗り込んで、一度だけ大暴れして、そのまま学校を去ろうと、そう思っていた。
……そのあとのことを、まるで考えていなかった。
僕のいない世界で生きる彼女のことを、守ろうなんて思っていなかった。
自分の刹那主義っぷりと、余りの短絡さ加減に呆れるばかりだ。
「……コレのどこが天才なんだ」
僕は苦笑してしまう。
「神乃ヶ原くん……何だか、嬉しそうです」
僕と同じく、苦笑いをした音無さんがそう呟く。
「う、嬉しくないよ……あいつはいつまで経っても僕を子供扱いするなーって、恥ずかしいんだよ」
「お互い……大切な存在なんですね。羨ましい……」
大切な……存在……か。
その通りだ。言うまでもない。以前からずっとそうだった。
でも、僕の中に一つ、コレまでは気づけなかった感情が、いつの間にかそこにあったことに、ようやく僕は気がついた。
……彼女は、彼女だけは。
僕を
才能は認めてくれつつも、僕が自分と同じように怒り、悲しみ、傷つき、涙を流す存在だと分かってくれていた。
僕が少し黙って俯くだけで、心配そうな顔で頭を撫でてきた。
……そうだ。いつだってそうだった。
一緒に笑って、一緒に泣いて。
ハナの笑顔、泣き顔、怒り顔、僕を心配する顔。
コレからも……見ていたいな。ハナの隣で。
「――神乃ヶ原くん」
「……ん?」
音無さんの声で、僕は顔を上げた。
「滑稽な話だとは自分でも思います。失ってその大切さに気づくなんて、今まで何度映画や詩で使われてきた言葉でしょう」
「……?」
「また、罵られる覚悟で来たくせに……恨んでないと言われた途端、欲を出す自分にも、少し呆れてしまいます」
「……うん」
あぁ……コレは。
顔を赤くしながら、勇気を振り絞っている彼女を見て、僕は悟った。
いつか見た時と同じ表情。
以前、僕が心惹かれた表情。
「でも……でも、誤魔化しようもないので、気持ちを言葉にします」
「……うん」
「神乃ヶ原くん。私達……やり直すことは出来るのでしょうか? ……て、あぁ……本当に図々しいこと言ってますね、私。でも、正直な気持ちです。私は、まだあなたのことが──」
「ごめん。今、大好きな人がいる」
僕は彼女の言葉を遮った。
「──っ」
音無さんは多分、分かっている。
それでも、自分の為に、僕の為に、色々なものを断ち切ってお互いの道へと歩き出す為のけじめとして、この話をしたんだと思う。
「ずっと、ずっと傍にいてくれた人。好きだって、大好きなんだっていう自分の気持ちに、ようやく気づけたんだ」
「…………」
「だから、ごめん」
「……はい……っ」
音無さんが笑う。その目から涙が頬を伝うのが見えた。
「今、楽しいんだ。友達も出来て。好きな人がいて。前よりも自分を好きになることが出来て」
「……うん」
「自分を好きになれたのも、そいつらが僕を認めてくれたからだと思う」
「……うん」
……そうだ。だから僕は、あいつらやハナを守りたいと思ったんだ。
そしてコレからも……!
目の前で眉を八の字にし、眉間に皺を寄せ、眼からポロポロと雫を落とす彼女を見て、思い出す。
僕が傷つけた人。
それも、乗り込んできたド素人が、長年情熱を注いできたものを自分より上手くこなすという、最低な方法で。
……。
……そりゃあ傷つく。心が折れる。
「……あ」
「……?」
……あるじゃん。ハナを虐げたヤツらの心をへし折って、叩き潰しても、僕が退学にならない方法。
「……神乃ヶ原くん」
「……はい」
「往生際の悪い女でごめんなさい。最後に……聞かせてください」
「……何?」
「私のこと……好きでしたか?」
「…………」
「…………」
涙で頬を濡らしながらも、頬笑みを湛える彼女は、やはり綺麗だと僕は思った。
「好きだったよ。あの頃の僕は、キミとの未来を思い描き、歩んでいくことに喜びを見出だしていた。それだけは、確かで、間違いのない事実だ」
「ありがとう……ございます」
泣きながら微笑んだ彼女が、小さな声で返す。
「音無さん、もう僕に心を縛られる必要はないんだよ。どうか、自分を許してあげて欲しい。そして……幸せになって欲しい」
「……ありがとう。神乃ヶ原くん」
そう言って彼女は笑ってくれた。
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