雨に打たれて
宣言通り、ハナが僕の家を訪ねて来なくなってから、約一カ月ほどの時間が過ぎた六月末のこと。
今日は土曜日。両親のいない神乃ヶ原邸で自室に一人。
午後から降り出した雨は、今もなお屋根を叩いている。少し開けた窓から聞こえる、規則的な音がそれを教えてくれる。
「…………」
未だに僕は、ハナが何を考えているのか分からない。
いや、言っていたこと自体は分かる。
テニス部の部長として、最後の夏を華々しく飾ろうとそれに専念する。結構だ。大変結構なことである。
でも、僕と会って話すことがハナと、ハナのしたいことの障害になるとは思えない。
そして、一番分からないのが……あの時の言葉だ。
――テンちゃんは、もうあたしがいなくても、大丈夫だもん。
……何だよ、それは。
まるで、コレまで僕がハナがいなければ何も出来なかったみたいじゃないか。
……いや、まぁ……何だ。ハナがいたおかげで助かったことや、救われたことが多々あったのは認める。
ああ、くそ。認めよう。
僕が気に入らないのはこっちじゃない。そのあとの言葉だ。
――あたしだって! テンちゃんがいなくても大丈夫だもん!
大丈夫じゃないだろ……!
「いや、待てよ?」
思い返してみれば、僕はいつもハナに慰められたり、支えられている自覚はあったが、自分からハナを慰めたり、支えようとしたことがあっただろうか?
確かに、確かにいつも僕がそうしてくれと頼んだワケでも、望んだワケでもない、ハナが自発的に焼いたおせっかいではあった。
でも結果、僕はいつも彼女に支えられていたじゃないか。ありがたいと思っていたじゃないか。
でも僕は、それをありがたいと思うばかりで、彼女に何か特別なことをしただろうか?
答えは……NOだ。してない。
してないし、そもそも僕が中学に通っていた時も、そして通わなくなった後も、ハナはちゃんと自分の道を、自分で選んで歩いていたではないか。
「大丈夫……じゃないか」
わざわざ宣言するまでもなく、最初から僕がいなくても大丈夫じゃないか。
むしろ僕に「ハナは僕がいなくては駄目」と思わしめたものは、一体何だと首を捻ってしまうくらいだ。
いや……じゃあ、あの言葉は何だ!?
ああもう! イライラするしモヤモヤする!
かと言って、彼女は『最後の夏を頑張る為に練習に専念したいからもうここには来ない』と言ったのだ。
それなのに「おい、あの言葉はどういう意味だ。イライラして眠れないぞコノヤロ」なんてノコノコ彼女を訪ねるのは、余りに空気が読めない身勝手な迷惑野郎なのではないか?
そう思うと、ハナに連絡を取ることが出来ない。
たまに、窓の外のハナの部屋に、明かりが灯っているのを見て、ハナがいることを確認するくらいだ。我ながら何か気持ち悪いな。
ハナも本当に来なくなった。
最初は、また即座に僕の家のインターフォンを押して、いつものフレーズを口にするのだろうと思っていた。
お菓子を用意しておけば、部活帰りにお腹を空かせた彼女が、飛び込んでくるものだと。
そして「この間言っていたことは何だったんだ」なんて不機嫌にぼやく僕に、いつものようにニヒっと笑って飲み物を要求してくるものだろうと。
……だが、本当にハナは来なかった。
それもそうだ。ハナはいつも何て言っていた?
――テンちゃん、学校行こう!
それに対して僕は「高校からだけど、学校に行く」と答えたのだ。
つまり彼女の目的は達成されたのだ。
つまり……
「もう……ここに来る理由がないってことかよ」
自分でも驚くほど不機嫌な声が出た。
もしかしたら、学校に来ない僕を毎度毎度誘いに来ていたのは、彼女にとって結構面倒な責務だったのではないか?
