ディドノット・ビギントゥ・ラブ
「ふえぇっ! 駄目ですよぉ神乃ヶ原くん。そう簡単に職員室にホイホイ入ってきちゃあ」
小山内先生は、僕の顔を見るなり困った顔になった。
……何ていうか、その小動物のような姿を見ていると、彼女が生徒達に可愛がられている(超失礼)のも頷けるというものだ。
「別にテスト期間てワケじゃないんだし、いいじゃないですか。それに……大事な用があって来たんです。少なくとも僕にとっては」
僕はお構いなしで、彼女の方に詰め寄った。
彼女には押せ押せ……乱暴な言い方をするのなら、オラオラ系の方が上手くことが運ぶ。
勿論彼女は教師で僕は生徒だ。そこを履き違えて同級生と接するようにナメた態度を取るのは厳禁だ。その結果、彼女のプライドを傷つけてしまうのは僕の望むところではない。
彼女は僕より長く生きてきて、様々な試練にぶつかり、様々な努力をし、それを乗り越えてきた大人であり、人生の先輩なのだ。それを侮るようなことはしたくない。
……以前の僕だったら、こんな考えは逆立ちしたって出てこなかっただろう。
「大事な用? 何ですぅ?」
「テニス部について、教えて欲しいんです」
「テニス部ぅ? なんでまた?」
「……ちょっと、興味がありまして。部活やってみるのもありかなって」
「そうなんですか! いいことじゃない!」
僕の嘘……というか、神原が僕にそう言えばいいと勧めてきた嘘を耳にした先生は、ぱぁっと明るい笑顔になった。
「先生、心配してたんだから……神乃ヶ原くん、他人を見下すっていうか、諦めてるような節があったから」
今度は若干涙ぐむ先生だった。
……ここだけの話、可愛いよなこの人。不器用な癖にいつでも他人の為に一生懸命で。なのに、たまに大人の顔をするから、そのギャップにドキっとすることもある。
……て、別に異性として惹かれているワケではないぞ? いや、まぁ……正直ちょっとはあるっていうか、無くはないけど……あぁ、やっぱり僕は神原の言うように気の多いナンパ野郎なのか?
いや、まあホラ。学生の時ってさ、イチイチ話す女子が可愛く見えてしまうものだろう。それと同じようなもんだ。きっと。
「先生……そんな心配させて、ごめんなさい。僕、先生に心配かけないように頑張るから……」
「ううん、いいの。先生も頑張るから……あま──神乃ヶ原くんも、一緒に頑張ろ?」
先生が目に涙を浮かべて、笑った。
その笑顔にまたも僕が心揺さぶられそうになった瞬間──ドスっと神原が先生から見えない角度で、僕の背中にパンチした。
「…………」
「…………」
振り返ると、不機嫌な顔をした神原が『茶番はいいからさっさと目的を果たしなさいな』と言いたげな視線を僕に送ってきていた。
ちいぃ……もう少し先生と戯れて──というか癒されていたかったが、仕方がない。
「でもね、先生……まだ少し、怖くて。『また迫害されたらどうしよう』って思っちゃう部分もありまして」
僕は少し自嘲気味な声を出した。
「神乃ヶ原くん……」
思った通り、彼女は僕の心情を察したように同情するような顔をしてくれる。
ここで『カッコ悪いですよね、男のくせに』とでも言えば、彼女は『そんなことない』と必ず言ってくれることだろう。
──こんな先生が、中学にいてくれたらな。
あぁ、そうか。
僕が彼女に幾ばくかでも心惹かれていたとするのならば、おそらく原因はこれだな。
でも、考えるだけ無駄だな。あの中学に小山内先生はいなかったし、僕は僕で、あのことがあった上で、ハナや父さん達のおかげで立ち直り、今友達と行動を共にしているここまでの足跡を否定したくない。
だから、この話はしない。僕の中だけで消化させないと。
口にすると色々と冗談じゃ済まなくなってきてしまうかもしれないから、僕はその言葉を呑みこんだ。
きっと僕にとっても、先生にとっても……ハナにとっても、いい話にならない。
「そうですね……」
先生は少し悲しそうな、申し訳なさそうな顔になる。
「だから、顧問や部長がどんな人なのか、部員がどれくらいいるのか、色々と下調べしておきたいなー……って」
「ああ、そういうこと!」
先生はまた明るい表情になり、ポンと手を打ったかと思うと、またも申し訳なさそうな顔になった。
「それが……男子の体育の先生が交通事故で入院してしまったって話は……聞きましたか?」
……確か、僕がぶん投げたゴリ先生がそんなこと言ってたな。
「まさか……その先生が?」
「はい……テニス部の顧問の先生なんですぅ……」
何てこった。あんな分かり難い情報がここに来て、伏線として蘇るのかよ。
「じゃあ今は、女子テニス部の顧問の先生が両方見ていますの……?」
神原が僕の肩越しに質問する。
「いえ。それが──」
先生の気まずそうな顔を見て、僕はあることを思い出した。
「女子の体育の先生が産休でお休みしてるって聞きましたが、もしかして……」
「──はい。女子テニス部の顧問の先生です」
何てこった。
「じゃあ……今、男子テニス部も女子テニス部も、生徒だけの無法状態!?」
小太郎が神原と反対の肩越しに裏返した声を出す。
「む、無法状態なんて言っちゃいけません! 後片付けとか、生徒がちゃんと帰ったとかは、他の部の先生が見てるみたいですけど……でも活動自体は生徒任せになってしまっているみたいですぅ……」
「つまり……」
……教師に隠れて、先輩達がやりたい放題するには絶好のシチュエーションなワケだ。
後輩をいびったり、しごいたりしてもバレない……と。
「だから、今はちょっと、入部届けも退部届も受け取れる人がいないみたいですぅ……人手不足、最悪」
そう言った先生が、魂ごと吐き出しそうな溜息を吐く。
「先生も、色々な部を押し付けられてるんスか?」
小太郎がそんな質問をする。
「えぇ……新聞部に、演劇部……まだ校内なだけありがたいけど」
「新聞部……」
小太郎がぽつりと呟く。
「……ありがとうございました。もう少し考えてみます」
もうここで聞き出せることはないと判断した僕は、そう言って頭を下げ、会話を打ち切った。
「あ──神乃ヶ原くんっ!」
僕の背中に先生が声を掛ける。
「何かあったら、いつでも相談してね? 一緒に頑張ろうって、あれ、本当だよ?」
「…………」
なんだろう。油断していたかな? 何の抵抗もなく、彼女の言葉が心に入ってしまった。
僕は振り返り──
「はい。ありがとうございます……!」
──作り笑いなどでは決してない、心からの笑顔でそう答えた。
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