いや……だったらあんな笑顔見せないだろう。それに、もし僕が逆の立場で、毎度ハナの部屋を訪ねることを自分に課していたとしても、僕は決してそれを煩わしいことだとは思わないだろう。
じゃあ何だ? 何故彼女はあんなことを言った?
分からない。
開けっ広げで気心の知れた幼馴染。友人であり僕を特別扱いしない家族。妹であり姉のような存在。
そんな明井花が、急に分からなくなったことが怖くなった。
……もしかしたら、僕の一方的な思い上がりだったのかもしれない。
ずっと前から彼女は僕の知っている……知ったつもりになっていたハナではもう、なかったのかもしれない。
それか、知っている通りのハナだけれど、兄弟離れのような、そんな気分になったのか。
気になるが、しかし確かめることは出来ない。
彼女は自分の練習に専念する為に、ここに来ないと言ったのだ。
それを邪魔して迷惑に思われたくないし、僕自身彼女には自分の好きなことに目一杯打ちこんで欲しいと思っている。
それに、僕は僕で色々と忙しかったのもある。
何にと言われれば無論、進学先を決めるのに、だ。
どの道に進むにしろ、学校や授業にロクに出席していなかったことはマイナス要素となるだろう。
その悪印象を埋めて、なおいい意味でのインパクトを残す為の武器を色々と用意しているところだ。
オリジナルのプログラムを組んだり、数式を編み出したり。
中学時代の全考査の成績表とセットで、コレを目の当たりにすれば、僕が決して怠けていたワケではないことをアピールできるだろう。
しかし、未だに進路を決定づけるような出来事は僕の中で起こっていない。
だから、色んな人達との会話や様々な体験が必要だと思い、僕は最近時間を見つけては外に出ている。
……だけど、それだけでは物足りないのだ。
「こんなことがあったよ」と話したいのだ。
そして、それを話す僕の目の前の相手をイメージすると……いつもそこにはハナがいた。
……何てこった。僕はハナと話したいのだ。
「何てこった……」
ぽつりと口に出して窓の外を見る。
ハナの部屋の明かりは点いていない。きっと今日は部活なのだろう。もしかしたら彼女の言っていた大会が今日なのかもしれない。
ハナのヤツ、傘持ってるのかな……
僕がそう思った時だった。
「……っくしゅん!」
「!?」
聞き覚えのある、くしゃみの音が聞こえた。
僕はすぐにカーテンを開けて、外を確認する。
「…………」
そこには、降りしきる雨に全身を濡らしたハナがいた。
肩には部活用のショルダーバッグに、テニスラケットのケース。
傘も差さずに俯いたまま、僕の家のインターフォンに手を伸ばそうとしては引っ込めている。
「……っ!」
僕はすぐさま階段を駆け下り、玄関のドアを開け、外に飛び出た。
「何考えてんだ! こんな雨の中、傘も差さずに!」
「……っ。テン……ちゃん」
そこには見間違える程に、弱々しい顔で弱々しい声を出すハナがいた。
「……何してんだよ、ハナ」
「え……と、家の鍵、落としちゃって」
雨の音にかき消されてしまいそうな、小さな声。
「誰もいなくて、開けて貰えないのか」
僕が傘をハナの頭上に持っていきながら、そう聞く。
「うん……連絡したら、遅くなるって。だから、神乃ヶ原さんちに避難させて貰えって」
「だったら、さっさとインターフォン押せよな!」
「だって……あたし、あたし――」
いつも太陽のような笑顔を咲かせていたハナとは、別人のようなその弱々しい表情を見て――
「話は後で聞くよ。早く入れ!」
――僕は考えるより先に、ハナの腕を掴んで歩き出した。
「テンちゃ――」
「いいから、シャワー浴びて。着替え持ってくるから、風邪引かないようにしっかり温まれよ!」
「……廊下が、濡れちゃうよ」
「いいから!」
本能的に悟っていた。
ハナが弱っているんなら、僕がしっかりしなくては。
……今度は僕の番なんだ。
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